神学書や説教の本も悪くないですが、もっと身近で励ましとなるのは、自分と同じような生活を送るキリスト信徒の証しではないでしょうか。
さまざまな人の40近い証しを集めた『美しいものを信じて―兄弟を神のもとへ』(編集・監修フォコラーレ、2017年、サンパウロ)は読みやすく、いろいろなことを教えられます。
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フォコラーレは、友愛による世界の団結を目指した、キリスト教を中心とした国際運動。また、それに参加し運動を促進する団体のことです。現在、日本を含む世界中で約10万人以上の人々がこの運動に参加しています。( ウィキペディア等を参照)
運動は、「隣人を自分のように愛しなさい」というイエスの言葉を日常生活で実践すること目指しています。つまり、「私たちが隣人のためを思って言うこと、なすことは、そのまま神のためを思って言うこと、なすことになります。また、私たちが隣人に反感を抱きながら言うこと、なすことは、そのまま神に反感を抱いて言うこと、なすことになります」(本書3頁)という信念です。
掲載されたものの中から、ある男性信徒の証しをご紹介します。(本書47~50頁)
男性は帰宅時に横断歩道で車にはねられ、気がついたら病院のベッドの上でした。取り囲む人々の中に、絶望と怖れの面持ちで自分を見つめる親子がいます。信号を見間違えた少女が彼をはねたのでした。その時彼は、「すべては神様の愛」という言葉を思い出し、親子のことを心から哀れに感じ、愛の微笑みを返しました。すると二人は緊張が解けて少し安心した顔になり、ボロボロと涙を流し始めたそうです。
すごいのはこの後です。事故から一週間たっても男性の熱は下がらず、視力もふらつき、片耳の聴力がほぼ喪失状態でした。動くこともできず、何もできない状態です。彼は心の中に、十字架に架けられ苦しんでいるイエスの呼びかけが聞こえてくるようだったと言います。それは、「さあ、勇気を出しなさい。あなたは、私と似た姿になったのですよ。私はみんなを愛しているから、この(十字架の)苦しみを(天の父に)捧げたのですよ。元気を出して、私と一緒に、みんなのために、その苦しみを捧げましょう」。
男性は事故を、こう総括します。「今回の事故を通して、私を強くご自分のもとに引き寄せようとされた、神様の大きな愛を体験しました。元気な時には、知らず知らずのうちに、仕事や活動など、神様以外のものが自分の心の中心になってしまうことがあったかもしれませんが、事故を通して、神様は、ただご自分だけを選ぶようにと、私を引き寄せ、一番大切なものを、改めて私の心に深く刻みつけてくださいました。たとえば仕事も、もちろん神様のためにしていたつもりですが、ともすると、好きな仕事だったので、純粋な神様への愛がなくても喜んでやっていけることだったかもしれません。でも、すべてを取り去られて、神様だけと向かい合うことになった時、私は、仕事でも何でも、『あなたが望まれるなら、それをしたい』と強く感じるようになりました……」(本書50頁)
JELA事務局長
森川 博己
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日本福音ルーテル社団(JELA)ウェブサイト
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