色違いのキャンプTシャツをお披露目する参加者の皆さん |
田中さん(右)、現地教会の青年集会にて |
カンボジアのワークキャンプから「ボランティア」に対する考え方が変わり、改めて平和について考えることができました。初めてカンボジアに行き初めてだらけのワークを行い、11日間とは思えないほど、様々な人の多様な考え方にふれる経験ができて、楽しかったです。
このキャンプを応募した理由は「ボランティア」をしたかったからです。小さい頃から、海外でボランティアをしてみたいと思っていました。また、「自分の手で誰かを幸せにする」というのが人生の目標にあったため、ボランティア活動を海外でしてみたいと思っていました。
実際にカンボジアに行き仲間と共にワークをすると、ボランティアに対する考えが少しずつ変わっていきました。カンボジアへ来て4日目に、スベイリエン州にあるプレスクールを2か所訪問し、学校のトイレの壁を塗り、絵を描きました。また、竹で作られたフェンスを設置し塗装するワークもしました。壁にペンキで色を塗ることも絵を描くことも得意ではありませんでした。それでも、現地の人達は筆を使い分けられるようにたくさん用意して下さったり、色を作るのを手伝ったりして下さいました。フェンスの設置では、フェンスを補強するワイヤー切りや竹を切る作業もありました。やり方を教えて下さり、足りないものがあれば揃えて下さいました。
プレスクールのフェンス補強作業をする田中さん |
ワークを振り返ると、ボランティアするための道具も場所も全て用意して下さり、ボランティアさせてもらっていたと強く感じました。その日のディボーションも通して、自分の中でボランティアをする側を、このような立場で考えていたのだと気づきました。「している」のではなく「させてもらっている」。誰かを手助けする行為も一方的な思いだけではできない。互いの思いがあるからこそできるということに改めて感じました。また、圧倒的な技術を届けるだけがボランティアではなく、誰かを思う気持ちを身体と共に届けることがボランティアなのだと気づかされました。
またチュンエク大量虐殺センター、トゥール・スレン虐殺博物館、シェムリアップにある戦争博物館を周り「平和」について改めて考えさせられました。虐殺博物館は想像以上に恐ろしい歴史があり、博物館自体もその当時が想像できてしまうほど生々しさが残っていました。同じ人間がしていたという事実になにより驚きました。虐殺センターでは思わず耳をふさいでしまいたくなるような話もありました。今は跡地となっているからこそ、そこにある自然の美しさにも目を向けられますが、当時ではこの自然の美しさに気づくことすらできなかったという事実を前に悲しい気持ちになりました。
LWDソフィアップ事務局長(右)と話し合う田中さん(中央) |
戦争博物館では、戦車を間近に見ることができ、中が空洞になった戦車や錆びだらけの機体を見ながら、操縦士等の気持ちについて考えていました。実際に見る戦車はとても恐ろしく、地球のものではない気がしてしまう異様な雰囲気がありました。しかし、戦車を作り、動かしたのは人間である事実を痛感しました。
カンボジアの歴史に触れ、人に触れ、聖書を読み、人間の望む「平和」とは何だろうと改めて疑問に感じました。「良いところも悪いところもあるのが人であり、互いの全てを理解することは難しい。」頭では分かっていても、自分の価値観で善か悪かを測り、理解できないものを除外しようとしてしまう。不条理なことにさえ責める理由を探してしまう。受け入れることも受け止めることも頭で理解することと、心で理解することは違うものだと考えさせられました。
様々な文化や習慣、人に触れ多様な考えを吸収することができたからこそ、新たな考えが生まれたのだと思いました。この経験を忘れずにこれからも様々な人と出会い、考えを吸収して「平和」につながる一歩を見つけられればいいなと思いました。
田中さん(左)とLCC現地スタッフ |