2015/06/29

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】関西学院大学でのプレゼンテーション

6月中旬にキャロル・サックが関西学院大学の法学部と商学部の学生に、リラ・プレカリアに関連した特別講義を行いました。関学の学生を対象に実施するのは去年に続いて2回目です。

当日、通訳と演奏で同行したリラ・プレカリア研修講座4期修了生の大石千絵さんがその時の模様を以下のように報告してくださいました。

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“Mastery for Service”=「奉仕のための練達」をスクールモットーとする関西学院大学では、すべての学生が必修科目としてキリスト教を学んでいます。今回は、商学部と法学部の授業でキャロル・サック先生がリラ・プレカリアを紹介するプレゼンテーションを行いました。
関西学院大学(Google地図より)

階段教室いっぱいの学生は、最初は少し落ち着きがない様子でしたが、話が進むにつれ集中していき、実際に「ハープと歌による祈り」を始める頃には静寂が訪れていました。

講義終了後、回収されたアンケートを読む機会を与えられました。学生たちがリラ・プレカリアの働きを深く受け止めていることは驚きであり、喜びでした。学生が記した言葉のうち、特に印象に残ったものが4つあります。

まず、ほとんどの学生が「音楽の力」を感じていました。「癒された」「自然に涙が出た」「優しい気持ちになった」「どんな歌詞かもわからないが落ち着いた気分になった」「自分が楽しいから音楽をやっていたが、音楽には人を安らかにする働きがあるのを認識した。人に幸せになってもらえる音楽を作りたい」など、音楽に触れた心の様子を表現していました。

次に、多くの学生が「患者さんの息に合わせる。患者さんがコンダクター(指揮者)」という言葉を挙げていました。若い感性は、リラ・プレカリアの本質を鋭く正確に捉えていました。

また、「ベネディクト会の修道士たちは人間の最後の息を、『死』と呼ぶ代わりに『transitus=移行』という言葉を使った」という言葉も記されていました。若く健康に見える学生たちですが、アンケートには「どう生きるべきか」を問い、悩みを打ち明けるものもありました。迷える青年期にあるからこそ、「死は永遠の終わりではなく、移行である」という言葉が胸に迫ったのかもしれません。「よく生きることはよく死ぬこと」という言葉の意味を若者から教えられました。

4つめによく取り上げられていたのは、「神の宿」の創設者ニコラ・ロランの言葉でした。「その国の良さを図る唯一の尺度は、最も貧しい人が終末期にどのようなケアを受けるかである」。商学部、法学部で学ぶ学生たち。GNPなど数字に接することも多い環境の中、想像の域を超えてこの言葉が飛び込んできたようです。

「孤独死」という社会問題に目を向けるもの、修道院の役割や昔の人々の取り組みの意識の高さに注目するものもありました。「この働きを広めたい」「自分も社会のために役に立ちたい」という言葉もあり、大きな希望を見ました。将来社会に船出していく若者が、感性を育てるこの時期に、リラ・プレカリアと出会った意味は大きい。そう感じた時間でした。

今回の経験を通して、リラ・プレカリアの精神は、ベッドサイドで育まれながら、しかしもっと広く世に必要とされていることを感じずにはおれません。それは、この働きの目的が、「目の前にいるお一人お一人に『あなたはそのままで価値のある大切な存在』だと伝えること」だからでしょう。今、この世に生きるすべての人にとって、必要とされる祈りの形だという思いを強くされた経験でした。機会をお与えいただき、ありがとうございました。

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