熊本在住の長期宣教師のジャッキー・ベンケさんからレポートが来ましたので、ご紹介します。
英文を読みたい方はこちらをご覧ください。 Jacqueline Bencke's original article can be found here.
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熊本でよく見られる狭い道のどこもかしこも、ごみの山が高く積み上げられています。地震で壊れた家が生み出す廃棄物がどこまでも続いているのです。英語に「picking up the pieces」(欠片を拾う)と言う慣用語句があります。災難に見舞われた際に、残されたものを探し求めて、より良いものに修復することです。日本語で言うなら、「金継ぎ」がこれにあたるでしょうか。
3週間でたくさんのことを学びました。地震は恐ろしいだけで楽しくはないこと、思った以上に水を使っていること、そして、いざ水道が使えなくなると生活が苦しくなることなど、本当によくわかりました。
近所の方たち、今まで付き合いのなかった方たちにも手を差しのべて、助けあうことの素晴らしさを実感しました。夜中に家をノックして、お年寄りに腕を貸しながら、真っ暗な中で急な階段を一歩ずつおりたり、漆黒の闇を歩いて隣の公園まで毛布を届けたり……。こういった作業は朝から晩まで連日続きます。近所のみんなで、安全を確認しあったり、飲み水の確保に心を用いました。
子どもたちの親として、震災を味わった人々の友として、教えている学校の同僚として、学生を導く教師として、そして米国に住む親の子どもとして、パトリックと私は、神さまにお導きを深く祈り求めながら、一歩一歩前に進んでまいります。
私たちは神様ご自身と、その大いなる力に絶大な信頼を置いています。授業でも生徒に信仰について教えていますが、本当に難しいのは、生徒に(そして自分自身に対しても)神様に信頼することを教えることです。信頼と信仰はつながっているものの、神様を信頼することは、神様を単に信じることや神様の思いを知ること以上のものです。私たちが今、たとえこのような壊れた状態であっても、神様は私たちを、金継ぎのようにきめ細かく丁寧に、必ず修復してくださると信じています。
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