ルーテル学院中学・高等学校での2年間の教員生活を終え、今年の3月に米国に帰国した短期宣教師(J3)のブレント・ウィルキンソンさんが、再度来日し、同校の教員として2018年3月まで教えることになりました。
任務を完了して帰国したJ3が数か月の間に同じ仕事に復帰するのは非常に珍しいことですが、4月の地震で新任のJ3が帰国してしまい、教員が足りなくなった学校を慮り、余震が続く中でブレントさんは再来日を決断してくださいました。評判の良かった先生の復帰に、学校や生徒も大喜びです。
以下に一問一答形式で、ブレントさんの復帰への思いをJELAが聞きました。
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<JELA>アメリカに帰った後、何か計画はあったのですか。
<ブレント>4月から就職活動をしていて、ふたつほど決まりかけていました。高等学校の留学派遣コーディネータと、歴史・スペイン語の教員です。
<JELA>熊本でもう一度教えてくれないかと声をかけられたとき、どんな感じでしたか。
<ブレント>最初は、「冗談じゃないよ、みんなにサヨナラして、アメリカに帰国したばかりなんだよ」でした。友だちや家族と再会できてすごく嬉しかったし、久しぶりのアメリカ生活を満喫している最中でしたから。
<JELA>熊本に大きな地震があったことを知ったのはいつですか。
<ブレント>4月14日の前震が発生したときアメリカは朝でしたが、私が地震を知ったのは午後のラジオ・ニュースでした。テレビやインターネットのニュースでも目にしました。それから一週間後に熊本復帰の話が来たというわけです。
<JELA>熊本に戻ろうと思ったのには、何か理由がありますか。余震が収まってもいないのに、どうして戻って来ようと決めたのですか。
<ブレント>地震が理由です。この地震で、熊本の皆さんが想像できないほどの苦労をされていると感じました。私にできることは何か、それは、少し前まで勤めていた九州ルーテル学院の教師仲間や熊本の牧師先生たちの負担を少しでも軽くすることではないか、と思ったんです。それから、私がまた教えることで、生徒たちの教育レベルを保てたらとも考えました。
<JELA>熊本に戻る決心をするとき、家族や友達と相談しましたか。したのなら、あなたが「熊本にまた行く」と行ったとき、どんな反応やアドバイスがありましたか。
<ブレント>何年も留守にしてアメリカに帰ったばかりだったので、家族や友人のほとんどはがっかりしました。でも、私の決心をわかってくれたと思います。
<JELA>2回目のJ3として、今度はどんなことをしたいですか。前の2年間とは別の、特に達成したいことがありますか。
<ブレント>やるべきことは前と同じですが、それを、より良くできるようにがんばりたいです。生徒には英語を、前回以上にわかりやすく教えたいし、バイブルスタディも、もっと有意義なものにしたいです。九州ルーテル学院のJ3は毎年、英語のカリキュラムがよりよいものになるように変更しているんですが、その改善作業にも貢献したいです。仕事以外では、日本語がもっとうまくなりたいことと、日本のいくつかの山に登ってみたいし、ラーメンをもっとたくさん食べたいです!
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