JELAは2月12日から22日にカンボジアでのワークキャンプを行いました。今回は19歳〜22歳の大学生7名とカンボジアを訪れ、JELAの現地パートナー団体LHCO(Lutheran Hope Cambodia Organization)が提供するユニバーサルヴィレッジプログラム(Universal Village Program)に参加しました。当プログラムでは、JELAの支援で建てられたプレスクールやLHCOが支援する小学校でのボランティア活動や、地域の名所をめぐるツアーが行われ、参加者たちは日本とは異なる文化の違いや、連日35℃を越す暑さに苦戦しながらも懸命に取り組みました。
キャンプの詳しい模様はこちらから
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JELAの支援で建てられたプレスクールの前にて |
また、カンボジアの歴史と文化を知るために、キリングフィールド、虐殺博物館、地雷博物館などの見学や世界遺産アンコールワット遺跡を訪問するスタディツアーも行われました。中日の日曜日には、カンボジア・ルーテル教会(Lutheran Church in Cambodia = LCCのCity Churchを訪れ、現地の青年と共に日曜礼拝に参加することもできました。
さらに、チャプレンとして同行した日本福音ルーテル復活・高蔵寺教会の徳弘浩隆牧師が、1日の終わりに「ディボーション」の時間をリードし、その日に体験したことを聖書の御言葉を通して振り返り、分かち合う時間をもつことができました。
キャンプ終了後に参加者から寄せられた感想レポートを掲載して参りますので、ぜひご覧ください!
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「近くて遠い彼女と私」
安土 真理奈
広い世界を見てみたくて飛び出すと、そこには狭い世界がありました。トゥールスレン虐殺博物館、キリングフィールドや地雷博物館で悲しい歴史を知るたびに、私は「どうして」神様がいるのに?と、旅のテーマを考えました。「どうして」アキラーさんは少年兵にならざるを得なかったのだろう。クメールルージュの少年兵 と、プレスクールで出会った子どもたちは歳が変わらないのに「どうして」こんなに違うのだろう。
「どうして」あんなにもたくさんの人たちが殺されなければいけなかったのだろう。
現地で出会った子を抱き抱える安土さん(右)
旅の最後に私は、1 人の重度身体障がいの女の子に出会いました。遠い国から来た私の手を彼女のお母さんがにぎり、彼女の隣に座るよう促してくれました。私は 22 歳だ、と拙いクメール語 で伝えると、自分の娘と同じくらいの歳だと、「ノッツニィ(同じ)」と言って笑っていました。「どうし て」神様がいるのに、自分と歳の変わらない彼女はこの小さな小屋から外に出ることはできず、
「どうして」私は大きな海を超え彼女の横に座っているのだろう。遠くて近い彼女に、私は何をすればいいか分かりませんでした。
その時ディボーションで言われた「だってあなたがいるから」というパストール(チャプレンの徳弘先生)の言葉が、小さな私に大きな力をくれました。ノンクリスチャンの私にはまだ、神様がいるのかはわからないけれど、今彼女の横には私がいる。一緒にお菓子を食べ、キャンパーの下手くそなカンボジアのちまき作りを見て笑い合い、背中をさすりました。
帰り際、お母さんは私を抱きしめて、頬を撫でてくれました。クメール語でしたが私には、来てくれてありがとう、と言われ、「私がいる」ことに喜んでもらえた気がしました。彼女に直接何かをすることができるわけではなく、おそらくもう会うことはできない彼女に、何もできなかったけど「何か」はできた。「私がいる」ことに、何か意味を生み出せたと感じました。
同行してくれたLHCOのスタッフと共に
たくさんの「どうして」を考えるディボーションの時間は、私にとってかけがえのないものでした。神様もいるし、あなたもいるし、私もいる。遠く悲しい歴史も、手の届かない彼女も私の中にあることを学びました。何かを大きく変える強い力は、弱い私にはありません。それでも私の中にいる彼女のこと、学んだ歴史、カンボジアでの経験すべてを忘れずに、隣の人から愛したいです。関わってくださった全ての皆様、本当にありがとうございました。 JELAのワークキャンプにご賛同いただけましたら、ぜひご寄付をご検討ください。クレジットカードでのご寄付も承っております。どうぞよろしくお願いいたします。