2018/05/07

【求人】日本福音ルーテル社団 JELA 職員募集 終了しました

ご応募ありがとうございました。
募集は終了しました。


一般社団法人 日本福音ルーテル社団(JELA


職 員 募 集

 JELAはこのたび、財務・経理業務を中心に従事していただける職員を募集します。110年以上の歴史を有し、キリスト教の宣教・教育・社会福祉に関する公益事業を推進するJELAの働きに関心のある方は、下記要領によりご応募ください。

●募集職種:財務・経理
●募集人員:1名 (募集終了 現在は募集しておりません
●雇用形態:正職員(入社後3か月間は試用期間)
●勤務地 :JELAミッションセンター(東京都渋谷区恵比寿一丁目2026号)
●待遇:
 ①給与・賞与・各種手当=当社団規定による。
 ②勤務時間=9001700 *残業は月20時間以内。
 ③休日・休暇=完全週休二日制(土・日)。各種休暇は当社団規定による。
 ④福利厚生=各種社会保険あり。
求める人材:
①予算作成・決算関連業務を含む財務・経理の実務経験があること。
②世界の恵まれない人々への支援に関心があること。
③キリスト教について受容的であること。
④ある程度の英語力(TOEIC 600点以上など)を有すること。
⑤パソコン操作(メール送受信、ワード・エクセルによる資料作成など)ができること。
●提出書類:
 ①履歴書(直近3か月以内に撮影の本人の顔写真添付)
 ②職務経歴書
 ③最終学歴校卒業証明書
 ④英語力を示す証明書(TOEIC、英検その他の成績・レベルを示すもの)
 ⑤クリスチャンの方は信仰経歴書
   *注1=書類の形式は自由。ワープロ使用可。
*注2=履歴書の住所欄等に常時閲覧するE-mail アドレスを明瞭に記入してください。
*注3=最終面接に進まれた方には、直近3カ月以内の健康診断書をご提出いただきます。
●提出期限:2018515日(当日の消印有効。応募は郵送・宅配のみ受け付けます)
●郵送先 :〒150-0013 渋谷区恵比寿12026 JELA職員募集係
●選考方法:書類選考通過者に対して面接を(場合により作文も)行い決定する。
●選考スケジュール:
 ①書類選考=5月末日までに結果を本人に通知する。
 ②面接=6月中に実施する。*事前にJELAのホームページをよく読んできてください。
 ③内定通知=面接後数週間以内に通知する。
 ④入社時期=201871日 *相談に応じます。

以上
【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

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【信仰書あれこれ】神からの恵み・神による選び

佐藤敏夫『改訂 キリスト教信仰概説』(1992年、ヨルダン社)をとりあげます。180頁に満たない薄い本ですが、ポイントが要領よくまとめられています。

「はじめ大学の学生を念頭において書いたものであるが、求道者の入門書としてはやや難しく、信仰に入ってキリスト教を系統的にとらえてみたいという人たちに、ちょうどよいのではないかと思っている」(最終頁)と著者は書いていますが、その通りの内容です。

本書から教えられたことの一部を以下に紹介します。

◇◆◇

カルヴァンの「二重予定説」をご存知でしょうか? 「神は永遠の昔その憐れみから、ある者を救いへと選び、ある者を滅びへと決定した」(本書120~121頁)という教理です。

すぐに予想できるのは、「救われる人・救われない人が決まっているなら、伝道する意味があるのか」「神が愛なら、全員が救われるべきではないのか」……といった反応です。

実際、学問の世界では、「カルヴァンと同時代のヒューマニズムの神学者たちは、この教理に耐ええなかった。……アルミニュウスもその一人である。彼は、救いは信仰次第であることを強調した。神は永遠の昔、信ずる者を救うことを決定した」(121頁)という考えが現れます。

著者はこの問題を、以下のように説明します。(引用聖書は「口語訳」)

  • 宗教的真理が人間の言葉で容易に表現しえないような深さをたたえ、そのために、あえて表現すれば、非常識な、極端な意見のように見えることがしばしばある……。奴隷意志論や予定説はまさしくそういうような種類のものと言えよう(121~122頁)



  • 我々が永遠の昔から神によって選ばれているようなことは、一種の神学的思弁のように聞こえ、そのような教えに疑問を感ずる人がいるかもしれない。しかし、我々はすでに……「わたしのためにつくられたわがよわい日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた」(詩編139:16b)について言及し、我々の存在が永遠の中に根拠を持つことについて語った。我々の存在が神の永遠の昔から神に知られているということが、決して神学的思弁ではなく、聖書の語るところであるように、我々の救いもまた、神の永遠の意志の中に根拠を持つものである。(122頁)



  • 聖書の思惟が典型的な仕方で遠く神の意志へと及んでいると思われるのは、(エペソ1:3以下の)次の言葉である。「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」(122~123頁)


著者はこのように、聖書がどう語っているかに目を向けさせます。そして、この問題を思惟する(=考える)者が立つべき位置についても注意を促します。

  • 我々が神の永遠の決意について思惟するのはよいとして、その際気を付けねばならないのは、……神と人間との関係を観客席から眺めるような、言わば世界観的な思惟をするということではないということである。(中略)予定信仰が我々の恵みの体験と結びついているものであることを知る必要がある。我々が自己のよき業や生活によって救われるのではなく、ひとえに、キリストにおける神の恵みによって救われるとすれば、なぜ自分がこのような恵みにあずかるかは、神の選びという言葉によってしか説明のしようのないようなものである。……キリストの恵みにあずかりうるのは、まったく神の選びによるものである。この意味で、恵みの体験と選びの思想とは一つに結びついている。……人類全体に神がどんなふうに関わるかを眺めようとするような思惟ではなくて、自己のあずかっている恵みを考えるとき、選ばれているとしか考えようがないという意味での思惟である。(123~125頁)


著者の説明はゆきとどいていて、以下の点に言及することを忘れません。

  • 聖書においてはっきり言っていることは、選びということである。では、選ばれない者はどうなるのかという質問も出てこようが、それは……世界観の問いであって、それは神に委ねればよいであろう。我々にとって重要なのは、ただ、神は我々を恵みによって選ぶ、ということである。(125頁)


著者によると、現代もっとも独創的な予定説の提唱者はカール・バルトだそうで、その根底にある神学的モチーフを本書の説明に採用しているとのことです。

JELA事務局長
森川 博己


◆◇◆



【関連リンク】

2018/05/02

【信仰書あれこれ】マザー・テレサの言葉の深み

本欄三十冊目は、マザー・テレサ『心の静けさの中で――カルカッタのマザー・テレサ及び共労者の黙想集――』(キャサリン・スピンク編集、森谷峰雄訳、1990年改装改訂版、シオン出版社)です。

本書にはマザー・テレサの言葉だけでなく、彼女の共労者(co-workers)や彼女の仕事に関連するその他の人々の言葉も含まれています。

以下では、マザー・テレサ自身の言葉のみを紹介します。

◇◆◇

  • 私の秘訣は大変単純です。私は祈ります。そして祈りを通してキリストの愛と一体になります。そして彼に祈ることは彼を愛することになるのです。……世界のスラムにいる私の貧しい者たちは苦しんでおられるキリスとのようです。彼らの中に神の御子は生きておられ、そして死に給います。そして彼らを通して神は本当の御顔を顕されます。祈りは私にとって、一日のうち二十四時間イエズスの御心と一体になり、彼のために、彼を愛して、彼と共に生きることなのです。(1頁)
  • 空でよく電線を目にします。……それらだけでは役に立ちません。電流がそれらの中を通って流れるまで光はありません。電線はあなたであり私なのです。電流は神です。私達には世の光を生むために、電流を私達の中を通らせて、私達を用いさせる力があります。又は私達は使われるのを拒み、暗黒が広がるのを許すことができます。……あなた方の各々が聖くなり、神の愛があなたが行く所は何処でも広がるように祈ります。彼の真理の光がすべての人の生活にあり、神があなたと私を通して世を愛し続けることができるように。(7ページ)
  • 祈ることが難しいときこそ祈るように努めなければなりません。最初に用いる手段は静けさです。というのは、祈りの霊は非常に深い沈黙の霊であるからです。私達はもし内的及び外的沈黙を実践しないなら、神の現存に直接身を置くことはできません。……静かな祈りの中で多く受け取れば受け取るほど、私達は……それだけ多く与えることが出来るのです。(28~29頁)
  • 聖性は少数者のぜいたくではありません。それはあなたと私との単純な義務なのです。……私達の聖性が進展するには神と私達自身が係ってきます――神の恵みと、聖になろうとする私達の意志が係ってきます。私達は聖性に到達しようとする、真の、生きた決心を持たなければなりません。……心から神に満たされたいと思うなら、私達の中にあるあらゆる利己的なものを謙遜によって取り去らなくてはなりません。……神があなたに与えて下さるものは何でも受け取り、彼があなたから取り去って下さるものは何でも彼に渡すなどして、神の恵みがあなたの霊の中で働くように心掛けなさい。真の聖性は神の意志を笑顔で行うところにあります。(36~37頁)
マザー・テレサの本はどれも霊的で深い内容に満ちていますが、手に入れやすいものとしては、『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』(ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編、渡辺和子訳、2,000年、PHP文庫)をお勧めします。

JELA事務局長
森川 博己


◆◇◆

【関連リンク】

2018/05/01

【チャリティコンサート2018】出演者、巡演スケジュールのご案内

JELAが毎年春に全国で開催している「世界の子ども支援チャリティコンサート」。15回目の今年は、5~7月の週末に、昨年を上回る17会場を巡ります(日程は本記事下の表参照)。 

今年のコンサートは、三年連続のご出演となるヴァイオリニストの真野謡子さん、そして初出演のギタリスト松田弦さんによるデュオをお届けします。

【出演者プロフィール】
©Shigeto Imura
真野 謡子(まの・ようこ)
山口県出身。オランダ・デンハーグ王立音楽院卒業。Netherlands String Quartet Academy, ロッテルダム音楽院にて、さらに研鑽を積む。ヴェルビエ音楽祭、ルツェルン音楽祭アカデミー、オードバラ音楽祭、小澤征爾音楽塾などに参加。2010年春には、パレスチナにて、バレンボイム=サイード財団の教育プロジェクトに携わる。スペイン・バレンシア州立歌劇場オーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団、Malaysian Philharmonic Orchestraのフリーランス奏者として演奏。現在、欧州、アジア、日本において、ソロ・室内楽・オーケストラで幅広く活動中。これまでに、光永俊彦、佐久間礼子、Theodora Geraets, Ilona Sie Dhian Ho, Gordan Nikolicの各氏に師事。室内楽を安永徹、市野あゆみの両氏に師事、研鑽を続けている。また、Mauricio Fuks, Zakhar Bron, Ana Chumachencoの各氏のマスタークラスを受ける。
©Waki Hamatsu
松田 弦(まつだ・げん)
高知県出身。高知県立岡豊高等学校音楽コースギター専攻、早稲田大学卒業。2011年から2年間フランスのストラスブール音楽院に学んだ後、オーストリア、イタリア、スペインで研鑽を積む。アリカンテ大学(スペイン)主催のマスター修士課程修了。 これまでに、松居孝行、村治昇、新井伴典、今村泰典、アレクシス・ムズラキス各氏等に師事。2009年第52回東京国際ギターコンクール第1位、2013年アントニー国際ギターコンクール(フランス)第1位(あわせて課題曲賞と聴衆賞を獲得)をはじめ、2000年~2013年のあいだに国内外8つのコンクールで第1位受賞。日本各地を始め、オーストリア(ウィーン、コンツェルトハウス)、フランス、ドイツ、タイ、フィリピンなどでもリサイタルを行う。

【プログラム】
  • ルーマニア民俗舞曲(B・バルトーク)
  • アヴェマリア(F・シューベルト)
  • ソナタコンチェルタータ イ長調 M.S.2(N・パガニーニ) ほか
※曲目は都合により変更となる場合があります。

入場無料ですが、コンサートの途中に席上で自由献金をお願いします(※熊本教会のみ¥1,000の協力券制)。集まったお金は昨年同様に、熊本地震による被災学生の学費支援に用います。

ご家族やご友人とお近くの会場へお越しいただき、
ヴァイオリンとギターという2種類の弦楽器によるコラボレーションを楽しみながら、熊本の被災者の方々への連帯をお示しくださればと存じます。 

【2018年コンサート日程】
日付開演時刻会場
5/12(土)午後2時日本福音ルーテル岡崎教会(愛知県岡崎市)
5/13(日)午後2時同 沼津教会(静岡県沼津市)
5/19(土)午後1時30分同 挙母教会(愛知県豊田市)
5/20(日)午後1時30分 保谷教会(東京都西東京市)
5/26(土)午後2時同 甲府教会(山梨県甲府市)
5/27(日)午後2時同 清水教会(静岡県静岡市)
6/16(土)午後2時同 刈谷教会(愛知県刈谷市)
6/17(日)午後1時同 都南教会(東京都世田谷区)
6/24(日)午後1時30分同 名古屋めぐみ教会(愛知県名古屋市)
6/30(土)午後2時同 松本教会(長野県松本市)
7/1(日)午後1時30分同 高蔵寺教会(愛知県春日井市)
7/6(金)午後7時同 栄光教会藤枝礼拝堂(静岡県藤枝市)
7/7(土)午後3時同 むさしの教会(東京都杉並区)
7/8(日)午後2時同 宇部教会(山口県宇部市)
7/15(日)午後2時同 神戸東教会(兵庫県神戸市)
7/21(土)午後2時同 熊本教会(熊本県熊本市)
7/22(日)午後2時同 西条教会(広島県東広島市)


米国ワークキャンプ2018 申し込み終了しました


申し込み締め切りました。
応募ありがとうございました。

米国ワークキャンプ2018募集要項


◆ 派遣期間: 2018年7月25日(水)~8月7日(火)

◆ 内  容: ペンシルベニア州で一週間のワークキャンプ(家屋修繕、
  聖書の学び等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加
  し、近隣の州でホームステイもします。

◆ 参加費用: 20万円 ※「友達割引」:複数で申し込んだ場合、
  1人につき5千円割り引きます。
     注意:以下の参加費は全額個人負担となります。
  パスポート・ビザ取得費用、海外旅行保険費用、派遣確定者向け説明会
  会場(JELAの予定)や出発・帰国時の集合場所(成田空港)から本人の
  居住地までの交通費及び前泊・後泊する場合の宿泊費。


◆ 問合せ・申込用紙請求先:
    150-0013 渋谷区恵比寿 1-20-26  
        日本福音ルーテル社団(JELA)
        「アメリカ・ワークキャンプ」係り
   電話:03-3447-1521/ファクス:03-3447-1523/
        E-mail: jela@jela.or.jp /  HP: www.jela.or.jp

選抜方法:2018年4月末日までにJELAに到着した申込書から派遣者を
  決定し、5月上旬までに連絡します。

        <注意事項>
2018年8月1日現在で14歳~20歳の方が応募できます。
クリスチャン(教派は問いません)でもノンクリスチャンでも参加できます
  が、聖書を学び話し合う時間が毎日あり、すべての行事に積極的に加わ
  ることが求められます。
数名の日本人成人が同行し、霊的・言語的側面から日本人参加者を
  支えます。
派遣確定通知受領から出発までの間にキャンセルなさる場合は、事情を
  お伺いした上で、その時点までに発生した費用の一部または全部をご請
  求することがあります。また、新型インフルエンザの蔓延その他、諸般の
  事情により派遣を中止する場合があります。JELAからキャンセルする場
  合は、払込み済みの参加費はすべてご返却します。
渡航にはパスポートが必要となりますので、お持ちでない方、更新が必
  要な方は、派遣確定通知受領後速やかに取得手続きを行ってください。
⑥ 帰国後十日以内に千字前後の感想文(デジタルデータ)を作成してJELA

  に送信してください。

以上


ワークキャンプの趣旨や内容が分かる動画です。ぜひご覧ください。(約15分)


https://drive.google.com/file/d/0BztUIJKOqZmVQ0lkOTg3SWlfV2c/view?usp=sharing









 

【信仰書あれこれ】村岡花子のエッセイ集

村岡花子『曲がり角のその先に』(2014年、河出書房新社)をとりあげます。いろいろな雑誌に発表されたエッセイをまとめたものです。

著者は『赤毛のアン』を日本に紹介した人物。書名は、同書の終わり近くに出てくる、次のシーンからとられています。

年老いたマリラの視力に大きな問題が出てきました。事情を知ったアンは、家から通うには遠すぎる大学の奨学金を辞退することにします。孤児の自分を育ててくれたマリラを一人ぼっちにはできないからです。一方マリラは、やさしいアンが一緒にいてくれるのは嬉しいものの、将来の夢を捨ててまで自分に尽くそうとする姿に、やるせない気分になります。そんなマリラにアンはこう話しかけます。

「マリラ、この一週間というもの、ずっと考えていたのよ。私はここで生きることに最善を尽くすわ。そうすれば、いつかきっと、最大の収穫が自分に返って来ると思うの。クィーン学院を出た時は、私の未来は、まっすぐに一本道のように目の前にのびていたの。人生の節目節目となるような出来事も、道に沿って一里塚のように見わたせたわ。でも、今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がった向こうに、何があるか分からないけど、きっとすばらしい世界があるって信じているわ。」(松本侑子訳『赤毛のアン』集英社文庫、441頁)

『曲がり角のその先に』から、花子のキリスと信仰をうかがわせる二つのエッセイをご紹介します。


◇◆◇

●「こわされた時間表」(本書41~43ページ)初出1940年

若い教師が、一晩かけて作り上げた教案を手にクラスに臨みます。そして、今日の一時間でここまで教えようと、元気に黒板にチョークを走らせます。その時です。「先生!」と、もみじのような手が上がり、何日も前に教えたことを訊くのです。(まだ、わかってないの、と舌打ちしつつ)計画どおりに教えたい気持ちを抑えて、他の生徒に説明させようとしたところ、その子の受け答えも要を得ません。教師は仕方なく、一時間全部をこの問題に費やします。計画はおじゃん。著者は次のようにエッセイを締め括ります。

「もし、あの無邪気なる一人の少女が手を挙げなかったとして、計画どおりに教案が進行したとしたら、それは何と、土台の薄弱な知識であったろう。その前に、必要な土台石がまだ据えられていなかったのだ。その朝の学科は「砂の上に建てられた家」(森川注:マタイ福音書7:24~29参照)と成り果てるところであった。破られた計画、私たちの時間表をこわす邪魔、その邪魔の中にもまた、意義が潜んでいる。」

●「一つの心境」(本書57~58頁)初出1953年

中世の寓話――神が一人の天使に、悪魔の持つ数々の誘惑をとりあげてしまうように命じます。天使は悪魔のところに下り、人間を惑わすために用いた誘惑をすべてとりあげると宣告します。これに対して悪魔は、すべてを返納するが、「悲観」という極めて小さい、つまらなくて何の害にもならない個人的な誘惑だけは、持たせておいてほしいと嘆願します。天使は、悲観が単なる個人的な心境であり、積極的な害を生み出すものでないと判断して、悪魔の求めに応じます。

これに続けて、著者は「悲観」の本質を次のように説きます。

「悲観につづくものは憂鬱と頑固と怠慢と不勉強と、あらゆる不愉快、有害な生活態度である。……希望を失うところにさまざまな悪が入り込んでくる。無気力になり、非協力的になり、恨みと怒りと嫉妬と、その他すべての不愉快な人情が生じてきて、そして我々の住んでいる社会を住みにくい、文化性のない、低俗なものにするのに拍車をかける。(中略)希望なき時代ということをしばしば耳にし、また口にするものだが、それは軽々しく言ったり聞いたりできない重大な意義を含んでいる。希望なき時代たらしめないためにこそ努力しなければならない、得々として絶望を叫んでいるべきではないと思う。」

河出書房新社からはもう二冊、『腹心の友たちへ』『想像の翼にのって』という村岡花子のエッセイ集が出ています。『曲がり角のその先に』と同様に、『赤毛のアン』ファンにはおなじみのフレーズです。

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆




【信仰書あれこれ】苦しみや悲しみの意義

堀肇著『新版 こころの散歩道』(1998年、新版は2008年、いのちのことば社)をとりあげます。本書の内容は、「本来キリスト教信仰とは何か、教会とは何かを神学的問題としてではなく、日常生活から吟味するものとなっています」(帯文)

悲しみや苦しみの意義を考えるエッセイを三つご紹介します。それぞれが意味を補完し合っています。

◇◆◇
<喜びと悲しみは共に>
  • 問題を取り除きたい、解決したいとの願望があるということは、心のどこかで苦しみや悲しみというものは人生に邪魔なもの、悪いものだと考えてしまっている部分があるのではないか。(26頁)
  • 普通、私たちの人生態度は問題解決先行型なのです。これは仕事の上では結構なことで、そうしなくてはならないのが人間の生活です。ところが、……人生全般に対してこういう態度一辺倒ですと、苦しみや悲しみがやってきたとき、それと同じように、とにかく解決したい、取り去りたい、とばかり考えるようになってしまうのです。それがどんな意味を持ち、価値をもっているかというようなことにあまり頓着しないで、悪いものとして退けてしまいます。(27頁)
  • 信仰も問題解決型になりますと、幸せや喜びだけを歓迎し、苦しみや悲しみを退け、両者を切り離してしまいます。これは本来のキリスト教信仰とは言いがたいものです。(27頁)
  • 喜びと悲しみは仕方なく同居しているのではなく、本当に深みのある霊的な世界では、それらが調和的に存在しているように思えます。というより、実はこの二つはお互いを必要としていると言っていいかもしれません。つまり、本当の喜びは悲しみを通して現れてくるということです。(28頁)
  • 悲しみや苦しみというものを迷惑なもの、あってはならないものとして取り除こうとするならば、実は喜びも失うようなことになるのではないでしょうか。……イエスも「私の喜び」(ヨハネ15:11)と言われた喜びを十字架の苦しみを通して私たちに与えられた、という事実を心に刻んでおきたく思います。(29~30頁)
 <傷はあってもいい>
  • 人間は自ら痛むという経験がなければ、対人行動が奇妙で不可思議なものになってしまう可能性も出てくる……。ソロモンは『箴言』の中で、「心配している人の前で歌を歌うのは、寒い日に着物を脱ぐようなものであり、ソーダの上に酢を注ぐようなものだ」(25:20)と言って、人の心の痛みに対する無感覚を戒めています。(37頁)
  • 信仰というものは一つ方向がずれると、悩みの解決ばかりに焦点が置かれ、祈りにしても、癒され、解放されること、つまり苦痛の除去ばかりを求めるものになる可能性が出てくる……。(37~38頁)
  • 傷の痛みとは苦痛を伴うものですが、それは必要な、また健康な感覚であるということ、そして信仰はそういう感覚を無視したり軽視したりするものではないということです。むしろ信仰をもつということは痛みの現実をよく知り、その苦痛に共感できるようにされていくことではないかと思うのです。(39頁)
<摂理の秘密のうちに>
  • 人生の問題は、どんな種類のものであっても、そこには何らかの哲学的、宗教的(霊的)意味合いが含まれている(中略)。あまり原因や理由ばかり追求しないように……それをしますと、最後にはだれかを犯人にしないと落ち着かなくなるからです。それより、今この出来事が起こっている意味を考えて見ること、クリスチャンならば、神がこの出来事の中で何を語ろうとしておられるかを祈りの中で黙想し、洞察を深めることをお勧めする……。(43~45頁)
  • 出来事に対する意味についての洞察が深まりますと、それまで問題であると思っていたことが、あまり大したことではない、憎らしいと思っていた人が本当はいなくてはならい大切な存在なのだ、と思われてくるような瞬間が、突然に、あるいは徐々に訪れてくるのを体験することがあります。……それこそパスカルが言う「摂理の秘密のうちに隠されている分別」であり、本当の意味の解決である、と言っていいのだと思います。(45~46頁)
それぞれのエッセイ中に、関連聖句や別の信仰書からの引用があり、学習を深めるのに役立つ配慮がなされています。

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

2018/04/27

【信仰書あれこれ】わかって、わからないキリスト教

渡辺善太(1885-1978)著『わかって、わからないキリスト教』(1975年、ヨルダン社)をとりあげます。1960~70年代に著者が銀座教会で行った説教をほぼそのまま書き起こしたようで、臨場感豊かです。

以下では、81歳の時の説教「選びの意味転換」のエッセンスをご紹介します。

◇◆◇

本論に入る前に、著者の議論の前提を以下に要約しておきます。
「日本人はキリスト教を信じる時に、自分の力でそれを選んだという意識が強いが、自分で決めたと思っている限り、捨てることも簡単。日本人クリスチャンが洗礼を受けながら長続きしないのには、このことが関係している。要するに、真のキリスト教が分かっていない。自由主義神学も同じで、自分が満足しない教えは捨てるし、合理的だと思える部分だけを受け入れる。つまり、聖書を心から信じて、その前に頭を垂れて聞き従うということをしない」。

以下、本論です。
  • 「自己反省の始まらない信仰」というのは偽物なんだ。(中略)教会へ行って洗礼を受けるようになるまでには、「多くの目に見えない関係していたことが」ずうっとわかってくる。こうなってくると、俺が選んだとは思うが、誰が、ということなく準備がせられていた、ということに気づく。これが信仰による反省です。で、ことに自分自身の過去の生活が反省されてくる。あんなこと、こんなこと、喧嘩したこと、恨んだこと、……そういうことがあったからこそ、徐々に信仰に近づくようになったのだなあと思われるようになる。ここに、そう、「俺が選んだ」という絶対的な自力の宗教の「転換」が現われている。(中略)この翻りができないと、教会もわからない、説教もわからない、牧師も分からない。(52~57頁)
  • 反省の「極」、選びということの「極」が、「神は……天地の造られる前から、キリストにあって私たちを選び……」(エペソ1:3から)。ここまでいく。もう「母の胎内から」、じゃない。私というものがおよそ存在しなかった時から、神の御旨には私があった。天地が創造される以前から、キリストにおいて私を選んでおいてくださった――これがキリスト教で言う本当の「選び」というものです。ここから下がってきて、何のために選びたもうたか、すなわち神の選びの目的ということに考えがいく。そしてそこに使命感が生まれてくる。……この使命の「ために」選ばれたんだ、という「使命感」が出てくる。(58~59頁)
  • 神によって、私は選ばれた。人の誉れを求めるためじゃない。こういう人々のね、本当の満足は内なる満足です。死ぬ間際まで本当に心の奥底から使命に尽くしたという喜びだ。……人にはわからないが俺はあの神様に選ばれた、それで私は存在しているんだ。それで私は毎日の仕事をしているんだ。どうです。本当にこの自覚が内に持てたら――(61頁)
  • この選ばれたという信仰は、もう一度翻らなきゃいけない。選ばれたからその選びを実現するという、この翻りがあって初めて「選び」が起こる。「選ばれて選ぶ」。パウロはキリストに言ってるでしょう。「キリストこれを得させんとて我をとらまえたまえるなり」(ピリピ3:2)。捉えられて取る。選ばれて今度は選ぶ。すなわち他力と自力が完全に一つになる、とでもいうことになるのです。選びにおいて選びとる。今日やったことに満足しない。もう明日は新しく選びとる。……昨日の繰り返しじゃない、去年の繰り返しじゃない。やることは同じように見えても内容がまるで違い、自覚が違うんだ。……選ばれて選びとる、捉えられて取る、知られて知る――これが聖霊の業です。(62頁)
  • 聖霊の業はたくさんありますが、第一に聖霊は、信仰に入るまで、私どもが知らないうちに私どもを導いておいでになる。同時にまた、今の選びがわかってのち、聖霊は我らの内に働きたもう。「神は御心をなさんために汝らの内に働き、汝らをして志を立て、業を行わしめたまえばなり」(ピリピ2:13)。……聖霊が私どもの内に働きたもうて、他動的に、ではない、私どもの意志を奮起さしめたまいて、私どもをして御心を行わしめたもう。……聖霊というと、気狂い(*差別語でしょうが、原文のまま引用)のようになることと思うと、そうじゃない。静かに静かに、神が私どもの内に働きたもう。その御心を行わんために私どもの内に志を立て、これを行わしめたもう。こうなってくると、「選び」ということが第三段階になってきて、選ばれて選ぶ、捉えられて捉える、知られて知るという本当の意味の一致が起こって、渾然と「ひとつ」になる。これが選びという意味の転換です。どうか、最近に洗礼をお受けになった方、四十年、五十年信仰生活におられる方、私どもをも含めて一同、この福音の心底の理解ができて、そして社会的政治的な一切のことへの目が開かれるように。まず根源的には、このことが経験されるようにしたいと思います。(62~64頁)
著者の説教は、『銀座の一角から』(ヨルダン社)『日本の説教者9 渡辺善太(日本基督教団出版局)』や、ヨベルから出ている著作集などから読むことができま

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

2018/04/25

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】「JELA NEWS 45号」掲載の寄稿文 オリジナル一覧


リラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座が201831日の第6期生の修了証書授与式をもって12年間の歴史に幕を閉じました。講座修了者総数は38名。多くの方たちが病院・ホスピス・施設などでパストラル・ハープの奉仕にたずさわっておられます。終了に際して、修了生と講師陣にご寄稿いただいたオリジナル文章を掲載します。

エッセンスを掲載した紙面版をご覧になりたい方は、以下のリンク先(「JELA NEWS45号」電子版の紙面P2-7頁)をご覧ください。

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 修了生の寄稿文

 

 【講師の寄稿文

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リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

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【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】Lyra Precaria Director Carol Sack キャロル・サック(英語オリジナル)

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。
※今回掲載する、キャロル・サック宣教師の原稿は、英語がオリジナルとなります。
日本語に翻訳し、一部編集したものを読みたい方は、以下のリンク先(「JELA NEWS 45号」電子版の紙面P2-3頁)をご覧ください。
http://www.jela.or.jp/newsletter/jelanews/jelanews45.pdf

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Lyra Precaria
Director Carol Sack

When I was finishing my two years of intense studies and training in the US to become certified as a music thanatologist (音楽死生学士)I was asked, “How are you going to offer this work when you go back to Japan?” It was a question I had been asking myself, because this work (what we in Lyra Precaria call “pastoral harp”) is a very unique way of doing service, a completely new way of thinking about music.  I knew that I would be the only person in Japan to have this training. However, when I was asked this question, to my surprise, an answer came forth immediately, from some place inside of my soul.  I replied, “I don’t know exactly, but I know that there will be a way for me to do this work, because the work is important and this work is TRUE.”  What I meant by that is that this work honors the dignity of each human being, no matter what their identity, religion, background, gender or societal position. It honors them because they are a human being, and, as such, a beloved child of God. This, to me, is work that is TRUE.
 
Shortly after that, a medical doctor asked me the same question. I answered him with the same reply. Then he gave me a valuable word of advice~ one which I again knew in my soul to be 確実 true. He said, “They will come to you.” In other words, he suggested that I should not try too hard on my own to introduce this work in a different culture, but rather I should wait for the invitation to come to me.

So, when I returned to Japan in 2002I had a sense of peace that the Lord would open the right doors for me to serve. But I had no idea what kind of doors God would open for me. That was a complete surprise. My hope was to quietly offer this pastoral work in some institution, preferably with those who are homeless or without support. When I met the people of きぼうのいえ, a hospice for homeless persons, they welcomed this work for their patients. I was also invited to serve for relatives and friends of people I knew. With these opportunities, I felt thankful that God had answered my prayers to serve in Japan.

But I guess that was not all that God had in mind. To my surprise, Lowell Gretebeck, who was the head of JELA at the time, asked me to consider teaching this work to Japanese persons. Although I was honored to be asked, I knew it would be impossible for me to do so. However, as I prayed about it, I realized that what is impossible for us humans is not impossible for God. If God is calling me to do this, then God will supply the people, the resources, the guiding concepts, the students and the institutions to cooperate- everything. And, how fortunate I was to have the generous support in every way through JELA’s mission work. Eventually, in faith, I said, “Yes.”

Now, after twelve years, I am in awe of how God has provided everything that we needed: a beautiful and appropriate physical setting (complete with multiple harps!), superb teachers (special gratitude for the amazing music teachers), dedicated JELA support staff, a curriculum solidly based in pastoral-spiritual care, excellent visiting lecturers and the cooperation of the Japan Lutheran College, and now 38 dedicated graduates who are offering their service voluntarily in institutions in various places throughout Japan and Australia. Never did I dream that God had such a picture in mind!

My goal is that we might, by quiet work, raise the level of compassion in Japanese society, not through grandiose plans and movements, but rather one-by-one. For that is how God comes to each one of us, quietly, one-by-one.

Moreover, God has opened doors to share the Story, the Great Story of Christ’s forgiveness, Grace and hope, in places I never would have imagined that we could go.  After 3-11, we have shared the music of prayer in public schools and temporary housing in 東北。We have shared the story and song in countless universities, in prison, for medical professionals, for businessmen, for music-related groups, and of course in churches. 
 
Although the course itself is now drawing to a close, the work continues! I am full of thanksgiving for each person who has taught and studied and worked together in these twelve years. (I must say a special word of thanks to my supportive husband, too!) “Lyra Precaria” is the result of a huge team effort. It is not in any way the work of one person. My life has been immeasurably enriched as a result of getting to know so many excellent people who have given so much of themselves to be of service to others. How blessed I have been!

Finally, my prayer of gratitude goes to the patients, who are our only true teachers, in this work, as well as in life, death and faith itself. It is they who teach us what is ultimately true, what is of lasting value, and how precious each and every human life is.

So, in your own life, as you find what is “TRUE, “ remember: “They will come to you.” God will open the way for you to share His Truth of Love with others, and it may be in ways you never expected.


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【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】私に必要だった8年間 ハープ講師 火ノ川京子

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

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私に必要だった8年間
ハープ講師 火ノ川京子

この8年間、リラ プレカリアで良き働きをさせていただけたこと、感謝します。不思議と、亡くなる前の日にお見舞いに行く機会があり、そのたびに、私の頭の中で、ジーザス リメンバー ミーのメロディーと歌が流れました。始めは、うろたえました。一生懸命否定しました。でも今は、この曲が流れるたびに嬉しくなります。みことばの約束があるからです。日本語の歌詞は、イエスよ、御国においでになる時に、イエスよ、私を思い出してください、です。そして、こんな歌詞も与えられました。まことに、あなたに、告げます。あなたは今日、わたしと共にパラダイスにいます。

キャロル先生、中山先生と筆者(右)
リラ プレカリアは、2年間の学びです。私は3期生から6期生まで、8年間共に学ばせていただきました。キャロル先生に習いたい、1期生になりたい、という願いは、叶いませんでしたが、その4年後、クリスチャンのハープの先生を探している、ということで、ハープの講師となりました。神様は、本当に不思議なお方です。受講生達は、2年で修了しますが、私は8年間、必要だったのでしょう。

ある時、キャロル先生に聞きました。どうしたら、キャロル先生のように弾けるようになりますか?答えは、火ノ川先生には、技術があります、でもキャロルには無いので、イエス様に頼るしかありません。キャロル先生の信仰に脱帽です。

歌の康子先生、直美先生とこのリラ プレカリアの働きに共に携わらせていただけたこと、この8年間は、宝です。LDMも与えられました。神は実にそのひとりごをお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。リラ プレカリアの修了生のみなさんが良き働きで用いられますよう、お祈りしています。エペソ2-10

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【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】リラ・プレカリアに関わって思うこと ヴォイス講師 渡辺直美

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

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リラ・プレカリアに関わって思うこと
ヴォイス講師 渡辺直美

私のリラ・プレカリアとの最初の出会いは映画館の中でした。山田洋次監督が好きで観に行った「おとうと」でわずかな時間映し出されたハープを奏で歌う女性の姿。そのシーンはとても印象深く、映画が終わってからもあれは何の音楽だったのだろうと心の中で何度も蘇ってくるのでした。それから少ししてその映画の中の女性と出会い、リラ・プレカリアという音楽の中に身を置くことができるようになるなんて、神様はなんと粋
なはからいをされるのだろうと偶然ではない何か不思議な糸で手繰り寄せていただいたようなそんな気持ちになりました。

左から2人目が筆者
リラ・プレカリアの講座で歌を担当するにあたって、キャロル先生のハープと歌を横たわりながら初めて聴かせていただいたときのあの感覚は今でも忘れられません。目を閉じているのに目の前はとても明るく輝いていて、まっすぐに空へと続く線が天国への道しるべのように感じました。体は全身マッサージを受けたかのようにほぐされ、温まり、プカプカと浮いていてきっと母のお腹の中ってこんな感じなんだろうなという思いに包まれたのでした。リラ・プレカリアがどんなに素晴らしく必要とされる音楽であるかをこの体験を通してすぐに知ることができました。

 私の祖父はもう長いこと耳が悪く、会話をするときは筆談を求めるくらいでした。なので祖父と最後に会ったとき聴こえないかもしれないけれど、と思いながらも耳元でたくさん歌いました。その時の祖父の表情は今でもはっきりと覚えています。目にいっぱい涙をためて、時に流しながら一緒に口ずさんでいるかのように唇を動かしてくれていました。人は呼吸を通して寄り添いに触れたとき、耳の良し悪しや様々な症状に関係なく、祈りの音、声はきちんと届いているのだと強く実感した瞬間でした。それは門が開かれ神様の元へ帰る準備がなされている愛の証なのかもしれません。『私たちの国籍は天にあります。』と聖書にあるように。「安心してこちらへいらっしゃい。」と両手を広げ待っていてくださっているのでしょう。リラ・プレカリアは痛みや苦しみ、深い孤独から解放され、神様へと繋がる光の道のように思っています。ただただありのままの姿を抱きしめてくれる祈りの音楽。この音楽がいつまでもどこかで誰かのために奏で続けられることを、沁々と今は願うばかりです。

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【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】リラ・プレかリアの12年間に想うこと 講師 中山康子

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

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リラ・プレかリアの12年間に想うこと
講師 中山 康子

開講当時は、18ヶ月(初回のみ)で何をどのようなプロセスで講義や授業を運ぶのか、私たち教師陣には先の見当がつきませんでした。日本の風習や慣習のこともあって、キャロルさんも手探り状態だったと思います。一期生が決まって、いよいよ開講に先だつ3月、教師3人で合宿をしました。八ヶ岳・富士見のベネディクト修道院では、必須になる音楽の課題11曲(2期以後は12曲)の選択をしながら、詩編をたくさん歌うミサに参加し、男性修道士が焼く出来たてのパンを味わったのは懐かしい思い出です。当時は母のデイケアを恵比寿の付近にお願いして、 5時にJELAに送り届けていただいていました。ハープの神藤雅子先生は、著名なハーピストとして凜としていらして、ハープのレッスンは、基礎に厳しいレッスンでした。うって変わって、休憩の時の笑いの絶えないリラックスした雅子先生は、リラ・プレカリアの発足時に神様が派遣してくださった特別な人材でした。雅子先生は2期まで教えてくださいました。

時にはお断りするほどの応募をいただいたものの、毎回、次期は開講できるかと不安定な時期を過ごしたものです。このプログラムは6期で修了することになりましたが、これで本当に終了なのだという実感が未だ湧きません。

3期以後はスタッフ全員クリスチャンでしたので、受講生の中にノンクリスチャンがいてくださることは、とてもありがたいことでした。と申しますのは、プログラムを修了して用いられるのはほとんどがノンクリスチャンへのご奉仕です。講義の内容は、 詩編を中心にしていますから、当然キリスト教を基本にした内容にはなるのですが、キリスト教の押しつけにならないように留意することを念頭に置きました。講師として公開講座にお出でくださった方々には、キリスト教界以外に仏教・神道にも通じる、独善的にならない一般的な内容を盛り込んで教えていただきました。
講師にも修了生にも、クリスチャンが多数ですが、家の宗教は仏教だったり、神道だったりとお互いの信じるところを尊重しながら授業を進めることが出来ました。

第2期からは2年間のプログラムになりましたが、それぞれの2年間という時間には、いろいろなことがありました。親しい家族を亡くしたばかりの受講生、親しい方を看護したり、看取ったり、家族の急死の連絡を受けたり、本人の手術が必要になったり、お子さんの結婚がまとまったり、お孫さんの誕生があって子育ての応援にかり出されたり、2年間という期間に人生の大きな節目を経験する受講生が、 教師たちにとっての「先生」でした。リラ・プレかリアを学んで、社会への奉仕を目指したもののむしろ牧師となる道を選んで中途で止めるなど、ごく数名の受講生以外90%以上が、思わぬ経験をしながらも修了を遂げました。その中でも東日本大震災に見舞われ当初は遠距離バスも新幹線も不通になり、津波が汚泥を運び込んだ自宅の庭先に知らない人が流されて亡くなっているという受講生には東京から教師たちが援助物資を運び顔と顔を合わせて無事を確かめたり、また自宅のテレビが地震で窓外に落下するほどの揺れを恐れてオーストラリアに「奇跡」の脱出をした方もいらっしゃいました。北海道から山形、秋田、 福島、奈良、兵庫から、遠距離を毎週通ったかた、このプログラムのために退職金をあてて学んだ方々。一人ひとりのことをこころに留めています。修了生とは、久しぶりに会うことがあると日本的ではありませんがハグするほど親しくなり心が繋がっている思いがして忘れられません。今や、修了生は北は北海道、南は沖縄に広がり、オーストラリアにも進出し、関東では千葉や神奈川、埼玉、東京で奉仕の場を得て用いられています。

想えば、開講のための相談会で、リラの名称が生まれる時にはリラ・プレかリアと決まるまで紆余曲折がありました。詩編の学びに必要な順境・逆境・新境地の用語を提案されたのは、左近豊先生でした。パソコンで、DVDを作成して授業に臨んだり、パワーポイントを駆使して公開講座を準備したり、事情で欠席の受講生には授業のDVDを作成して配布しそれを見た感想の提出で出席に替えたりと文明の利器にも恵まれました。

シシリー・ソンダース医師がイギリスでホスピス病棟を始めたのが1967年とのことですが、リラ・プレカリアのプログラムを考え始めた2005年頃は、日本ではボランティアとして、ホスピスにかかわることあるいは看取りにかかわることはなんとなくタブー視されていることに踏み込むような感触がありました。映画「お葬式」が1984年に公開されたものの、リラ・プレかリアの訓練を続けている間に「おくりびと」(2008年公開)、2010年の「おとうと」公開など社会的に多くの関心を集めるに至り、時代の波がリラ・プレカリアの必然性を後押しした感があります。2期の途中から参加したオレゴン州のリチャード・グローヴ氏の「尊厳ある生と死」(Sacred Art of Living and Dying)コースに通いながら、死のことをこれだけオープンにするには日本では少なくても30年は早いのではないかと感じたことを覆される思いでした。

2年間のプログラムの途中でも受講生からの紹介で外部から特別講師をお願いすることにしたり、受講生のアンケートによって授業内容を考察したり、これら柔軟な授業内容を可能にしたのは、JELAの当時のディレクターのロウェル・グリテベック氏、事務長だった古川文枝氏に後押しされたキャロル・サック宣教師の深い信仰に根ざした人間信頼に依るところが大きいと感謝し、その後継承された中島愛氏、奈良部慎平氏、森川事務長他JELAのスタッフと、そして何よりもそのすべてを導き、守ってくださった神様に感謝あるのみです。sdg

神の国と神の義をまず求めなさい、
  すべてのものは与えられる、ハレルヤ。

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