2018年4月20日金曜日

【求人】日本福音ルーテル社団 JELA 職員募集



一般社団法人 日本福音ルーテル社団(JELA


職 員 募 集

 JELAはこのたび、財務・経理業務を中心に従事していただける職員を募集します。110年以上の歴史を有し、キリスト教の宣教・教育・社会福祉に関する公益事業を推進するJELAの働きに関心のある方は、下記要領によりご応募ください。

●募集職種:財務・経理
●募集人員:1名
●雇用形態:正職員(入社後3か月間は試用期間)
●勤務地 :JELAミッションセンター(東京都渋谷区恵比寿一丁目2026号)
●待遇:
 ①給与・賞与・各種手当=当社団規定による。
 ②勤務時間=9001700 *残業は月20時間以内。
 ③休日・休暇=完全週休二日制(土・日)。各種休暇は当社団規定による。
 ④福利厚生=各種社会保険あり。
求める人材:
①予算作成・決算関連業務を含む財務・経理の実務経験があること。
②世界の恵まれない人々への支援に関心があること。
③キリスト教について受容的であること。
④ある程度の英語力(TOEIC 600点以上など)を有すること。
⑤パソコン操作(メール送受信、ワード・エクセルによる資料作成など)ができること。
●提出書類:
 ①履歴書(直近3か月以内に撮影の本人の顔写真添付)
 ②職務経歴書
 ③最終学歴校卒業証明書
 ④英語力を示す証明書(TOEIC、英検その他の成績・レベルを示すもの)
 ⑤クリスチャンの方は信仰経歴書
   *注1=書類の形式は自由。ワープロ使用可。
*注2=履歴書の住所欄等に常時閲覧するE-mail アドレスを明瞭に記入してください。
*注3=最終面接に進まれた方には、直近3カ月以内の健康診断書をご提出いただきます。
●提出期限:2018515日(当日の消印有効。応募は郵送・宅配のみ受け付けます)
●郵送先 :〒150-0013 渋谷区恵比寿12026 JELA職員募集係
●選考方法:書類選考通過者に対して面接を(場合により作文も)行い決定する。
●選考スケジュール:
 ①書類選考=5月末日までに結果を本人に通知する。
 ②面接=6月中に実施する。*事前にJELAのホームページをよく読んできてください。
 ③内定通知=面接後数週間以内に通知する。
 ④入社時期=201871日 *相談に応じます。

以上
【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

検索キーワード: NGO 求人 職員募集 NPO 難民支援 ボランティア 社団法人 総合職 総合 採用 求職 キリスト教 キリスト イエス インターナショナル 海外勤務 海外出張 語学を生かす仕事 英語力 TOIC TOFLE 英検 ENGLISH インド カンボジア ブラジル アメリカ 国際会議 留学経験 国際開発 国際協力 クリスチャン 就職 就活 求人情報 非政府組織 non-governmental organizations NPO Nonprofit Organization 経理 総務 人事 庶務 Not-for-Profit Organization 人の役に立つ仕事 子ども 子供 支援 ユニセフ  国連 UNHCR United Nations Children's Fund UNICEF 発展途上国 東南アジア 貧困撲滅 国際貢献 仕事 一般社団法人 日本福音ルーテル社団 JELA

米国ワークキャンプ2018 参加者募集!


以下の要領で2018年夏の参加者を5~10名前後募集します。
申込期限は、2018年4月末日(JELA必着)です。

過去のキャンプ参加者の感想は、下記の「JELA NEWS」の記事とブログをご覧ください。
「JELA NEWS 41号」(P1~3)

2017年米国ワークキャンプ参加者記事

皆様のご応募をお待ちいたしております。

米国ワークキャンプ2018募集要項


◆ 派遣期間: 2018年7月25日(水)~8月7日(火)

◆ 内  容: ペンシルベニア州で一週間のワークキャンプ(家屋修繕、
  聖書の学び等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加
  し、近隣の州でホームステイもします。

◆ 参加費用: 20万円 ※「友達割引」:複数で申し込んだ場合、
  1人につき5千円割り引きます。
     注意:以下の参加費は全額個人負担となります。
  パスポート・ビザ取得費用、海外旅行保険費用、派遣確定者向け説明会
  会場(JELAの予定)や出発・帰国時の集合場所(成田空港)から本人の
  居住地までの交通費及び前泊・後泊する場合の宿泊費。


◆ 問合せ・申込用紙請求先:
    150-0013 渋谷区恵比寿 1-20-26  
        日本福音ルーテル社団(JELA)
        「アメリカ・ワークキャンプ」係り
   電話:03-3447-1521/ファクス:03-3447-1523/
        E-mail: jela@jela.or.jp /  HP: www.jela.or.jp

選抜方法:2018年4月末日までにJELAに到着した申込書から派遣者を
  決定し、5月上旬までに連絡します。

        <注意事項>
2018年8月1日現在で14歳~20歳の方が応募できます。
クリスチャン(教派は問いません)でもノンクリスチャンでも参加できます
  が、聖書を学び話し合う時間が毎日あり、すべての行事に積極的に加わ
  ることが求められます。
数名の日本人成人が同行し、霊的・言語的側面から日本人参加者を
  支えます。
派遣確定通知受領から出発までの間にキャンセルなさる場合は、事情を
  お伺いした上で、その時点までに発生した費用の一部または全部をご請
  求することがあります。また、新型インフルエンザの蔓延その他、諸般の
  事情により派遣を中止する場合があります。JELAからキャンセルする場
  合は、払込み済みの参加費はすべてご返却します。
渡航にはパスポートが必要となりますので、お持ちでない方、更新が必
  要な方は、派遣確定通知受領後速やかに取得手続きを行ってください。
⑥ 帰国後十日以内に千字前後の感想文(デジタルデータ)を作成してJELA

  に送信してください。

以上


ワークキャンプの趣旨や内容が分かる動画です。ぜひご覧ください。(約15分)


https://drive.google.com/file/d/0BztUIJKOqZmVQ0lkOTg3SWlfV2c/view?usp=sharing









 

2018年4月18日水曜日

【信仰書あれこれ】森有正のキリスト信仰

現代のアレオパゴス――森有正とキリスト教』(森有正古屋安雄加藤常昭、1973年、日本基督教団出版局』 は、森有正を相手に、加藤常昭(本書発表当時、東京神学大学教授)と古屋安雄 (本書発表当時、国際基督教大学教授)が鼎談形式で話し合い、森有正の信仰を浮き彫りにする本です。

本書から、森有正の興味深い発言をご紹介します。

◇◆◇

プロテスタントの牧師を父に持つ森有正は、中学卒業までの11年間、カトリックの曙星に通わされたそうです。

  • プロテスタントからカトリックになるかという問題で先方から、やいやい言われた時にそうならなかった理由はひとつです。むこうの批判は、プロテスタントは信仰が主観的だから、そういう主観的なものに自分の霊魂の世界を委託していたら、神様が本当にどう思うかわからない。カトリックのように、客観的に神様のおぼし召しと、神様が制定された教会というものに頼って、自分の救いを客観的に全うしなければいけない、というのがむこうの論旨ですよ。……ことにキリスト以来、一貫して続いている教会ということがあるわけですが、これはずいぶんたくさんの人々をゆすぶると思うんですよ。しかし、私は考えたんですが、個人の信仰というのは主観的というけれど、カトリックになるのだって、個人が決心してなるわけでしょう。……感覚的に目に見えているカトリック教会に、自分の一生を託することだって、自分で決心しなければできないことです。それから、魂で信ずる、キリストに自分を委ねるということだって、その点では両方まったく同じで、客観的、主観的という区別はどこにもない。……キリストによって罪が赦される。罪という本質を考えたとき、罪というものが外形的な問題で処理できたりするものでは絶対ないということは、僕の牢固たる確信ですからね。それだから僕は動く必要を感じなかった。……建物とか伝統とか儀式とかによって、客観的だと言っても、そのほうがよっぽどあぶないですよ。(37~38頁)


信仰の確信についてはこう語ります。

  • 結局私は、キリスト教を信じているというのは、……恩寵がその内的権威をもって私どもを強制して信者にしている……私どもは信ぜざるを得ないから信じているという面があると思うのです。信ぜざるを得ないという確証は、「経験」の中で神が我々に与えるわけですよ。それがなかったら、牧師が伝道するなどというのもおかしな話だし……やはり我々の中に、恩寵によって、ともかくキリスト教の神を信じていく以外には自分の生きる道はないんだというところに立たされていないと問題にならないと思います。(77頁)
  • 僕はもう、実際、キリスト教が嬉しくなるということが、本当になくてはならないし、僕にもそれがありますから、そう言うわけですけれども、生まれながらの人間というのは、そういうものを喜ばないものです。なんとなくのんびりして生きたいのに、さあ恩寵だ、さあ十字架だ、それ罪だということになると、みんなしょんぼりしてしまう。けれども、それにもかかわらず、さっき僕が申しあげたように、やはり神様の、ある「権威」に強制されて、ここまで来てるわけですから。それは尊いものだと思うし……。(113頁)


教会で罪を説くことの重要性を強調します。

  • 神様の義というものは、人間の心の中に隠れているものを明らかにさせるものであるという、罪の問題ですね。この問題は、キリスト教が倦まず弛まずやらなければならないと思いますよ。すべての問題がゆきづまった時に、その根底に罪があるということは、これは例外なくそうなんですから。罪がなければ、人間として問題は何もないわけですから。それは、私は非常に確信していることです……なぜ社会問題がもつれ、病気が起こるともつれるかというと、やっぱり本当に人間というのは、己を欲して他人を滅ぼそうとする罪の本質があるわけですからね。家庭の不和にしても何にしてもそうなのだし……神様が存在することを嫌がるという、そういう人間の「罪」の本質というものを、何らかの形で明らかにしていただく、それ以外に人間を救う道はないと思います……で結局、「神様の恩寵」と「人間の罪」の認識ということはひとつのことなのだから、片一方がなければ片一方はわからないわけですから……。(114~115頁)
  • キリスト教の福音の本質が、人間の罪の赦しであるということが、自分の、それこそ私の言葉を使っていえば、「経験」の面に形として(そのような人には)現われていないわけですよ。だから、絶えず観念の面をフワフワ飛んでいるからだめなんです。なぜキリストが十字架についたか、ということがはっきりしないわけですよ。なんか、人間を愛する偉大な理想のためにキリストが十字架についた、なんで考えてるのでしょう(そのような人は)。(122~123頁)


本人の著作以外に、関屋綾子著『一本の樫の木――淀橋の家の人々』 や、た栃折久美子著『森有正先生のこと』(1983年、筑摩書房) も森有正の人となりに触れる興味深い本で

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

2018年4月17日火曜日

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】俺も捨てたもんじゃない 5期修了生 金銀叔

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

◆◇◆

俺も捨てたもんじゃない

5期修了生 金銀淑
         
"俺も捨てたもんじゃない"
これは、キャロル・サック先生のリラ・プレカリアのご奉仕を受けられた、ある刑務所の男性のつぶやきです。

それまで荒れた人生を生きてこられた男性の氷山のような心が太陽の温かさの前で無抵抗に溶けてしまった瞬間、発した言葉でした。
まさに、男性が着ていた人生の何重もの武装を脱がせたのは北風ではなく、太陽でした。言い換えれば、神様からキャロル先生を通して注がれた無償の愛でした。


poem & photo by G.S.Kim


愛の香り                Euodia

一本の水仙の香り           Spiritual journey             
天地が揺れる                          within God
begins with Lyra Precaria

                                             
“私たちは神に対するキリストのかおりである。”(コリント人への第二の手紙215節)
For we are to God the aroma of Christ” (Ⅱ Corinthians 2:15


真冬の寒さの中で咲いている水仙の香りは、天地を揺らすかのように深く、リラ・プレカリアのご奉仕をなさる時のキャロル先生のイメージとオーバーラップしました。

神様の愛と慈しみを含んだ歌声とハープの音色は、諸々の苦しむ人々の魂に触れ、スピリチュアルな旅を経て、痛みや悲しみ、不安や怒り、喪失感などから平安に導く力を持っているようでした。

1
月の冷たい空気を甘いものに変えてしまう水仙のように、否定的だった男性の気持ちを肯定的なものに変えることができたリラ・プレカリアの本質は、愛に違いありません。

12
年間のリラ・プレカリア研修プログラムの終了を迎え、修了生それぞれが小さな一本の水仙になって、聖フランチェスコのお祈りのごとく、神様の愛を運ぶ道具になりたいと願ってやみません。


◆◇◆

リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】豊かな学びの2年間 5期修了生 村岡晶子

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

◆◇◆

豊かな学びの2年間

5期修了生 村岡晶子

このリラ・プレカリア研修講座での奥深い豊かな学びの2年間は、人生の中の特別な恵みと至福の貴重な時間となった。

リラはすべてに愛と慈しみが行き渡り、先生方も
すべてを受容する姿勢と優しさ、温かさに満ちていた。キャロル先生が心を込めてご準備される『詩編』を中心とするリラの講義は深く豊かで、細やかに配慮された美しい環境空間(ローソクの灯、美しいチャイムの響き等々)はいつも聖霊に満たされ、祈りと希望に満ちていた。その中で私たちは、共に学び、心や魂、いのち、ゆるしと愛、慈しみ、人間について、神と人との関係、人の尊厳について等を考え、また自己と深く向き合い真の人間理解を深めた。そして、『あなたは神さまから愛されている大切な存在です』と通奏低音の様に繰り返されるメッセージは魂の深奥に浸透していき、自分と他者へ開かれた心へと丁寧に導かれた。

実習では、利用者様から『いのち(存在・尊厳)そのものの美しさ』に触れる深い静かな感動を得て、《人は、たとえ目に見える言葉や行いは何も表現できなくても、心(魂)は確かに感じていて、自分の思いを表現したいと希望している》こと、《私の思いで相手を判断することなく、ありのままを受けとめ、その方の内なる魂に心の目を向ける》ことの大切さを心に刻む貴重な経験(神様からいただいたGift)となった。
 
今、この2年間で得たことを心の礎にご奉仕をしている。臨終の時を寄り添うこともあり、利用者様の、「あなたに出会えて本当に幸せでした。ありがとう。」「なんて優しい・・・初めてです。」はそのまま‟リラ“へのお言葉だろう。ご遺族も、「亡くなった場面を思い出す時、ハープを弾かれるお姿と優しい音色が思い出されて悲しみだけでなく優しい気持ちになれます。」と感謝され、リラがご本人とそのご家族をも癒し、支え、希望と安らぎになっていることがわかる。

これからも神さまの小さな道具としてリラの道を歩み続けたい。

◆◇◆

リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】大いなる癒し 4期修了生 大石千絵

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

◆◇◆

大いなる癒し

4期修了生 大石千絵

リラ・プレカリア研修講座の修了式で「さあ、これから本当の先生(患者さま、利用者さま)のところへ行きなさい」と送り出されてから4年が経とうとしています。その言葉どおり、ベッドサイドでの奉仕において、毎回一期一会、どんなに多くの学び、多くの恵みを受けてきたでしょう。この道を与えられたことをありがたく思います。

私は現在、聖ヨハネ会・桜町病院の療養病棟で奉仕をしています。回数を重ねるごとに、施設の方々と心が通い合うようになっていくのは大きな励みです。クリスマスには、中村享子療養病棟師長がメッセージをお寄せくださる機会がありました。
「いつもありがとうございます。患者さんはもちろんですが、毎日忙しく心身共に疲れている私たちスタッフにも、心に響く癒しのひとときです。手を休めて聴き入るゆとりはありませんが、その音色を耳にし、心休まるひとときとなっています。これからもぜひ、患者さんのために、すてきな時間を提供していただけたらと願っております」。

昨年は、別の病院を訪ねる機会もありました。その病院にハープが入るのは初めてで、聴き終わってから病院長が「病院にはこういうものが必要だ」とおっしゃったのが印象に残りました。たくさんの方々の死に寄り添うなかで、疲弊し渇きがちな医療従事者の心身に、リラの祈りは潤いをもたらすと感じる経験であり、キャロルさんがよくおっしゃる「リラの祈りの副作用」を見たように思いました。

リラの祈りは、お一人の方の呼吸に集中し命の尊厳に寄り添う小さな働きですが、そこにはいつも、聖霊を豊かに満たし、周囲をも大きく包み込む神の無限の愛、癒しの力を感じます。神に感謝。

◆◇◆

リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

2018年4月16日月曜日

【信仰書あれこれ】ファンダメンタリストに対する適切な助言

ドイツの神学者ヘルムート・ティーリケは、1963年の半年間に北米各地を訪れ、大学教授・学生・牧師・ジャーナリスト・テレビ関係者等と興味深い対話をしました。『現代キリスト教入門――福音的信仰の核心』(佐伯晴郎訳、1972年、ヨルダン社) でそのエッセンスが読めます。

率直に意見を表明し質問を投げかけてくる学生たちとの議論が特別に印象深かったようですが、その中のファンダメンタリストたちに対して、著者が感じた大きな責任について記した部分をご紹介します。

◇◆◇

ファンダメンタリストは、「自由主義神学に対抗して起こった、アメリカを中心とする、極めて保守的なプロテスタント信者。逐語霊感説に立って聖書の無謬を信じ、進化論や、聖書の歴史的批評的研究に反対する」(本書13頁の訳注から森川が自由に引用)人々です。

ファンダメンタリストの素朴な、しかし信仰を議論する上で無視できない「信念」について、著者は危惧を示し、助けの手を差し伸べようとしています。
・この国のファンダメンタリストたちは、キリスト教信仰の本質を保持しようと望んでおり、……この国の教会の、もっとも信頼性の高い、自己犠牲をいとわぬメンバーなのだ。しかし私は彼らが、思いあがった啓蒙主義者 たちから頭ごなしに批判され、その結果ひじょうに不当に扱われているのを、悲痛な思いで見せつけられてきた。そこで私は、どうすれば、これらのファンダメンタリストたちを助けることができるか、いろいろと考えた。(本書10頁)

逐語霊感説の問題点と歴史的批評的研究の利点を、ファンダメンタリストたちの気持ちに配慮しつつ明快な論理を駆使して説くくだりは、すべての信仰者に有益なものでしょう。

  • 彼(=神)は、人間のペンや筆の運びを指導するようなことで、満足される方ではありません。このことこそ、実は、逐語霊感説を唱えた人々が考えたことでしたが、それを現代風に言うと、天のサイバネティックスという、夢か幻のような考えになります。つまり神は、自動速記機械を操る人と同じことになるのです。(中略)このような考えの別の面が、私たちにとって非常に危険なものとなります。それは、ここから生まれてくる、聖書に対する律法主義的な態度であります。もし私たちが、あらゆる場合において、とにかくここに<文字を持ってこのように書いた>方は神ご自身であるという絶対的理由によって、何かを強制され、意味のよく分からない聖書テキストについては、ただひとつの解釈だけを聞かされたり、比喩的に教えられたりするとすれば、いったいどのようにして私は、この聖書から、神の自由な恩寵について、また私たちはもはや幼稚な子どもではない(エペソ4:14 )ということについて、聞くことができるでしょう。(21~22頁)
  • 自ら人間の歴史の中に入って来られた神は、それにより、まったく確かに、歴史に関する歴史学的な作業を、きよめてくださったということになります。「言葉は肉体となった」とか、「主は僕のかたちを取って、私たちの中に入って来られた」と言いながら、同時に、「そんなに近くに寄って、この人間となった神を眺めてはいけない! お前たちは受肉を調べたり、その歴史を研究したりしてはならない! おまえたちは、この神を、信仰をもって受け取るか、それとも、不信仰によって絶交するか、そのいずれかである」などと言うことは、まったく無理な話であります。(26頁)


歴史的批評的取り組みを著者は全面的・無反省に認めるのではなく、研究者自身の姿勢が問題になることを指摘します。

  • 人間のすべての業には、や自己過信がしみこんでいるが、歴史学だけは例外であるなどということになれば、それはとんでもないことです。知覚する理性とともに反省する理性がある<決して自由奔放な合理主義だけがあるわけではない>のとまったく同じように、信仰から発する歴史の考察――それは神のへりくだった姿を究め、神の和解の業を、感謝を持って記録します――もありうるのです<したがって、すべてのものを相対化する歴史主義だけがあるわけではない>。(27頁)
  • もしも私が、機械的な逐語霊感説に固執するとしたら、私は、歴史学的な問題を信仰の領域から追い出し、それを、信仰なき世界に任せることになります。そして、思想史においてわずかでも学んだ人は、信仰なき世界が、この神の歴史をどのように取り扱うか、教会の「門の外で」いったい何が起こるかについて、よく知っています<ヘブル13:12 >。(27頁)


キリスト教的真理の究明にあたり、著者が重視し強調したいことはパスカルの言葉とされる「船が確実に港に着くことを知ってさえおれば、船中で嵐に会うのは素晴らしいことである」(37頁)に要約されます。

信徒である私たちと共に船中でイエスが眠っておられるのだから、嵐(=ブルトマンらの歴史的批評的聖書解釈)におたおたする必要はないと、著者は次のようにファンダメンタリストを励まします。

  • 自分たちの信仰が脅かされているとだけ思うような人<そうであればあるほど、彼らは神学的課題に対してますます消極的になりますが>には、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを知っている」(ローマ8:28)という聖句でお答えすることができましょう。(60頁)


本書は専門用語が多く翻訳がこなれていないことから、理解しにくい部分もありますが、「教理の拘束性」「奇跡の意義」「真の信仰と偽りの信仰」「異言を主張する人たちとの出会い」「永遠の御国における不信仰者の運命」「倫理と『予定』の関係」「教会の政治参加」などに興味のある人には得るところの多い本です

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

2018年4月12日木曜日

第11回川柳ひろば入選句発表!


次の三句が選ばれました(柏木哲夫・選)。冬期オリンピックにちなんで今回の賞は、金・銀・銅のメダルで表します。結果はなんと、ひとりがメダル独占となりました。その名は、高木美帆ならぬ「とんちゃん」。川柳ひろば始まって以来の快挙です。おめでとうございます!

<金メダル>
間違えて野望の党と書いちゃった
<銀メダル>
問題もノコッタノコッタ大相撲
<銅メダル>
獅子舞がテンテコ舞いの人気ぶり

 以下のような佳作もありました(川柳ひろば管理人・選。柳名略)。
  この歳でサンタクロース待っている
  物よりも平和お願いサンタさん
  クリスマス エルサレム危機でリスクます
  「神は愛」単純を複雑にする長説教
  やっと出た便秘じゃなくて世界新
  「疲れる」と言って周囲を疲れさせ
  ペットボトルにも隠しカメラがいる時代
  豆まき後鬼を囲んで恵方巻
  欠伸する猫は時々哲学者
  親探し小池で生まれたアヒルの子
  退職年やけに目に付く賞味期限
  ガラクタを父は自慢母我慢

最後にお知らせです。現・川柳ひろば管理人は今年10月末日で管理人職を辞することになりました。長年のお付き合い、ありがとうございました。今後も、一定数の作品と投句者がそろった段階で随時優秀作を発表してまいりますので、積極的にご投句くださいますよう、お願い申し上げます。(現・川柳ひろば管理人・森川博己)

◆「川柳ひろば」の投稿先:
   日本福音ルーテル社団(JELA)「川柳ひろば」係
   住所:150-0013 渋谷区恵比寿1-20-26 
   FAX:03-3447-1523
   E-mail: jela@jela.or.jp 皆様のご応募をお待ちしています。


【関連リンク】

最新の機関紙「ジェラニュース45号」電子版を掲載しました

皆様にJELAの活動をお伝えする機関紙「ジェラニュース45号」の電子版をホームページにアップいたしました。印刷版は発送済です。ホームページからは「ジェラニュース」創刊号からのバックナンバーもご覧いただけます。

なお、お手元に「ジェラニュース」が届いている方で、ホームページで読めるなら送付の必要がないという方は、電話03-3447-1521、ファクス03-3447-1523またはメールjela@jela.or.jp(件名欄に「ジェラニュース不要」と記す)でJELA事務局にご一報いただければ幸いです。


【ジェラニュースの送付停止のために教えていただきたい情報】

  • 郵便番号
  • ご住所
  • お名前(フルネーム。用いる漢字などもお知らせください)
  • お電話番号

【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)

2018年4月11日水曜日

【信仰書あれこれ】『使徒言行録』理解の助け

聖書理解の助けになる本として、ポール・L・マイヤー著『最初のクリスチャン』(山田直美訳、1996年、日本基督教団出版局) をとりあげます。訳者あとがきによると、著者は訳書出版当時、米国の大学で古代史を教えています。父は、ルーテル・アワー創始者のウォルター・A・マイヤー。

本書は、新約聖書の『使徒言行録』 にそって、キリスト教が世界に広がる初期の様子をわかりやすく、かつ興味深く記した本です。歴史学・考古学などの情報も豊かに盛り込まれています。

◇◆◇

この本の特徴は、専門的な知識・視点に十分配慮しつつも、学術論文のような堅苦しさを感じさせずに、キリスト教の根が形作られる過程を生き生きと描いていることです。

著者はユーモア感覚のある人で、その一端は次のような記述からわかります。
・『使徒言行録』の第二章のペトロの説教を読むと、そこに現れている劇的なまでの彼の変貌ぶりには誰もが驚かされる。確かにペトロは以前も、時折、その大胆さを示すことがあった。――イエスが「岩」と名付けていたように、実際、彼は信頼される面もあった。だが、全般的にはいろいろと問題の多い岩であった。ガリラヤ湖の波や、カイアファの屋敷での女中のからかい、そして受難日のイエスの審問に出合うと、「岩」はゼリー状になってしまう。……(本書33頁)

・牢の中のペトロは、明らかに過剰なまでの警備に固められていた。(中略)ところが、アグリッパがペトロを引き出そうとしていたまさにその前の夜、まさかと思われたそのペトロの逃亡が、起きてしまったのである。……天使が現われて、手の鎖を外し、分厚い鉄の門を含めて必要な牢の戸はすべて開けたものの、ペトロがなかなか目を覚まさないので手こずったらしい様子が、ルカによって記されている。だが、ペトロを責めないで欲しい。ゲッセマネ以来、重大局面で眠り込んでしまうのは彼のいつもの癖となっていた。(68頁)

『使徒言行録』と同時代の資料をわかりやすく引用しているのも本書の長所です。例えば、こんな説明が見られます。
・最も尊敬されていたローマの歴史家の一人、コルネリウス・タキトゥスは、紀元64年のローマにおけるネロの最初の大がかりなキリスト教徒の迫害について、次のように述べている。(タキトゥスの本からの引用は省略)注目すべきは、もちろん、「おびただしい数の」ローマ人のクリスチャンが処刑されたという箇所である。ラテン語のmultitudo ingensは、はっきりした数を示しはしないが、タキトゥスは他の個所では、少なくとも千に近い、数百という意味で使っている。また、クリスチャンをひどく嫌っていた彼が、わざわざその数を水増しするなど考えられないので、古代史の研究者たちは大体、タキトゥスの言葉を額面通りに受け取っている。(36頁)

本書の主要なテーマは、教会が誕生したペンテコステの出来事と、キリスト教初期の偉大な宣教者パウロの働きです。この本を読むことによって、これらのことが深く学べることでしょう。

著者は、本書以外に『最初のクリスマス』『最初のイースター』という本(訳者は山田直美さん)を出していて、こちらも読み応えのあるものでないかと想像します

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

2018年4月10日火曜日

【信仰書あれこれ】ナイチンゲールが看護婦たちに語ったこと

フロレンス・ナイチンゲール は、生涯に一万数千の手紙を書いたそうです。これらとは別に、聖トマス病院にあった看護婦訓練学校の学生宛てに14通の長い書簡を送っています。

14通のうち8通が『新訳・ナイチンゲール書簡集――看護婦と見習生への書簡)(小玉香津子・薄井坦子他編訳、1977年、現代社) に載っています。書簡全体を貫く主題は「看護と科学と宗教(信仰)とのつながり」です。

彼女の深いキリスト信仰に触れられる部分を、以下に何か所か引用します。

◇◆◇

・看護のような仕事においては、忙しくて、もう頭も手もいっぱいといったときに、もし神と隣人とに対する真剣な目標を心の中に持っていないとなれば――たとえうわべは隣人に尽くしているように見えても――決して彼らのためにも、神のためにも尽くしてはいず、もっぱら自分のためだけで終
わっているといった事態が、いともたやすく起こりうるのです。(8頁)

・キリストにとっては、神がすべてでした。しかし私たちは、時に神を見失ってしまいます。一日を病棟で忙しく気を使いながら過ごして疲れきった後でも、「父よ、私の霊を御手に委ねます」という気持ちで心を休めることができますか。また気がかりな患者のことを夜の闇の中で思いながら、「神よ、私を見守っていてくださるように、彼らを見守ってください」と祈れますか。また朝になれば、神のものなる病人の世話を通して、神に仕える一日がまた与えられたと、心をはずませて起き上がることができますか。(38頁)

ローマ人への手紙の第12章 は「私たちのあり方の原則を述べたものとして、この章より優れたものが他にあろうか」と言われてきた章なのですが、そこに「慈善をする者は快く慈善をすべきである」と書かれています。それは、私たちが看護や親切を行うにも、あたかも自分にとっては何でもないことのように、また、人ではなく神に仕える気持ちでせよ、という意味なのです。「互いに思うことをひとつにし」とあるのは、私たちが他の人と同じ思いと気持ちとを持ち、「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣き」、自分の中から出て他の人の思いの中に入っていく、という意味です。(46頁)

・私たちは自分の名誉などに関わりなく、正しいことは正しいという理由からだけで行うようにしているでしょうか。私たちが自分の心に、ただひたすら「何が正しいか?」、あるいは(同じ質問ですが)「何が神の意志か?」と問うているようであれば、そのとき私たちは、まさに神の「国」に入ろうとしているのです。(62~63頁)

・私たちが神の前に捧げて恥ずかしくないことだけを口にしたり行ったりすること、これが守るべき原則です。私たちは神の前に、陰口やつまらない中傷や、偽りや色恋沙汰や、不正や不機嫌や、悪意や嫉妬心や、愚痴などを捧げることはできません。これらのことから生じてくる害悪のすべてについて、私たちが責任を負っていることを思いなさい。(90頁)

書簡集全体がこのような言葉で溢れています。看護職についておられる方や、将来そのような職を目指している方に特にお勧めします

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

2018年4月9日月曜日

【信仰書あれこれ】20世紀の宗教書ベストワン

米国のキリスト教月刊誌”Christianity Today ”が2000年代初頭に実施した調査によると、現代の宗教家・宗教思想家の著作で時代を超えて重要だと思えるもののベストワンは、C・S・ルイス『キリスト教の精髄』(柳生直行訳、新教出版社、原書名Mere Christianity) だそうです。

ベスト10については以下をご覧ください。ヘンリ・ナウエン の著作を数多く出版している「あめんどう」代表の小渕春夫さんがコメントしています。
20世紀の宗教書ベストテン → https://amendo.exblog.jp/2195684/

ちなみに、何年か前からネット配信のみで日本で情報提供している「クリスチャン・トゥディ」は、上記”Christianity Today”と名前が酷似していますが、無関係です。

◇◆◇

ナルニア国物語」 のC・S・ルイスはキリスト教護教家としても有名で、「ナルニア」自体がキリスト信仰を基礎に書かれた作品です。

『キリスト教の精髄』は、1942年にルイスがイギリスのラジオで一般向けに行った講演を本にしたものなので、大変読みやすいです。

ルイスは英国国教会 の信徒ですが、本書の立場について次のように断っています。
「英国国教会に行くべきか、それともメソジスト 、あるいは長老派 、あるいはローマ・カトリック教会 を選ぶべきかといった問題に関しては、本書から答えを期待することはできないだろう。答えが出ていないのは、私が意識的に出すまいとしているからであって……」(3頁)

この本は、ほとんどすべてのクリスチャンが共通に抱いてきた信仰の中味を説明し、弁護するために書かれています。高度に神学的な問題は扱われていません。そういう議論は未信者にとっては弊害しかないと著者が考えるからです。

本書を著すにあたってルイスが特に心配したのは、自分が書いたことが英国国教会に特有の、あるいはルイス独自の考えであって、キリスト教全体に共通したものとは言えないのではないか、という点でした。その危惧を払拭するために、彼は本書の第二部(クリスチャンが信じていること)の原稿を四人の聖職者(英国国教会、メソジスト、長老教会、ローマ・カトリック)に送り、批判を求めたと言います。メソジストの牧師は、信仰について説き方が不十分と言い、ローマ・カトリックの神父は、それほど重要でない贖罪説の紹介にやや深入りしすぎた感があると不満を述べたらしいのですが、その他の点では、書いてあることについて全員の意見が一致したそうです。

このように周到な配慮をしつつも、本書第四部「人格を超えたもの ― 三位一体 論序説」でルイスは、非常に突っ込んだ自説を展開します。その内容は、ルイス独自の思索と経験に裏打ちされたものですが、私は自分の信仰を理解する上で大いに助けになりました。

本書は、本来的なエキュメニズムに貢献するのではないかと私は思っています。次のような記述があるからです。
「分かれている宗派が、教義 においてはともかく、精神において本当に近づきうるのは、それぞれの中心、つまり、各宗派の生んだ真実の子らが住んでいるところにおいてなのであり、このことはまた、各宗派の中心に何かが、いや何者か(訳者注:キリスト)がおられて、そのお方が、あらゆる信仰上の相違、気質の違い、また、かつて互いに迫害したりされたりしたという嫌な思いなど、一切の妨害物を排して、同じ声で語っておられるのだ、ということを示しているように思われる」(9頁)

ルイスの提示する具体例が機知に富んでおり、柳生直行氏の読みやすい訳文と相俟って、本書に不朽の価値を与えています。自らの信仰を省み整理するために有益な一冊でしょう

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】東日本大震災の被災体験とリラ・プレカリアの学び 3期修了生 横山恭子

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

◆◇◆

東日本大震災の被災体験とリラ・プレカリアの学び

3期修了生 横山恭子

私がリラ・プレカリアの三期生として入学したのは2010年でした。その翌年3月11日に東日本大震災があり、10メートルもある津波が我が家を襲ったのです。今思うと不思議なのですが、前日の木曜日はリラの講義があり「嘆きについて」を学んでいました。そしてその講義の時に私は、クラッシックギターで「ラグリマ」(涙)という曲を演奏しました。なんと「嘆き」を自分の事として体験することになりました。海岸から自宅まで約2キロあり、浸水しましたが流されず、修理して住むことが出来たのですが。

アイルランドにて右が筆者
そのときは新幹線もストップしていて、学びに復帰したのは5月からでした。自宅近辺にかけての流通がストップしており、お店に行っても何も買うことが出来ない状態でしたが、4月9日にやっと高速が我が家近くのインターまで開通になったのを見計らって、キャロル先生ご夫妻、中山先生、当時のJELA職員・中島愛さんが、リラの卒業生・同期生の方々が用意してくださった支援物資をワゴン車に山のように積んで東京から仙台まで来てくださったことは、私も家族にとっても一生忘れることのできない思い出です。イエス様が助けに来てくださったと心から思いました。

しばらくして落ち着いてから、どうして神様は私と家族に「嘆き」を体験させたのだろうと思い巡らし、リラ・プレカリアの学びは病気の方、心に悩みを抱えている方のそばに寄り添い、痛みを共有し祈る働きであることを思いました。失って見なければわからない喪失感、虚脱感、不安を味わったことには意味があると思いました。そして何もできない自分、ありのままの自分を受け入れて他の人に助けていただくことを実体験として学びました。リラ・プレカリアの学びと震災の経験によって神様の大きな愛と憐れみを体験することになったのです。そして何より嬉しかったのは、リラ・プレカリアの学びと震災の経験を通して夫がイエス様を信じてクリスチャンになったことです。

◆◇◆

リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】リラとのあゆみ 2期修了生 出村由利子

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

◆◇◆

リラとのあゆみ
2期修了生 出村由利子 

リラ・プレカリア(以降は「リラ」と呼びます)との出会いは偶然だったようで、実は最初から計画されていたことでした。

昔から教会が好き、人の世話が好き、音楽が好きでした。看護師となり病院や教育に携わりつつ、ホスピスでマッサージのボランティアをするなど、人生半ば以降はホスピスに関係する道を歩いていました。でもいつも自分に何か足りないものがあると、感じ続けていました。

あるとき、リラの講座が開かれると知り、直感でこれだ、と思いました。私に足りないもの、それはこころ・愛でした。

2010年アメリカの老人ホームで
しかし1年半の学びでそう簡単に人間が変わるはずはありません。ハープも歌も苦労しませんでした。ただ詩編が理解できませんでした。特に嘆きの詩編を読むと苦しくなり、苛立ち、怒りがこみ上げてきました。意味を見いだせず、リラに反抗しつつ実習時期を迎えました。そして生まれて初めて呼吸を合わせて歌うことがその場にいる人との一体感を生み出し、空気が澄み渡り、魂の交流ができるという体験をしたのでした。「神と共に在る」ことが祈るということだと知りました。

リラ卒業後、アメリカの教会や老人ホームで、またコスタリカの老人ホームで奉仕しました。言語も人種も祈りには関係ありませんでした。無心に歌いハープを弾き、その場にいる人と呼吸が一つになったとき、たくさんの奇跡を経験しました。

失敗もありました。コスタリカで高齢者がガバっと起き上がり、ハープに殴りかかってきたこともありました。大学の授業中に体調を崩す人や、宗教に対する嫌悪感を示した人もいました。でも出会った人すべてが先生であり恵みでした。

これからもどこに行こうとしているのか、愛とは何か、10年絶った今もわかりませんが神と共に歩む足どりは加齢とは逆に軽やかになっている気がします。これからもどんな先生に巡り合うのかと楽しみにしつつ。多くの恵みに感謝して。

◆◇◆

リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】思い出 1期修了生 西野みゆき

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

◆◇◆

リラ・プレカリアの思い出
1期修了生 西野みゆき

まだ、リラ・プレカリアの講座が始まる前、キャロルさんを通して、初めてハープと歌の祈りに出会った時のことをはっきりと思い出されます。音の響きによって沈黙へと導かれ、私の心と体が静まって行く感覚を忘れることができません。その感覚は、今、自分が奉仕をするようになって拠り所となっているように思います。
私の住んでいる千葉県鴨川市から恵比寿、三鷹まで通うことは、田舎者の私にとって大きなチャレンジでした。いつも祈りながら通いました。車酔いで辛かったのですが、それもリラの学びと共に克服できたことは思いがけない恵みでした。沢山の出会いを頂きました。小さな世界で生きてきた私には驚くことばかりでした。全てが私にとって必要な事でした。リラで学んだことは私の宝物です。使わされる様々な場所で、出会う人達とその宝物を分かち合える喜びに感謝しています。

◆◇◆

リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)

2018年4月6日金曜日

ルーテル教会の「Teensキャンプ」で米国ワークキャプをPR


日本福音ルーテル教会が主催する第25回「春のTeensキャンプ」(=春キャン)が、32729日に神戸市立自然の家で開かれました。1218歳の青少年が全国から88名参加し、仲間と一緒に「私たちはキリストの手である」ことを楽しく、熱心に学んだようです。

JELAは、このキャンプと夏の「ルーテルこどもキャンプ」を毎年支援しています。

今回の春キャンには2名のJELAスタッフが加わり、米国ワークキャプのPRビデオを見せたり、過去の参加者に感想を言ってもらうなどして、米国キャンプへの参加を呼びかけました。

春キャン参加者からは積極的な反応が見られ、この中から何名の青少年を米国に派遣できるか、今から楽しみです。







2018年4月3日火曜日

【ブラジル・音楽ミニストリー報告】さらなる展開(2)

3月の音楽教室活動報告の後半です。

前半はこちらから

◇◆◇

4月からは週二回

「ねえ、どうして週一回なの? もっとクラスやってくれないの?」という声を何度も子どもたちから聞いていました。メロ先生も帰ってきたことなので、4月からは週二回(火と木)にすることにしました。

火曜日は、今まで通りのスタッフとボランティアがメロ先生と組んで、音楽教室とバザーをします。木曜日は、徳弘夫妻とこれから募集するボランティアがいっしょになり、私のパソコン教室と、由美子先生のリズム体操・合唱などです。

子どもが25人ほどいる音楽教室のほうは、日本人ボランティアとメロ先生が、それぞれ4人ずつ教えていきます。キーボードや楽器も新しく買い足しました。

音楽教室をしているジアデマ教会に、クラスのない日や夜に行くと、暗闇で子どもたちが座って話し込んでいます。8時を過ぎても帰ろうとしません。車で通ると「センセー!」と集まってくるので、座って一緒に話したりすることもあります。大人の遊びや酒・麻薬などが蔓延している地域ですから、教会ができるだけのことをしたいと思っています。どうぞ、これからもご支援のほどよろしくお願いいたします。(徳弘浩隆)

◆◇◆


【関連リンク】  

【ブラジル・音楽ミニストリー報告】さらなる展開(1)

ブラジル・サンパウロ教会が実施する音楽教室の新学期が2月下旬から始まりました。この教室のリーダーであるメロ牧師が昨年6月から今年2月まで日本で研修している間、JELAは日本語学習費を全面的に支援しました。

メロ牧師は3月にブラジルに帰り、徳弘浩隆宣教師夫妻と共に音楽教室に加わりました。最近の現地の様子について徳弘宣教師から報告が届きましたので、ご紹介します。

◇◆◇

再会と別れ

戻ってきたメロ先生は、引っ越しなどでしばらく忙しかったのですが、3月下旬に音楽教室に合流しました。新しい生徒のほとんどはメロ牧師を知りません。みんな少々心配そうです。特に午前中の小さな子たちは緊張した面持ちです。
音楽教室の子どもたちに話しかけるメロ牧師(テーブル奥の白いTシャツ)
3月27日から、メロ先生にクラスに入ってもらっています。ドキドキしていた子どもたちも少しずつ慣れてきました。ちょっと真面目にやれて、よかったかもしれません。以前通っていた子どもたちに「メロ先生が帰ってきたよ」と知らせていたところ、ようやく数名戻ってきました。
由美子先生(左から二人目)のクラスでピアノを弾くメロ牧師

帰ってきた人がいれば、去っていく人もいます。毎週手弁当で手伝ってくれていた里香さん(日本人駐在員の奥さん)は、ご主人がペルーに転勤となり、今日が最後です。子どもの世話から買い物、おやつの用意、そしてバザーの手伝いやリコーダーの先生まで、何でもこなしてくれました。ボランティアの方が去っていくのはさびしいことですし、痛手でもあります。昼食はボランティアのソニアさんが、お別れだからとご馳走を作ってくれました。

今回は3月最後のクラスなので、おやつの時間はお誕生会も兼ねています。里香さんはおやつの時間の世話もしてくれて、午後のクラスでは子どもたちと、「今日が最後だからね」としみじみとお別れをして帰っていかれました。彼女の紹介で、ピアノの先生や、台湾人の奥さんたち二人もボランティアで加わってくれています。きっとこれからも必要な人を神様が呼んでくださるでしょう。
 (徳弘浩隆)
お別れの前におやつを配る里香さん

 
◆◇◆