8月14日の本欄「日本の皇室とキリスト教」の最後の方で、この本を紹介しました。平成天皇夫妻が皇太子殿下夫妻であった時のお二人との交流を描いた部分(196~208頁)がとてもおもしろいので、以下に一部を引用します。
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著者が初めて美智子妃殿下に遭遇するのは、軽井沢で三回目のクルセードを開催した1974年8月、軽井沢テニスコートの前にあるユニオンチャーチの駐車場に車を取りに行った時です。以後何度も親しい交わりの機会が与えられますが、それは著者の積極姿勢の賜物で、その大胆さには学ぶべきものがあります。
- <1974年8月> 私の立っているすぐ前に皇室用の車があって、目の前に美智子妃殿下が来られた。私は本当にびっくりした。そして心の中で今がチャンスだと思った。美智子妃殿下に伝道するのは今を逃したらないと、ポケットに手を入れると、滝元師の『平安を持つ秘訣』があった。私は勇気を出して声をかけた。「美智子妃殿下」。妃殿下はにっこりして私の方を見られた。「私はキリスト教の牧師です。この本は、とてもすばらしい本です。お読みいただけますか」。……「いただいてよろしいでしょうか」。「はい、どうぞ」。……何かもっと話したいような顔をしておられたが、私は時間を気にしていった。「美智子妃殿下、後ほどもっとよい本を送らせていただきます」。妃殿下はお辞儀をしていわれた。「お願いします」。(196~197頁)
- <1976年8月> 軽井沢のテニスコートで礼宮さまのテニスの試合があって両殿下が応援に来られた。この年も両殿下にお会いしたいと思ってプリンスホテルに電話をした。するとテニスコートに行っておられるというので、私も出かけて行った。ちょうど両殿下は着いたばかりのようで、避暑に来られている名士の方々とあいさつをされていた。私もその近くに行くと、美智子妃殿下が私を見つけてくださり、とても喜ばれて、わざわざ私の方に近づいて来てくださった。「昨年はすばらしい本を本当にありがとうございました」。そう行って頭を深く下げられた。「妃殿下、お読みになられましたか」。「はい、とてもよい本で教えられました」。そうしているうちに皇太子殿下がこられた。「この方はどなたですか」。「この方はほら、教会の前で私に本を下さった方で、関西から来られた神父様です」。「私は神父ではありません。牧師の田中です」。私はこう言いながら皇太子殿下に握手を求めた。殿下は最初びっくりした様子でためらっておられたが、そのうちに手を出してくださった。私はしっかり握って言った。「皇太子殿下、私たちは毎日、殿下のためにお祈りしております。いろいろ大変なことがおありでしょうが、どうぞがんばってください」。殿下は私の手を強く握り返してくださった。「今日はこれから子どものテニスの試合があるので応援をいたします」。(199~200頁)
- <1977年8月> その時も皇太子一家が軽井沢に来ておられた……侍従長からベテルハウスに電話があり、両殿下が本と手紙を喜ばれ、ぜひお会いしたいので午前11時前に来てくださいと言われました。滝元先生と娘さんの道子さん、私も娘の真美を連れ、……プリンスホテルに行った。多くの侍従や侍従長から歓迎され、応接室に通された。……5分ほど待っていると、侍従長と一緒に両殿下が静かに入って来られた。妃殿下は私を見るとすぐに声をかけてくださった。「本当によくいらっしゃいました。おなつかしゅうございます」。……侍従長はすぐに出て行った。皇太子殿下がお茶を飲むように勧めてくださった。そこで私は言った。「殿下、私たちクリスチャンは、飲み食いする時いつもお祈りをしますので祈らせてください」。滝元牧師が数分間、両殿下と皇室のため、国家のために祈った。両殿下も敬虔に共に祈ってくださった。妃殿下が、「穐近さんのかかれた『土方のおやじ』の本ありがとう。本当によい本をくださって感謝しております」とお礼を述べられると、殿下も、「新しい聖書をくださってありがとう」と言われた。滝元牧師がすぐに聞かれた。「殿下、聖書をお読みになりますか」。「はい、時々」。そして、聖書と神について両殿下に語ることができた。美智子妃殿下は言われた。「私の一番好きな聖句はマタイ伝5章3節にあります、心の貧しい者は幸いです、ということばです。妃殿下は本当に謙遜な方であった。皇太子殿下は次のように言われた。「目には目を、歯には歯をという憎しみの教えから、汝の敵のために祈れと変えられた新約聖書のイエス・キリストはすばらしいです。汝の敵を愛せよという教えは、他の宗教にはないですね」。私たちは、両殿下が本当に聖書のことばを知っておられるのには驚いた。(200~201頁)
皇太子殿下夫妻との付き合いの描写はまだまだ続きます。この本の白眉です。
JELA事務局長
森川 博己
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