2018/06/25

【信仰書あれこれ】ニコデモの新生

多田富雄『残夢整理――昭和の青春――』(2010年、新潮文庫)をとりあげます。

本書は信仰書ではなく、著者の長めのエッセイを集めたものですが、「ニコデモの新生」と題する40ページ余りの話に日本福音ルーテル京都教会と当時の小泉牧師が登場するので、ご紹介することにしました。

著者は『免疫の意味論』大佛次郎賞を受賞した免疫学の泰斗。文章も上手で、『独酌余滴』日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。昭和天皇の「殯葬の礼」(ひんそうのれい)に出席した経験が語られる『残夢整理』の後書きは、たった数ページながら大変読み応えがあります。

本書は著者最後の作品でしょう。「残務整理」の「務」が「夢」になっているのは、この世を去るにあたって、印象の深さからか夢に見ることが多くなった知人・恩師のうち、整理して書き残しておきたい6人について語られるという内容だからです。

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著者は茨城県の田舎の出身で、千葉大学医学部で学び、内科の教室でしばらく修練したあと郷里に戻り、町医者を継ぐ予定でした。ところが、変り者の病理学者が大学に赴任してきます。この岡林篤教授の頑ななまでの学者魂に魅かれて、その免疫関係の実験を手伝うことになります。

単純作業を一年以上繰り返し、ようやく成功例があらわれたのに、それに続く結果がさっぱり得られず、著者は退屈至極です。思い余って岡林先生のところに行き、やっている実験には再現性がないと苦情を述べ立てると、先生は次のように反応します。
  • 「自分の目で見たというのに、君はまだそんなこともわからないのか。100パーセントの兎にそんな難病が起これば絵空事ではないか。個体差があってなかなか起こらないからこそ真実なのだ。人間でも膠原病になるのは百万人に数十人だろう。それと同じだ」とうそぶいていた。
「ところで君は、聖書を読んだことがあるか」
「いいえ。ありません」
「わたしもクリスチャンではないが、時々目を通す。この間面白い話を読んだ。ニコデモのキリストとの問答だ。信じること、疑いを持たないことに関することが書いてあった。いつか読んでみたまえ。ヨハネ福音書の3章だ」と言い残して、すたすたと去っていった。私はまたはぐらかされたと思って、失望してしまった。(176~177頁)
  • 先生がどうしてこれを言ったのか、そのときには私は分からなかった。後にこれが私に対する重大な教えであったことに気づいた。そのときは、「肉は肉より出で、霊は霊より生まれる」というのを、なんと感動的言葉かと思っただけだが、先生の真意は別なことにあった。それに気づいたのは、先生がお亡くなりになってからのことであった。(178頁)
その後、岡林先生のキリスト教との関わりは、以下のように深まります。
  • そのころ先生は、宗教上の悩みを持っていたらしく、「多田君、こんな本を知っていますか。もし読んでいないなら読んでみなさい」と北森嘉蔵の『神の痛みの神学』を貸してくださった。……先生はご自分の独自の学説を、この神学者のそれと対比して考えていたのかもしれない。……「腸(はらわた)の痛み」とか「神は腸でさえ痛む」という意味のところに、何度も傍線が引かれていたのを覚えている。先生が頭で神の愛を信じようとしていたのではなく、フィジカルな痛みを共有する神を感じていたのではないかと思われる。それが真実であったことは、先生がある朝、ご自分から京都ルーテル教会に赴き、洗礼を受け、キリスト教に入信されたという逸話でもわかる。(193~194頁)
  • 先生はその後体調を崩され、病床に就いた。……平成7年の2月には京都府立医大に入院された。……同年の3月に逝去された。……告別式でルーテル教会の小泉牧師によって、ヨハネ福音書の第3章1~12節が読み上げられたことを聞いた。(194~195頁)
上で登場した岡林篤氏は、紫綬褒章を受章し、個性ある科学研究に与えられる藤原賞にも輝かれたそうです。JELC京都教会に集われていた頃のご様子などを知りたいものです。

JELA事務局長
森川 博己

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