ポール・トゥルニエ著『人生の四季――発展と成熟』(三浦安子訳、1970年、ヨルダン社)をとりあげます。
医師である著者は、精神療法の技術とキリスト教的人間理解に基づいて、人間を全人格的に把握することによって初めて真の医療がなし得る、と考えます。
医師である著者は、精神療法の技術とキリスト教的人間理解に基づいて、人間を全人格的に把握することによって初めて真の医療がなし得る、と考えます。
本書では、人間の生涯は絶え間ない発展の途上にあり、人生には誰もが必ず経なければならない様々な時期があって、時期ごとに神の計画が定められていることを唱えます。
以下では、子供から大人へ成長するために重要な役割を担う四つの要素(愛・苦悩・同化・順応<適応>)を説明した部分を引用します。
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<愛>
- 両親の愛がたとえどれほど大きくても、それだけで子供の欲求を完全に満たすことは不可能……です。聖書はこのことをよく知っていて、人間というものはこの地上で絶えず焦燥に駆られ、無口で、頑固で、幻滅を味わいながら、失われた楽園への懐郷の念を苦くかみしめていなければならないのだと、私たちに告げています。この問題に対する解答が、神の愛なのです。(中略)近代人の特徴であり、現代文学に非常によく取り上げられているこの世の悲劇的な孤独に対する唯一の有効かつ偉大な解答は、個人を対象として注がれる神の愛です。(58~59頁)
<苦悩>
- 苦悩そのものは決して価値のあるものではありません。……私たちが苦悩をどのように体験するかという、苦悩の受け止め方を問題にしているわけです。……私たち医師の任務は、可能な限り、身体的な苦痛や精神的苦悩に打ちひしがれている人間の味方となることにありますが、それと同時に、その苦悩や苦痛を意義ある体験たらしめるように助力することにあるのです。(60~61頁)
<同化>
- たった一つ、無限に同化しうる対象があります。……私の同僚のアサジョリ博士の講演を聴いたことがあります。その講演で彼は、使徒パウロが、「私は生きる。しかしもはや私が生きているのではなくて、キリストが私の内にあって生きたもうのだ」<ガラテヤ書2・20>と言い表したようなイエス・キリストとの同化こそ大切なのだ、という主張を行ったのです。しかし……若い人が自分の選択を確定する前は、相対立するいろいろな立場の哲学を一通り学び知っておくことが出来れば、非常に有益だと思います。……私たちは自己放棄に至るためにはまず、のびのびと自己を展開させておかなければならないのです。はじめに自己主張するすべを最もよくわきまえていた人こそ、長じては最もよく自己を否定しうるようになるでしょう。(63~64頁)
<順応(適応)>
- ある両親は子供を気遣うあまり、あらゆる緊張を自分の子供の周りから取り除いてやり、その子を人生の危機から保護しすぎています。こういう両親はその子をいつまでも子供の段階にとどめ、その子の発達を妨げ、その子が後になって、大人になってからも人生に適応していくことが全然できないようにしてしまっているのです。これとは反対に……早すぎる時期にあまりにも困難な適応を子供に強制しすぎる親もあります。こういう親たちは子供を老化させてしまい、このように本当に子供ではありえなかった子供は、その後、成人すべき年齢に達しても完全に一人前の大人にはなれないのです。(65頁)
- 神が、「人が一人でいるのはよくない」と言われて、人に彼と性を異にする一人の女性を配偶者として与えられた時、神はこれによって人間に次のような課題を与えられたのでした。すなわち、人間は互いに適応するという一つの困難な課題に自分をさらさなければいけない、そして、その際、自分が降伏してしまうか、また相手を屈服させてしまうかのどちらかによって葛藤を回避することなしに、自己克服によって葛藤を真に解決しなければいけない、つまり、神は人間に本当の意味で成熟することを要求され、そのように人間に仕向けられたのです。(66頁)
本書は最近、日本キリスト教団出版局から復刊されました。
JELA理事
森川博己