2018/07/11

【信仰書あれこれ】聖書的リーダーシップのあり方

本欄の50冊目として、ヘンリ・ナウエン『イエスの御名で――聖書的リーダーシップを求めて――』(後藤敏夫訳、1993年、あめんどう)をとりあげます。講演を書籍化したものです。

本書は、クリスチャン・リーダーシップの理想としての「サーバント・リーダーシップ」を紹介したものです。聴衆のほとんどは司祭で、司祭仲間に対するミニストリーに深くかかわっている方々です。以下に中身の一部をご紹介します。

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ナウエンはエールやハーバードという知的エリートが集う大学で、牧会や牧会心理学を長年教えていました。そういう立場を捨て、知的障害者の施設でチャプレンとして働くという大きな環境の変化を体験し、以下のような発見をします。

  • 心破れ、傷つき、まったく自分を装うことをしないこれらの人々を前に、能力を持つ自分というもの、すなわち、何かができる自分、何かを示せる自分、……というものを手放すしかありませんでした。そして、どのような業績にも関わりない、ただ愛を受け、与えるだけの、弱くて傷つきやすいありのままの自分に、自らを改めざるを得ませんでした。……神の言葉を伝える者として、またイエスに従う者として、私たちが携えるべきすばらしいメッセージは、神は、私たちの行いや成し遂げることのゆえに私たちを愛されるのではなく、愛の内に私たちを創造し、贖われたがゆえに私たちを愛される、ということです。そして、すべての人間のいのちの真の源泉である愛を宣べ伝えるために、私たちは選ばれました。(29~30頁)

  • たった一つの問いが私たちに問われます。「あなたは私を愛するか」と。……恐らくこの問いは、受肉された神をあなたは知っていますか、とも言い換えられるでしょう。この孤独と絶望が支配する世界には、神の心を知る男性と女性が大いに求められています。その心とは、赦す心、保護する心、自ら出て行き癒そうとする心です。……ただひたすら愛を与え、愛を受けることだけを願う心です。人間の大きな苦悩に、神は慰めと希望を差し出そうとされているのに、その神の心に信頼しようとしない人々を見て、深く苦しむ心です。(39頁)

これからのクリスチャン指導者の資質の核心
  • それを決定づけるものは……指導者として真に神の人であるか、すなわち、神の御声に耳を傾け、神の美しさを仰ぎ見、神の受肉した言葉に触れ、神の無限の善を十分に味わうために、神の隣在の内に住もうとする、燃えるような願いを持つ人であるか、ということです。「神学」という言葉の本来の意味は、「祈りにおいて神と結ばれる」ということです。……これからの時代のクリスチャン指導者に極めて重要なことは、神学の神秘的な側面を取り戻すことです。そうするなら、語る言葉、与える助言、実行する対策のすべてが、神を親密に知る心から生まれ出るようになるでしょう。……どのような問題が目の前にあろうと、イエスとの愛の交わりに、それを処理する知恵と勇気を見いだす必要があります。……真に実を結ぶクリスチャン・リーダーシップを身につけるためには、道徳的であることから、神秘的であることへの移行が求められるのです。(46~49頁)

イエスが荒野で受けた誘惑(マタイ4:1~11)とペテロの羊飼いへの召し(ヨハネ21:15~19)の話を骨子に、真のクリスチャン・リーダーシップとは何かについて、充実した議論が展開されます。実際に手に取ってお読みなることをお勧めします。

JELA事務局長
森川 博己

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