聖ベルナルド著『熟慮について――教皇エウゼニオ三世あての書簡』(1984年、中央出版社) をとりあげます。
12世紀の激動する社会の中で教皇職をいかに遂行すべきか、いかなる心構えで神の前に生きるべきか等々、聖ベルナルドは信仰上の愛弟子であるエウゼニオ三世の求めに応じて、懇切丁寧に数々の助言を与えています。
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自分がみんなの奉仕者であることを忘れないこと
- 預言者の模範に倣って、権威を行使することよりも、時のしるしを見極め、率先して難事に当たる者となってください。(56頁下段)
- あなたが受け継ぐべきものは……働きと奉仕のわざであって、決して栄光や富ではないのです。(中略)司教職の称号には支配ではなく奉仕が含まれていることを、夢にも忘れてはならないのです。(57頁下段)
徳に進んでいるか否かの見極め方
- 昔と比べて、いっそう忍耐強い者になったか、それとも不忍耐になりはしなかったか、いっそう短気になりはしなかったか、それとも柔和になったか、いっそう高慢になりはしなかったか、それとも謙遜になったか、いっそう親切な者になったか、それとも尊大になったか……神への畏れの念を持つようになったか、それとも大胆なふるまいをするようになりはしなかったか、このようなことについて大いに反省してみる必要があると思います。(74頁下段~75頁上段)
順境と逆境のときのふるまい方
- 逆境にあっても知恵を失うことなく、正しくふるまうことのできる人は偉大な者です。しかし順境にあって有頂天になることなく、常に優しい微笑みをたたえて人に接することのできる人は、さらに偉大な者ということができるでしょう。(76頁下段)
何かを実行に移す前に考慮すること
- 真に霊に導かれて生きる人は、……何かを実行に移す前に三つのことを考察します、まず第一に、そのことが許されていることなのか、第二に、ふさわしいことなのか、第三に、有益なことなのか、という点について考察するのです。……許されていることでなければふさわしくありませんし、許されていること、ふさわしいことでなければ有益でもないのであって、そこに例外的なものは何もありません。(102頁下段~103頁上段)
今すべきこと
- 今あなたにできることは一つだけです。すなわち、いつの日にか「私の民よ、私があなたのためにすべきことで、しなかったことが何かあったろうか」<イザヤ5・4>と断言することができるように、この民のためにあらゆる手段を講じてみるということです。(127頁上段)
人事の要諦
- これから要職に就くべき人を選ぶにあたって注意すべきことは次の点です。すなわち、自ら要職に就くことを望む者、あるいは喜んで承諾するような者はあまりふさわしくありません。むしろ謙虚な心から反対し、断るような人のほうがかえって適任者とみるべきです。ですからそのような人は、無理にでも説得して務めに就かせたらよいと思います。(132頁上段)
何に対して敏感であるべきか
- キリストを失うことよりも個人的なものを失うことにいっそう敏感だというのが私たちの悲しい現実です。(中略)霊魂の救いのことを真剣に考えるならば、財産を失うことくらいは全くとるに足りないことです。「なぜ、むしろ、不足を耐え忍ばないのですか」<Ⅰコリント6・7>と聖パウロは言っています。(144頁下段~145頁上段)
聖ベルナルドは本書の執筆開始から1153年の完結まで5年を要しています。彼は1153年に亡くなっており、この本が数ある著作の最後のものになります。
JELA理事
森川 博己
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