2019/03/01

【信仰書あれこれ】惜しまれる生き方


デイヴィッド・ブルックス著『あなたの人生の意味――先人に学ぶ「惜しまれる生き方」――』(夏目大訳、2017年、早川書房)をとりあげます。

表紙折り返しに以下の記述があります。
  • ニューヨーク・タイムズ≫の名コラムニストが10人の生涯を通して語る、生きるための道しるべ。
  • 人間には2種類の美徳がある。「履歴書向きの美徳」と「追悼文向きの美徳」だ。つまり、履歴書に書ける経歴と、葬儀で偲ばれる個人の人柄。生きる上でどちらも大切だが、私たちはつい、前者ばかりを考えて生きてはいないだろうか?
  • アイゼンハワーからモンテーニュまで、さまざまな人生を歩んだ10人の生涯を通じて、現代人が忘れている内的成熟の価値と「生きる意味」を根源から問い直す。
  • エコノミスト≫などのメディアで大きな反響を呼び、ビル・ゲイツら多くの識者が深く共鳴したベストセラー。

著者はこの本を、「自分の心を救うために書いた」(本書13頁)と言っています。以下に中身の一部をご紹介します。

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人生からの問いかけに応える
  • 「大事なのは、私たちが人生に何を求めるかではない。人生が私たちに何を求めるかだ」。フランクルはそう書いている。「私たちは、人生の意味は何か、と問うことをやめるべきだ。反対に、人生の方が日々、絶えず私たちに問いかけているのだ」。……彼は運命が自分に与えた仕事をした。その任務とはより良く苦しむことだった。……苦しみがどれほどのものになるのか、彼に決めることはできなかった。ガス室で命を落とす可能性もあったし、他の理由で死んで道端に捨てられる可能性もあった。自分がどういう目に逢うのかは選べなかったが、自分の心が苦境にどう反応するかは自分で決めることができた。(51頁)

天職のとらえ方
  • アルベルト・シュヴァイツァーは、1896年夏のある朝、聖書の「自分の命を救おうとする者はそれを失い、私のために自分の命を失う者は、それを救うだろう」という一節に出会う。その瞬間、彼は呼ばれていると分かった。自分は成功していた音楽教師、オルガン奏者としての職をなげうって医療の道に進む、ジャングルの医者になると悟ったのである。天職を持つ人は、費用対効果分析の結果、その仕事に取り組むわけではない。公民権運動や難病の治療に身を捧げるのも、人道組織の運営や、大作小説の執筆に全力を傾けるのも、それで得をするからではない。……損得で仕事をした場合、行く手に困難が立ちはだかれば、その仕事をやめてしまうはずだ。ところが、天職に取り組む人は困難があるほど、その仕事に強く執着する。(55頁)
  • 道徳のために闘う英雄は、自らの名誉のことだけを考える人間とは違う。彼らの行動は自己の否定から始まる。彼らは自分の利益や名誉を否定し、辛く苦しい天職を受け入れ、与えられた仕事を全うする。彼らの行動は単に慈悲心からのものでもないし、自己満足のためのものでもない。他人のために自分を犠牲にしたという善行に酔っているわけではないのだ。それでは、英雄的な行動は長続きしない。良いことをしているという意識があってはいけない。自分は天から贈り物をもらっていて、それをもらったお返しをするために動いている、という意識でなければならない。(62頁)


誰のためにそれをするのか
  • ある人が貧しい人に靴をあげるとする。これは、貧しい人本人のためにすることなのか、それとも神のためにすることなのか。フランシス・パーキンズは、神のためにすべきだと考えた。たとえ物をあげても、もらった側が感謝するとは限らない。もし、相手の感謝を報酬のように感じていれば、感謝されなかっただけでくじけてしまう恐れがあるだろう。だが、その人のためではなく、神のためだと思っていれば、相手の態度によってくじけることはなくなる。(88頁)

自分から機会を求めて
  • ドロシー・デイが普通と違うのは、たまたま苦しい経験をして「しまった」のではなく、自ら求めていったというところだ。ごく普通の楽しみ、幸せを得ようとすればできたかもしれないのにわざわざ避けて、自分で苦しみを求めた。自分を犠牲にしても道徳的に振る舞う機会、苦しみ耐えながら他人に奉仕する機会を探して生きた。(169頁)

本書では他に、ジョージ・マーシャルジョージ・エリオットアウグスチヌスサミュエル・ジョンソンなどの人生が、キリスト信徒としての著者の視点から綴られています。

JELA理事
森川博己

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