2018年7月26日

【信仰書あれこれ】なぜ神学を研究するのか

https://www.amazon.co.jp/%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%AD%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E2%80%95%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%A7%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99-%E6%B7%B1%E4%BA%95-%E6%99%BA%E6%9C%97/dp/4842802901
深井智朗著『信仰のメロディー』(2000年、ヨルダン社)をとりあげます。同じ著者・タイトルの冊子を本欄で2月に紹介しましたが、それとは内容がまったく異なります。

本書は二つの部分からなります。一つは、教会関係の機関誌に「信徒のための神学事典」という題で著者が連載したものです。テーマは「アブラハム/聖書/教会/ディックス/悪/信仰/ギャップの神/聖なるもの/神の像/義認/神の国/小羊/マリア/ニーバー/啓示/痛み/キエティスム/旅/冷静/神学/大学/神見/この世/ザビエル/西暦/ツィンツェンドルフ」の26。それぞれを英語かドイツ語にした場合、アルファベット順になっています。

二つ目は、著者が神学校で行った講演です。献身の呼びかけのために「なぜ神学を研究するのか」という話を、いつか神学を研究することになるかもしれない高校生や教会の信徒に向けて語ったものです。講演タイトルは「神学のメロディー」。

以下では、講演の興味深い部分をご紹介します。

◇◆◇

講演全体のキーワードは「驚き」です。著者はこのことについて、まず哲学を材料に論じます。古来から哲学の根本問題は「存在とは何か」を問うことであり、その問いは、「何かがないのではなく、あるということの驚き」に始まるらしいのです。以下、本書に記された例をいくつかあげます。
  • プラトン『テアイテトス』=「その驚きの感情こそが、本当に哲学者のパトスなのである。つまり哲学の始まりはこの驚きの感情より他にはないのである」(本書122頁)
  • アリストテレス『形而上学』=「けだし驚きによってこそ、人間は今日もそうであるが、あの最初の場合にも、あのように哲学しはじめたのである」(122頁)
  • ハイデッガー『形而上学とは何か』=「あらゆる存在者のうちひとり人間だけが、存在の声によって呼びかけられ、存在者が存在するという驚きの中の驚きを経験するのである」(123頁)
  • ウィットゲンシュタイン『倫理学講話』=「この体験を記述する最善の方法と私が信ずるのは、私がこの経験をするとき私は世界の存在に驚く、ということである。その場合私は、何かが存在するとはなんと不思議なことであろうとか、世界が存在するとはなんと不思議なことだろうといった言い方をしたくなる」(123頁)

20世紀最大の神学者と呼ばれたカール・バルトは、神学することの動機を問われて、次のように答えたそうです。カッコ内はスイスのバーゼル大学での彼の最後の講義を本にした『福音主義神学入門』に記されている言葉。
  • 彼は神学的に考えるとは、「まったく特別な仕方で驚かされることだ」と述べているのです。(本書124頁)
  • もし「この驚かされるということを欠くならば、たとえ最上の神学者の企てであったとしても、その思想は根底において病に侵されている」。そして逆に「どんなに劣悪な神学者であっても、その思想が彼の驚きにもとづいているならば、……その仕事はまったく役に立たないとは言えないはずだ」と言うのです。(125頁)
  • 「人は神学の健全な根幹を構成するこの驚きから解放されて神学者であることはできない」し、また「家庭器具を使う時のようにしばらくしてこの驚きに慣れてしまうこともできないはずである」と言っています。(125頁)

著者は以上のことを述べた後で、ではなぜ神学者は驚くのかに論を進めます。
  • バルトによれば神学はこの驚きを生じさせるリアリティに触れているからだと言うのです。それがバルトの言う啓示ということなのですが、バルトによれば、この啓示に触れ、驚いて神学する者は、たとえば絵画を「鑑賞する」のではなく、「絵画の中に入れられる」のであり、観客席に座って音楽や舞台を「鑑賞する」のではなく、「舞台に引き出される」ように神学すべきだ、と言うのです。(126頁)

驚きの内容に関する哲学と神学の相違と教会の神学
  • 哲学は「何かがないのではなく、ある」ということに驚いているのですが、神学は、「ないものがある」ということに驚いているのです。「私の側に救われるべき理由は何もないこの私が救われてここにある」。この驚きが神学を開始させるのです。そして、この救いのリアリティに触れた者が、それに驚き、そしてこの驚きを歌い出す、そのメロディーが神学ということになるのだと思います。(127~8頁)
  • 学問の深層にあるものは、このような驚きではないでしょうか。そのことを忘れて方法論や研究史上の諸問題に終始するのは、少なくとも教会の神学者のすることではありません。(130頁)

著者によればキリスト者がメロディーを奏でる方法はさまざまです、音楽で、説教で、詩を書くことで、絵を描くことで……しかしどの場合も、自分が救われた者としてここにあるという驚きが欠かせないということなのです。たいへん心に響く講演です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年7月24日

【信仰書あれこれ(こぼれ話)】読売・吉野作造賞贈賞式に参加

7月17日の夕方、東京・大手町のパレス・ホテルで今年度の読売・吉野作造賞の贈賞式が行われました。教育界やキリスト教界、そして主催者である読売新聞社・中央公論新社の関係者など、250人ほどが参加したようです。JELA事務局長の私(森川博己)もその中におりました。

受賞作は『プロテスタンティズム』(深井智朗著、中公新書)。受賞報道の何か月も前の2月に深井氏(東洋英和女学院院長)の著書『伝道』『信仰のメロディー』をこの欄でとりあげました。私が招待されたのは、このことと無関係ではありません。後者の冊子『信仰のメロディー』(認定こども園・母の会編集)は、深井氏ご自身から存在を教えていただき、頂戴したものです。

以下に、式の様子をご紹介します。

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声をかける相手がいないかと会場を見渡したものの、知っている顔はナベツネ(=渡邉恒雄。ミスター読売新聞?)、山内昌之(東京大学名誉教授)、北岡伸一(JICA理事長)ぐらいでした。キリスト教界から80人は来ておられたそうです。全体の三分の一です。自分が自分の業界に知り合いがいないことを思い知らされた一夜でした。

主催者挨拶と賞の贈呈に続いて選評を担当した猪木武徳氏(選考委員会座長)によると、意見が割れるのが通常なのに、今年はすんなり全員一致で『プロテスタンティズム』に決まったということです。受賞作の抜群の充実ぶりがわかります。

深井氏によると、JR名古屋駅付近の書店でしばらく売れ行きナンバーワンを示したとのこと。何年か前まで教鞭を執っていた金城学院の女学生が示し合わせて買ってくれたからだそうです。学生に人気の高い先生だったことが想像されます。

深井氏の受賞の挨拶は5分と、喉の渇きを覚えた来場者が待ち望む乾杯の前にふさわしい長さでしたが、ルターの書簡と卓上語録から二つの話をユーモラスに織り交ぜ、会場を沸かせました。どちらも有名な一節だそうで、一つは、世の栄光を喜ぶ(あるいは、自分の栄光を求める)者は地獄に落ちる、という言葉です。賞を受けるかと電話で聞かれた深井氏の頭を上記の言葉がよぎり、返事をするのに幾分ためらいを覚えられたそうです。

深井氏から後日メールで教えていただいたもう一つの言葉は、ルターが若い牧師たちに、説教を終えてうまくいかなかったとふさいでいないで、すべて神に委ね、あとは霊の働きにまかせて、あなたは一杯のビールを飲みなさいと勧めている箇所です。この話をスピーチの終わり近く、パーティに移る直前にされるとあちこちから笑いがもれ、会場は一気に和やかな雰囲気に包まれました。

ちなみに、賞を受けるか否かを尋ねる主催者からの電話は5月10日にあったらしく、私はその二日前に六本木の東洋英和女学院本部を訪れ、院長室で初対面の深井氏とたわいのない話を1時間近くもしておりました。訪問日が上記電話の数か月後だったら、贈賞式にも呼ばれず、パーティでおいしい料理も味わえなかったでしょう。出会いの不思議とタイミングの重要性を考えてしまいます。

以上、読売・吉野作造賞贈賞式の潜入記でした。大佛次郎賞に類する賞であり、参加できて嬉しかったです。これからはまた、真面目に「信仰書あれこれ」で書物の紹介をしてまいります。別の出会いがあるかもしれません。

JELA事務局長
森川 博己

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【信仰書あれこれ】中年から熟年への30年を、バルトがその時々に語る

『バルト自伝』(佐藤敏夫編訳、1986年第2版、新教新書51)をとりあげます。

1884年にアメリカで創刊された、主流派クリスチャン向けマガジン『クリスチャン・センチュリー』誌は、1939年に「最近10年間に私の心はいかに変化したか」というシリーズを企画し、キリスト教界の著名人に寄稿を求めました。寄稿者のほとんどは米国人でしたが、欧州からただ一人、カール・バルトが加わっています。

同誌は以降も10年ごとに計3回このシリーズを実施し、バルトは3回とも寄稿しています。本書はバルトが書いた記事のすべて(42~72歳の自伝的記録60ページ余り)と、編訳者による解説40ページ余りからなります。解説は、上記の30年の記録に触れられていないバルトの前半生や、記事の背景になっている事柄に関する知識を提供しています。

以下では、バルトの「自伝」部分から興味深い箇所を引用します。

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<1939年に寄稿された、1928~38年/42~52歳の自伝>
  • 私の思想はいかなる場合にも一つの点において常に同じである……。いわゆる「宗教」が私の思惟の対象・根源・規準ではなく、むしろ、私の意図する限りは、神の言葉こそ私の思惟の対象であるという点では少しも変わっていない。(50頁)
  • この10年間に私はキリスト教の教理の哲学的、すなわち人間学的な(アメリカでは「ヒューマニスティック」ないしは「自然主義的」と言われる)基礎づけと解釈の最後の残滓を、除き去らねばならなかった。……キリスト教の教説は、もしそれがその名にふさわしくあるべきであり、教会をこの世の中にその名にふさわしく建設するべきであるならば、排他的に、決定的にイエス・キリストの教説――我々人間に語りかける、生ける神の言葉としてのイエス・キリストの教説であるということを、私はこの10年間に学ばねばならなかった。(60頁)
  • 私の新しい課題は前に言ったことをとりあげてもう一度新しく考え直し、それを改めてイエス・キリストにおける私の恩寵の神学として組織立てることである。私はこの課題に従事する場合――私はそれをキリスト論的集中と呼ぶのであるが――教会の伝統について、また宗教改革者特にカルヴァンについても(言葉のよい意味において)、批判的な検討へと導かれたという事実を黙過するわけにはいかない。私はこの集中において、前よりもすべてのことをはるかに明瞭に、明確に、単純に、しかも信仰告白の形で、同時にまたはるかに自由に、あからさまに、包括的に語ることができる。というのは、前には私は、教会の伝統によってよりも、哲学体系という殻によって、少なくとも部分的には妨げられていたからである。(61頁)

<1949年に寄稿された、1938~48年/52~62歳の自伝>
  • 私はこの時期に、侵略に備える一種の秘密結社に加入した。またドイツ告白教会後援協会の一員として、無限の忍耐をもって、また多くの場合に見事に、外国亡命者、特にユダヤ人亡命者の世話をやってのけた……。最後に54歳にして私はともかくも正規の兵士……となり、ライン河やユーラ山脈その他の場所で、ヒトラーの悪魔の軍隊に対して歩哨勤務や警戒勤務に従事したのである。……そのことによって私は、これまでになかったほどスイスの一般市民と親しくなり、日夜一緒に過ごすことになった。私は喜んで、心から喜んで、時折これらの私の戦友たちに説教をした。彼らの95パーセントは普通、教会に行かない人々であった。このようにして私は、本当に人間を目指してなされる説教はどのようにして作られねばならないかを新しく学んだ。(79~80頁)

<1959年に寄稿された、1948~58年/62~72歳の自伝>
  • 宗教改革以来、プロテスタント神学において誰もこんなに多くの、批判的ではあるが積極的な、いずれにせよ真剣な興味を、ローマ・カトリックの学者の側に引き起こしたことはなかったという事実に伴う、奇妙な名誉を私に与えねばならないであろう。たしかに『教会協議学』及び私の他の著作についての最も包括的な解明、最も透徹した分析、そして最も興味ある評価さえも、これまでのところ……、カトリック陣営から生まれてきた。(107~8頁)
  • 私のバーゼルの働きの中には、時折の説教も含まれている。そして、近年は地方の刑務所のチャペルが私の愛好する講壇であったと言うべきであろう。市民の秩序をあらかじめ犯した後でなければ、その説教を聞くことができない神学教授は、そんなにいるわけではないであろう。(110頁)

バルトの30年はナチスへの抵抗の歴史と重なります。ヒトラーへ命がけで抵抗していた最中に記された記録として、この「自伝」は貴重です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年7月12日

最新の機関紙「ジェラニュース46号」電子版を掲載しました

皆様にJELAの活動をお伝えする機関紙「ジェラニュース46号」の電子版をホームページにアップいたしました。印刷版は発送済です。ホームページからは「ジェラニュース」創刊号からのバックナンバーもご覧いただけます。

なお、お手元に「ジェラニュース」が届いている方で、ホームページで読めるなら送付の必要がないという方は、電話03-3447-1521、ファクス03-3447-1523またはメールjela@jela.or.jp(件名欄に「ジェラニュース不要」と記す)でJELA事務局にご一報いただければ幸いです。

【ジェラニュースの送付停止のために教えていただきたい情報】

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  • ご住所
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  • お電話番号

【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)

2018年7月11日

【信仰書あれこれ】聖書的リーダーシップのあり方

本欄の50冊目として、ヘンリ・ナウエン『イエスの御名で――聖書的リーダーシップを求めて――』(後藤敏夫訳、1993年、あめんどう)をとりあげます。講演を書籍化したものです。

本書は、クリスチャン・リーダーシップの理想としての「サーバント・リーダーシップ」を紹介したものです。聴衆のほとんどは司祭で、司祭仲間に対するミニストリーに深くかかわっている方々です。以下に中身の一部をご紹介します。

◇◆◇

ナウエンはエールやハーバードという知的エリートが集う大学で、牧会や牧会心理学を長年教えていました。そういう立場を捨て、知的障害者の施設でチャプレンとして働くという大きな環境の変化を体験し、以下のような発見をします。

  • 心破れ、傷つき、まったく自分を装うことをしないこれらの人々を前に、能力を持つ自分というもの、すなわち、何かができる自分、何かを示せる自分、……というものを手放すしかありませんでした。そして、どのような業績にも関わりない、ただ愛を受け、与えるだけの、弱くて傷つきやすいありのままの自分に、自らを改めざるを得ませんでした。……神の言葉を伝える者として、またイエスに従う者として、私たちが携えるべきすばらしいメッセージは、神は、私たちの行いや成し遂げることのゆえに私たちを愛されるのではなく、愛の内に私たちを創造し、贖われたがゆえに私たちを愛される、ということです。そして、すべての人間のいのちの真の源泉である愛を宣べ伝えるために、私たちは選ばれました。(29~30頁)

  • たった一つの問いが私たちに問われます。「あなたは私を愛するか」と。……恐らくこの問いは、受肉された神をあなたは知っていますか、とも言い換えられるでしょう。この孤独と絶望が支配する世界には、神の心を知る男性と女性が大いに求められています。その心とは、赦す心、保護する心、自ら出て行き癒そうとする心です。……ただひたすら愛を与え、愛を受けることだけを願う心です。人間の大きな苦悩に、神は慰めと希望を差し出そうとされているのに、その神の心に信頼しようとしない人々を見て、深く苦しむ心です。(39頁)

これからのクリスチャン指導者の資質の核心
  • それを決定づけるものは……指導者として真に神の人であるか、すなわち、神の御声に耳を傾け、神の美しさを仰ぎ見、神の受肉した言葉に触れ、神の無限の善を十分に味わうために、神の隣在の内に住もうとする、燃えるような願いを持つ人であるか、ということです。「神学」という言葉の本来の意味は、「祈りにおいて神と結ばれる」ということです。……これからの時代のクリスチャン指導者に極めて重要なことは、神学の神秘的な側面を取り戻すことです。そうするなら、語る言葉、与える助言、実行する対策のすべてが、神を親密に知る心から生まれ出るようになるでしょう。……どのような問題が目の前にあろうと、イエスとの愛の交わりに、それを処理する知恵と勇気を見いだす必要があります。……真に実を結ぶクリスチャン・リーダーシップを身につけるためには、道徳的であることから、神秘的であることへの移行が求められるのです。(46~49頁)

イエスが荒野で受けた誘惑(マタイ4:1~11)とペテロの羊飼いへの召し(ヨハネ21:15~19)の話を骨子に、真のクリスチャン・リーダーシップとは何かについて、充実した議論が展開されます。実際に手に取ってお読みなることをお勧めします。

JELA事務局長
森川 博己

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【難民支援】難民の子どもたちを助けた神父の映画 上映会のお知らせ

日本に逃れた難民を支援する団体/NGOのネットワークであるNPO法人「なんみんフォーラム(FRJ)」が、7月28日(土)に、映画『father カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語』の上映会を開きます。FRJにはJELAも発足時から関わり、運営を担っています。

映画は、1980年代にカンボジア難民の子どもたちを里子として受け入れ、その後その子どもたちと共にカンボジアでの学校建設に奔走した後藤文雄神父を追ったドキュメンタリーです。

難民について考え、難民と共に生きることは、今、日本に生きる私たちにとって、どのような意味を持つのでしょうか。映画上映を通じて、そのヒントを皆様と共有したいと思います。どなたでもご来場いただけます。多くの皆様のご参加をお待ちしております。

【上映会の概要】
日時:2018年7月28日(土)14:00開場
   14:30〜16:15 映画上映会
   16:15〜16:45  ゲストトーク(ゲスト:後藤文雄神父)
   *14:00〜14:30と16:45〜17:30に、難民支援団体のブースが
   講堂前ロビーに開設されます。
会場:上智大学四ツ谷キャンパス10号館講堂
主催:上智大学カトリックセンター
企画:なんみんフォーラム(FRJ)
入場料:500円(当日受付でお支払いください)
言語:日本語
上映作品:『father カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語
(制作=2018年・上映時間=95分)

配給:新日本映画社 / ©一般社団法人ファザーアンドチルドレン / 公式HPfather.espace-sarpu.com
出演:後藤文雄 / 監督(製作ボランティア代表):渡辺考 / 撮影:ボアーン・ロアト/ 録音:折笠慶輔 / 編集:松本哲夫 / 音楽:半野喜弘 / 朗読:古舘寛治
47()420() 新宿武蔵野館にて2週間限定モーニングショーほか全国順次公開 


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2018年7月10日

【信仰書あれこれ】クリスマスの意味を考える絵本

『クリスマス・イブにきた おとこのこ』(文=やなぎや けいこ、絵=田口智子、1992年、ドン・ボスコ社)をとりあげます。暑い毎日なので、雪のちらつく絵本を読みかえした次第です。

本書は、二人の日本人による作品ですが、舞台設定は外国のどこかで、主人公の女性の名はリーナといいます。

以下に、本書の概要をご紹介します。お読みなればわかるように、トルストイの『くつやのまるちん』や人情噺の名作「文七元結」(ぶんしちもっとい)を連想させます。

◇◆◇


  • リーナ(小学校中学年か高学年ぐらいの少女)はお母さんと二人暮らし。家計を助けるためにパン屋でアルバイトをしています。店をきりもりするのは、気のいい老人夫婦で、クリスマス・イブにリーナにプレゼントをくれます。お金を少しと(お母さんの大好きな)ケーキです。
  • リーナは、もらったお金で欲しかった本を買おうと、うきうきと家路に向かいます。
  • ところが、途中で少女と老婆に出くわし、もらったプレゼントを二つとも、彼女たちのために使ってしまいます。
  • 家に帰ったリーナがお母さんの帰りを待っているとき、玄関の戸口に見知らぬ少年が現れ、彼女にお礼を言います。この小さな男の子の両の手のひらの真ん中には、何か太いもので刺したような傷跡があり、血がにじんでいます。
  • リーナが家に入り、薬箱を手に玄関にもどると、男の子の姿はありませんでした。ちょうど帰って来たお母さんも、その子には会わなかったと言います。
  • リーナから今日の話を聞きながら、お母さんは壁にかけられた十字架上のイエスの両手の釘を見つめるのでした。


以上の展開が、洗練されたことばと温かい絵で表現されます。やなぎやけいこさん(文)は、『はるかなる黄金帝国』(旺文社)産経児童出版文化賞 を受賞されています。マザー・テレサや、「アリの町のマリア」として有名な北原玲子に関する児童書も書いておられるようです。

田口智子さん(絵)は、一般児童書でたくさんの作品を発表されているようですが、本書がデビュー作かもしれません。丹念に描かれた人物や風景が魅力的です。

本書の内容は、昨年の12月8日にこのニュースブログに記した私のクリスマスメッセージとも関係するので、併せてお読みいただけると幸いです。

JELA事務局長
森川 博己

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【チャリティコンサート2018】宇部教会で豪雨に負けない演奏を披露。献金は同地の支援金に

第15回世界の子ども支援チャリティコンサートの第14公演を、日本福音ルーテル宇部教会(山口県宇部市)を会場に開きました。時おり強い雨が降るなかコンサートには、82人が集まり、真野謡子さんのヴァイオリンと松田弦さんのギターに聞き入っていました。

西日本豪雨の影響もあり、会場には、コンサートの開催の有無を確認する電話が複数かかってきたということです。

また宇部は、真野さんの出身地ということもあり、豪雨被災者を労う場面も見られました。

コンサート後半は豪雨で雨音が大きかったですが、真野さんと松田さんも雨に負けない演奏を披露

今回の席上献金全額は、西日本豪雨で被災している同 地への支援金として宇部教会の藤井邦夫牧師に託しました。

席上献金が山口の豪雨被災支援金となることが伝わると、来場者からは割れんばかりの拍手が起こりました。



【信仰書あれこれ】輝かしく生きるために

バレンタイン・デ・スーザ著『人生を祝福する「老い」のレッスン』(2013年、幻冬舎ルネッサンス)をとりあげます。

私も六十代半ばとなり、「老い」という言葉に敏感になりつつありますが、本書は、まだそんなことを意識していなかった5年前に新刊で購入したものです。何冊かまとめ買いして、一回り年上の知人・恩師などに贈った記憶があります。

著者は、イエズス会司祭のインド人で、「輝かしく生きる日々のために」と題して聖イグナチオ教会 で高齢者の方々に話した内容をまとめたのが本書です。聴衆の大半はキリスト教に関心を持つ人だったようですが、中身は普遍的で、次のような内容です。

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年齢と霊性
  • 講座の中で私は、高齢になるほど「霊性が大切である」と、たびたびお伝えしてきました。「霊性」とは、……“神様に関わる心の動きの高くて美しい所”を意味するものです。1999年にWHO(世界保健機関)が健康の定義を改定した際、この「霊性」について触れ、世界中の大きな関心を呼びました……人間は最後の瞬間まで生きる意味を見つけようとする存在です。人と人との関わりを求め続け、さらには大いなる存在(神・仏)につながっていたいという気持ちを持っていることでしょう。人間を超える大いなる存在へ、謙虚に精神を向けていくこと。その心的傾向を「霊性」と呼んでよいかもしれません。(本書4~5頁)
高齢者のためだけの本ではありません
  • 高齢者の方々が、「霊性」を深め、精神的に豊かな人生を送るにはどうすればよいのか。戦前・戦後を経て今日まで生き抜いてきた輝かしい経験を次世代にどう伝えていくか、そして、限りある人生をどのように生きていくのが望ましいかについて、様々な角度から考えたのが本書です。高齢者自身はもとより、その周りで生活する若い方々にもこの内容をよく理解していただき、より良い社会を先輩と一緒になってつくり上げていただければ幸いです。(5頁)
本書で一か所だけ紹介するとすれば、次の部分になります。
  • マザー・テレサは機会あるごとに「痛くなるまで愛しなさい」と言っておられました。これは、「自分の痛みとともに、誰かを愛しなさい」ということであり、これこそが無条件の愛です。例えば、あなたは、この間の東日本大震災の被災者に、何か寄付をされましたか。寄付をする際に、あなたは何かを犠牲にしましたか。あなたの大切な物を手放す、あるいは欲しかった物を我慢することで寄付をしましたか。もし余っている物、あなたにとってどうでもよいような物を寄付したのだとしたら、それは愛によるものではありません。人に何かをしてあげるとき、あるいは物をあげるというときは、自分の一番大事な物を犠牲にする気持ちでしてあげてください。自分の大切な物を失う痛みを感じること、その痛みによってわずかでも相手の辛い状況を共有することが大切なのです。(46~47頁)
この部分には、「痛くなるまで愛しなさい」という見出しがついています。果たして自分が、寄付をする場合に、そのつど、「自分の心が痛くなるまで」、それをしているかというと、そうでないと言わざるを得ません。非常にチャレンジングな勧めですが、愛の本質をついた説明に襟を正されます。

著者は他にも以下のような、読みやすくて内容の濃い本を書いています。
いずれも70頁前後と薄く、数行の警句めいたバレンタイン神父の言葉を編んだものです。人を励ましたいときや、何かのお祝いとして差し上げるのに適した本たちです。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年7月4日

【ジェラニュース】第46号をただいま編集中です

8月発行予定のジェラニュースの編集・レイアウト作業に入りました。以下のような記事が掲載されます。

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<ワークキャンプ>
  • カンボジア・ワークキャンプ2018(2月に実施)の参加者レポート集。
  • 2019年インド・ワークキャンプ参加者募集
<難民支援>
  • NPO法人WELgee代表の渡部清花さんがJELAで行った講演「難民が希望を持てる社会を目指して」のエッセンス。
  • 連載記事:政治経済的視点を踏まえた難民保護の9回目「外国人労働者の制度変更で難民保護が変わる?」(山本哲史) 
<リラ・プレカリア>
  • オーストラリアからピーター・ロバーツ氏を招いて行われた、リラ・プレカリア開始12周年記念イベントの様子。
<川柳ひろば>
  • 第12回入選句と佳作の発表。
ほかにも、読者からのお便りのご紹介など、盛りだくさんの内容です。

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 ジェラニュース(フルカラー)は年3回(4・8・12月)発行しています。JELAの活動をわかりやすく掘り下げて取り上げ、 ホームページやブログでは伝えきれない情報も満載です。

 創刊号からのバックナンバーは以下リンクからご覧いただけます。
バックナンバー「ジェラニュース」一覧

 印刷された「ジェラニュース」をご希望の方は、下記までご連絡ください。
 【メール】 宛先:jela@jela.or.jp

・件名に「ジェラニュース希望」と明記してください。
・住所(郵便番号、アパート等の場合は建物名と部屋番号もお願いします)
・氏名(フルネーム、よみ方もお書きください)
・生年月日(月・日だけでも結構です)
・電話(携帯電話も可です)
・希望部数
・クリスチャンの方は所属教会をお教えいただければ幸いです。

※電話・FAXでも受け付けています。
電話:03-3447-1521
FAX:03-3447-1523

なお、お送りいただきました個人情報につきましては、JELAの案内等にのみ使用させていただきます。

【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)

【信仰書あれこれ】描かれた型が表わすメッセージ

小松左京高階秀爾『絵の言葉 新版』(2009年、青土社)をとりあげます。信仰書ではありませんが、キリスト教信仰と関連する絵画を吟味する部分が興味深いです。

小松氏はSF作家として有名ですが、むしろ、博覧強記の評論家というべき存在です。一方、高階氏は、ルネサンス期以降の西洋美術を専門とする高名な学者であり、二人が縦横に語り合う絵画論は、興味尽きない内容です。対談形式で自由に話が展開するので、読みやすいですが、内容的にはとても深いものがあります。

以下、キリスト教に関する部分の一部をご紹介します。

◇◆◇
  • 聖書と絵画(本書12~13頁)
 高階:中世の西洋なんかだと文字が読める人間はあまりいないから、絵で理解するほうが圧倒的に多い。聖書なら聖書を文字通りイラストレイトして、その絵だけを見ている場合もあれば、誰かが言葉で解説するという場合もあるわけです。
 高階:カインのアベル殺しを絵とか彫刻にするときに、文章には殺した手段は出てこないけれども、画家なり彫刻家なりは、カインが棍棒でアベルを殴り殺したのか、あるいは鍬みたいなもので殺したのか、首を絞めたのか、具体性を持った表現を考えざるを得ない。それで今ではカインのアベル殺しの手段は棍棒か鍬という伝統ができちゃっていますけれども、それは結局イラストレイターの独創なんですね。
  • 表現された型(26~28頁)
 高階:パルミジアニーノ(イタリアの画家、1503~40)に「首の長い聖母」と呼ばれている有名な聖母子像があります。……マリアの膝の上の赤ん坊のイエス・キリストが、普通の聖母子像と違って、目を閉じて斜めになっていて、片手をだらんと下げて、足を半ば開いた不可解な形をしているのです。
小松:「ピエタ」ですね。
 高階:そうです。直接にはミケランジェロの「ピエタ」から来ていて、要するに死んだ人の姿なんです。これは当時たいへん流行して、ポントルモ(イタリアの画家、1494~1556?)の「十字架降下」のキリストなども、ミケランジェロそのままです。しかしミケランジェロのピエタの姿というのも、実はキリスト教と無関係にギリシャからあって、あれは戦場で死んだ死者の形です。寝ている人と死んだ人を区別するのに、形で表わすときには死者の場合かならず片手をだらんと下げるのです。これは一種の極まり文句になっているのですね。
 小松:芝居の型みたいなものだな。
 高階:そうです。……だから、その赤ん坊のイエスはもちろん死んでいるわけではないけれども、当然あとの運命を暗示している、という意識的な描き方がされているのです。そこまで読み取らずに、単に近代的な造形的な面だけを見ていては、少なくとも画家の意図は伝わらない。
 小松:絵の含んでいるそういうコミュニケーション・エレメントを無視して、造形性とかいうような一面だけで評価する時代が、ここしばらく続いていたわけですな。
  • 身ぶり・身なり・表情など(37~38頁)
 高階:マサッチオ(イタリアの画家、1401~29)の「楽園追放」に描かれているアダムとエヴァの身ぶりというのが、その意味でたいへん面白いのです。楽園を追放されるアダムは顔を両手で押さえ、エヴァは上を向いて手で胸を押さえているわけですね。これは当時のベネディクト派修道院で――今でも修道院はそうですが――夕方から朝まで無言の時間があって、その間は必要なことは手で話していた。15世紀のそういう手話の辞典が残っていて、それによると、胸に手を当てるというのは悲しみのシンボル、両手で目を覆うというのは恥ずかしさのシンボルなんですね。それから考えるとマサッチオは、エヴァは楽園喪失を悲しんでいるけれども罪の意識はなく、アダムは罪の意識で恥じている、という解釈で描いていると見ていい。恐らく当時あの絵を見る人は、そこまで読み込んでいたと思いますね。

この対談は、もともと『エナジー対話 第3号 絵の言葉』(1975年12月、非売品)として刊行され、後に講談社学術文庫に収められました。ご紹介した本は「新版」となっていますが、内容的には昔のままのようです。ただし、対談した両氏が、2009年時点でおもったことを、それぞれ数頁分書き加えています。

絵の見方を教えてくれる卓抜な対談です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年7月2日

【ブラジル音楽ミニストリー報告】公立学校で生徒たちに話したこと(2)




JELAが支援するブラジルの音楽ミニストリーに関する報告「公立学校で生徒たちに話したこと(1)」のつづきを紹介します。報告者は徳弘浩隆牧師夫妻です。

(1)はこちらから読めます → http://jelanews.blogspot.com/2018/07/blog-post.html


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私たちのプレゼンはこんな風でした。

まず見せたのはブラジルのお味噌汁のような位置づけの「フェジョン」という豆のスープです。塩とニンニクで味がついていて、白ご飯にかけて食べたりします。その次に見せたのは日本の「ぜんざい」の写真。「この日本のフェジョン」はどんな味がすると思う? と聞くと、みんないろいろ言いますが、「見た目はそっくりだけど、日本のフェジョンは砂糖が入っていて、甘いんだ。おかずじゃなくて、デザートみたいなものなんだよ」というとみんなびっくり。「自分の先入観で他文化を見て、決めつけたらいけないんだ。それぞれ、別の言葉や歴史、文化があるから、相手のことを尊重して、謙虚に学びあわなきゃね」と話しました。
「ブラジルの味噌汁」フェジョンと「日本のフェジョン」ぜんざい

日本人が日本のことを説明してばかりでも面白くないから、ブラジル人で日本に23年もいたソニアさんにインタービューです。浴衣に着替えてきてくれました。「日本で一番びっくりしたことは何?」ときくと、「日本ではねぇ、氷の入った冷たいコーヒーが出てきて、びっくりしたのよ」と言うと、子どもたちは「えー!」とびっくり。「そして、日本人は砂糖入れずにコーヒー飲む人が多いの!」と言うと、またびっくりです。ポルトガル語で話すブラジル人のコーヒーの話は説得力があります。
徳弘牧師たちの話に聞き入る生徒と保護者たち
 

私が説明した日本の話はこうです。「日本はブラジルの23分の一しかない狭い国」。日本とブラジルはどっちが豊かな国? と聞くとみんな「にほーん」と答えますが、「日本は天然資源がほとんどないから、外国から買ってきてるんだ。だから、生きのびるために一生懸命勉強して、技術が必要だったんだ。戦争で負けてとっても貧乏になったことがあるけど、みんな一生懸命勉強して働いて、いい国にしてきたんだよ。ブラジルのほうが広いし、天然資源はたくさんあるし、移民の国でいろんな文化や考えの人がいて、それも大きな資源なんだよ。問題は、それをどう使うかだ。きちんと勉強をするかどうか、みんなにかかっているんだよ。先生は仕事や旅行でいろんな国に行ったけど、みんなも勉強して、外国語も勉強して、もっと世界を知ったほうがいい。偏見や先入観を持たないで、他文化や他言語を勉強してほしい。教会の音楽教室やパソコン教室もみんなのお手伝いをするよ」と。子どもたちや保護者の方からも質問があって、短い時間を惜しみながら今日はおしまい。
日本文化などについて語る徳弘牧師

牧師の服を着て十字架を胸にさげて、学校の前のパン屋さんでパンを買って、いろんな人とあいさつをして、「変わったアジア人」じゃなくて、少しずつ教会の働きが地域で受け入れられていることをうれしく思います。祈り、支援してくださる皆さんのおかげでもあります。非行や暴力や窃盗、麻薬の問題、またその日暮らしの貧しさの再生産ではなくて、彼らの人生に新しい道が開けることを祈りながら、日々格闘しています。

今後ともよろしくお願いいたします。

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【関連リンク】

【信仰書あれこれ】ルターの発展を知るための最良の一冊

徳善義和『世界の思想家(5)ルター』(1976年、平凡社)をとりあげます。「世界の思想家」全24巻の中の一冊。各巻とも、一人の思想家を第一人者が解説しています。このシリーズに含まれる他のキリスト教思想家は、アウグスチヌスパスカルキルケゴールです。

似たものとして、中央公論社『世界の名著』と講談社『人類の知的遺産』があります。前者は全66巻。キリスト教関係で巻が割り当てられているのは、アウグスチヌス、ルター、パスカル、キルケゴールと『世界の思想家』と同じです。ちなみに、「聖書」にも一巻分が割り当てられています。

『人類の知的遺産』は全80巻で、巻が割り当てられているキリスト教関係の知的遺産は、アウグスチヌス、トマス・アクィナスマイスター・エックハルト、ルター、イグナティウス・デ・ロヨラカルヴァン、パスカル、キルケゴール、バルト、と多彩です。イエス・キリストにも一巻分が与えられています。

本日とりあげる『世界の思想家(5)ルター』の特徴を少し紹介します。

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本書は徳善和義編となっていますが、関わっているのは徳善氏だけです。ルターの思想と生涯について徳善氏が書き、原典を紹介する部分では全体を大きく五つの章に分け、それをさらに三つから四つずつの節に区分したうえで、それらをさらに小さな節に切り分けます。そして、徳善氏が原典から選りすぐった訳文をそれらに割り当てるのです。

徳善氏はまえがきで次のように説明します。

  • ルターは巨大な神学者の一人である。一つの点に的を絞っても、そこにむかうのに幾通りもの接近の仕方があるように思う。昔から、それも特に今世紀初頭のルター・ルネッサンス以来、今に至るまで、ルター自身の本文に依りながら、ルター自身をして語らせ、ルターに即して語るというそれなりの努力をしている、夥しい数の研究が公にされている。(本書ⅰ~ⅱ)
  • B5版1000ページ以上の本100冊に収められたルター原典から抜粋して、ルターの思想の全貌を明らかにするのは至難のことである。……ここでは、……多岐にわたるものの中から、いくらか重要、主要と思われる著作を取り出して、それによって、彼の思想世界の一端に触れることができることを心がけた。そのために、彼の神学思想を体系的な配列、構造で提示することはしなかった。むしろ、……「いかに信じ、いかに生きるか」ということで、ルターの思想の展開のあとを辿ったつもりである。……章、節、小節の主題に応じて、それにかなう一、二の著作の抄訳、抜粋という形で全体を構成した。(ⅱ)
  • ある主題について、著作の背景を無視して、断片を集積してみるという試みが内外にこれまでないわけではないが、そのような辞典風の試みをここでは取らなかった。……ルターの発展のプロセスをあとづけることは大切だと思った。神学者ルターにとって、神について語ることは確かに特別な形で固有の関心だった。ここではそれを背景に押し込んでおいて、それを踏まえて、ルター自身が信仰者としていかに生きたかを浮き彫りにするということを、あえてやってみたのである。(ⅱ~ⅲ)
小さな節として取り上げられている項目では、次のようなものが興味深いです。
  • いつも初心/聖書の主要概念/人間的なものの根絶/神の約束への信頼/内的な教会、外的な教会/自由とその根拠/逆説的信仰/霊的連帯/アウグスチヌスに対する評価/地上に生きるキリスト者
「フマニスムス(*森川注:ヒューマニズム)との関わり」という章の中の「キリスト教信仰の核心」という節は、次の四つの小節から構成されます。原典引用はすべて、以前にこの欄でご紹介した『奴隷的意志』からなされています。
  • 神の意志/人間の意志/奴隷的意志/人間の無力
なお、引用する訳文について著者は次のように断っています。
  • ルター著作の邦訳は比較的多い。古典の邦訳に当たっていつもそうであるように、ここでもすでにある多くの訳業を参考にし、踏まえながら、一応今回は全部にわたって新しく訳出してみた。(本書まえがきⅲ)
本書は、我が国におけるルター研究の第一人者が原典から細かく選び出し、自ら訳出して編み上げた貴重な作品であり、量的にも250頁とコンパクトです。原典とともにルターを知りたい人には最適な一冊でしょう。

JELA事務局長
森川 博己

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【ブラジル音楽ミニストリー報告】公立学校で生徒たちに話したこと(1)

JELAが支援するブラジルの音楽ミニストリーに関する報告が届きましたので、二回に分けてご紹介します。報告者はどちらも徳弘浩隆牧師夫妻です。

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教会の音楽教室に来ている生徒の学校では、ワールドカップに合わせて、いくつかのクラスが一緒になり、WC出場国を選び、独自に研究発表することになったそうです。そういえば教会のパソコン教室が終わってからも、学校の勉強をするといって、スペイン、イギリス、メキシコやオーストラリア、モロッコや日本の地図や通貨、歌や踊り、街並みや民族衣装などの写真も探していました。幸い私も行ったことのある国ばかりなので、その時の写真を見せると、みんなびっくりして、喜んでいろいろと聞いてきます。印刷して、壁新聞を作って発表するのだそうです。

ある日、子どもたちの学校のアナ・パウラという先生から連絡がありました。「生徒がいつも、教会の音楽教師でお世話になっているそうでありがとうございます。学校の研究発表をしていますが、生徒のアナは自分の牧師先生は日本人で、いろんな国に行ったことがあるというので、ぜひ、手伝ってほしいんです」ということでした。子どもの研究発表に合わせて、日本の紹介をすることと、和服や折り紙など、どんなアイデアでもいいから、直接子どもたちに伝えてほしいというのです。

当日は朝7時に教会を出発して、8時には学校に行きました。私と妻と、音楽教室を手伝ってくれているジョルジさんとソニアさんも途中で拾って合流しました。実はこの二人は、藤枝に住んでいたことがあり、ルーテルの藤枝や島田の教会にも通っていたことがある方々です。学校に着くと、教会に来ている子どもたちが大歓迎して駆け寄ってきてくれました。ほかのお友達にも、自慢げに紹介してくれます。学習発表会なので子どもたちの保護者も少しずつ来ていて、知り合いに挨拶したり、初めての方にも挨拶をしたり。
生徒達によるワールドカップ出場国発表会の催し

アナ・パウラ先生と打ち合わせです。子どもたちは教室を回って、それぞれの発表を見学、そしてしばらくしたら1階のサロンに興味のある子を集めて、日本の紹介をしましょう、ということになりました。持って行ったマイクやスピーカー、液晶プロジェクターなどをセットしました。着物もいくつも持って行ったので、今日も数人が来てアピールするということで、にわか着付け教室がはじまります。教室を回ると、各国を紹介する展示物や民族衣装を作ってきている子たちもいます。私も一通り回って、子どもたちにいろいろと教えてもらいました。


そうしていると、ジョルジュさんとソニアさんが一人の先生を連れてきてくれました。私と話したいということでした。ホザ先生です。少し苦しいことがあるということで、教会を訪ねてくれた先生と一緒にお祈りしたことがあります。私は買い出し中でしたので、ちょうど来ていた教会の役員の方が話を聞いて一緒に祈ってくれたのです。
学校発表会にて、左から徳弘夫妻、音楽教室生徒とお友達4人、ソニアとジョルジュさん
そのホザ先生と初めてお会いしましたら、「教会でほんとによい働きをしてくれていて、私たちも感謝しています。教会の教室に通っている子たちは、聞き分けが良くなり、行儀よく、静かに話を聞いてくれるようになりました。そして私の受け持ちだったイザベラ(以前このブログで紹介)もリコーダーがとても上手でみんなびっくりしています。私は今年小さな子たちの担任になりましたが、これからも子どもたちを音楽教室に紹介していきますからね」とうれしそうに話してくれました。

ブラジルの学校の子どもたちはとても元気で自己主張が強く、特に貧しい地域の生徒たちがいる学校は、学級崩壊といってもいいほどの状態が多いようです。わたしも、「公立学校が教会の働きを認め今日も招いてくださるし、子どもたちが良くなってきているという話も聞いてうれしいです。それぞれの立場で協力して、一緒に子どもたちや彼らの将来のためにこれからも続けましょうね」と話をして、抱き合って喜んだのでした。
徳弘牧師とホザ先生
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