2018年10月23日

【信仰書あれこれ】簡潔ながら深いキリスト教入門書

ペトロ・ネメシェギキリスト教とは何か』(1977年、女子パウロ会)をとりあげます。


「生きる意味を求める人に! イエススの生涯と死と復活の教えるものは、『神は愛であり、愛を信じる者は永遠に滅びない』という一語に尽きる。簡潔ながら、深くキリスト教の真髄をとらえた書」(本書のカバーそで)です。本書ではイエスを「イエスス」と表記します。

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キリスト教は常に追求すべきもの
  • キリスト教徒たちは、キリスト教が何であるということを一応知ってはいます。しかしなお、キリスト教とはいったい何であるか、キリスト教の本質とは何であるか、自分にとってキリスト者であるということの意味は何かとは、つねに新たに問い続けなければならない問題なのです。……キリスト教は子どもでさえ理解することができるほど単純な本質のものでありながら、最もすばらしい学者が生涯をかけて追及しても、なお知り尽くすことができないほど無限の深みを持ったものだからです。(5~6頁)

普遍的なキリスト教理解
  • 本書はキリスト教に関する単に主観的な解釈を書いたものではなく、キリストに由来し、全世界に広がっている普遍的な教会……のキリスト教理解を述べようとしています。なぜなら、キリスト者たちの信仰は、およそ個人的な企てではなく、はじめにイエススを信じた弟子たち、彼らの跡を継ぐ信徒たち、世界中の普遍的な教会をなしている「神の民」の信仰に自分の心を合わせるということだからです。(7頁)

キリスト教に関する正しいアプローチ
  • キリスト教の真髄は、キリストと呼ばれているイエススその人のうちにあります。ですから、もしだれかが、キリスト教とは何であるかということを知りたければ、イエススがだれであるかということを探り、なぜ人々はこのイエススをキリストと呼んでいるのかということを調べ、このイエスス・キリストが何をなしたのか、その身の上に何が起こったのかということを調べてみる必要があります。(8頁)

神の恵みと人間の決断
  • 結局、信じることは神の恵みによることです。けれども、それは同時に人間自身の決断でもあります。イエススの言葉を聞いても、奇跡を見ても、聖霊の光を受けても、「信じます」と決断しなければ、信仰は生じません。ですから、信仰者とは、両手を開いて抱きしめようとしておられる神の腕の中にとびこんで、抱きついていく人と言えます。(73頁)

秘跡は心からそれを信じなければ無意味
  • 真心からの信仰なしに、形式的、あるいは偽善的に秘跡を受けても、それは人間を救うものでは決してありません。新約聖書全体が信仰こそ救いの源であるということを強調しています。人間は信じるときにのみ、自分だけに頼る高慢を捨て、人をゆるしている神の愛に、自分のすべてをゆだねるのです。そのときにこそ、人間の心が自分を神の子とする神の恵みを受け入れるように開かれるのです。(110~111頁)

神の恵みの働き方
  • 自分が洗礼を受けることを神が望んでおられると知らなかった人々にとっても、キリストと聖霊を通して働く神の恵みの神秘的な業のおかげで、改心と救いは可能です。すなわち、だれの心にも神がよしとされたときに働く聖霊のささやきに従って、万物の根底に限りない慈しみがあることを信じ、愛のために良心的に生きようと決心し、その決心を自分の生活の中に実現しているすべての人は、救いへの道を歩んでいると言うべきです。しかし、神はやはり、人々がイエスス・キリストにおける神の限りない愛の啓示を信じ……キリストの愛と喜びの証人として、他の人々を失望から解放し、希望と喜びと愛へ導くように努めるということを望んでいるのです。(113~114頁)

互いに赦し合うことの絶対的な大切さ
  • 次のことを決して忘れてはなりません。つまり、神からゆるしを受けることの条件は、互いにゆるし合うことだということです。イエススは繰り返し、「もし人の罪をゆるすなら、あなたたちの天の父も、あなたたちをゆるしてくださる。しかし、人をゆるさないなら、あなたたちの父も、あなたたちの罪をおゆるしにならない」(マタイ6:14、15)と強調しました。……毎日、「われらの罪をゆるしたまえ」と、神に祈っている人であってはじめて、心から自分を傷つけた人の罪をゆるすことができるのです。(124頁)

著者はカトリック司祭で上智大学神学部教授を長らく務めました。著作には、聖母文庫「キリスト教信仰案内講座」シリーズや、編集・解説を担当する創文社「キリスト教古典叢書」シリーズがあります。

JELA事務局長
森川 博己

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【奨学金】理事長らがアジア学院「収穫感謝の日」イベントを訪問

毎年JELAは、栃木県那須塩原市にあるアジア学院(ARI)で学ぶ学生を支援しています。ARIは、主に発展途上国の農村指導者の育成を行う専門学校で、現在、JELAの奨学金で、インドネシアからの留学生 クラオディウス・ブディアントさんが学んでいます。10月13・14日にはARI「収穫感謝の日」というイベントが開かれ、13日にJELAの森下博司理事長と渡辺薫職員が現地を訪問しました。
11月の帰国を控えて、クラオディウスさんは、本職である牧師として牧会に励みながら、ARIで培った農村開発の知識を用いつつ、地域に必要とされる働きをしたいと夢を語ってくれました。
JELA森下理事長(左)とクラオディウスさん
感謝礼拝は、学生たち、学院スタッフ、来場者が一体となって、賛美歌とともに学院内の農場などを練り歩き、収穫をもたらす恵み深い神様に感謝をささげることから始まりました。これは、クラオディウスさんのアイディアで、今年初の試みだったそうです。

また、礼拝では、日本語の「いただきます」は、本来、自分の所有ではないものを受けるという、食物を与えてくれた存在に対する畏敬の念を表す言葉であることが語られました。日本のキリスト者は、日々の食卓につく時、この短い『いただきます』という6文字をも信仰のことばとして口にすることができる、という気づきを与えられる訪問となりました。

【信仰書あれこれ】誰もが後世に残せる最大のもの



本作品は、明治27(1894)年に箱根で行われたキリスト教徒夏期学校において、内村鑑三が青年信徒向けに話した講話です。『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』と並んで、内村の最も有名な作品の一つでしょう。

本作品の「改版に付する序」で著者は次のように振り返ります。
「本講演は明治27年、すなわち日清戦争のあった年、すなわち今より31年前、私が33歳の壮年であった時に、海老名弾正君司会のもとに、箱根山上、芦ノ湖のほとりにおいてなしたものであります。(中略)この小著そのものが私の『後世への最大遺物』の一つとなったことを感謝します。……過去30年間生き残ったこの書は今よりなお30年あるいはそれ以上に生き残るであろうとみてもよろしかろうと思います。(本書8~9頁)

講演内容のいくつかを以下に引用します。ちなみに引用文の後のページは、冒頭に記した教育出版の本のそれです。文章は内村鑑三全集からとられていて、妙なところにカタカナが登場したりしますが、そのまま引用します。

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清い欲
  • 私にここに一つの希望がある。この世の中をズット通り過ぎて安らかな天国に往き、私の予備校を卒業して天国なる大学校に入ってしまったならば、それでたくさんかと己の心に問うてみると、そのときに私の心に清い欲が一つ起こってくる。すなわち私に50年の命を与えてくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、この我々を育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。……何も後世の人が私を褒めたってくれいというのではない。私の名誉を残したいというのではない。ただ私がドレほどこの地球を愛し、ドレだけこの世界を愛し、ドレだけ私の同胞を思ったかという記念物をこの世に置いて往きたいのである。すなわち英語でいうMementoを残したいのである。(16~17頁)
  • 有名なる天文学者のハーシェルが20歳ばかりの時に彼の友人に語って「わが愛する友よ、我々が死ぬ時には、我々の生まれた時よりも世の中を少しなりともよくして往こうではないか」と言うた。……我々が死ぬまでにはこの世の中を少しなりとも善くして死にたいではありませんか。何か一つ事業を成し遂げて、できるならば我々の生まれた時よりもこの日本を少しなりとも善くして逝きたいではありませんか。(18~19頁)

神の国のために金を儲け使う
  • 金を儲けることは己のために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神が我々の中に起こらんことを私は願う。そういう実業家が今日わが国に起こらんことは、神学生の起こらんことよりも私の望むところでござります。(中略)金は後世への最大遺物の一つでござりますけれども、遺しようが悪いとずいぶん害をなす。それゆえに金を溜める力を持った人ばかりではなく、金を使う力を持った人が出てこなければならない。(27~30頁)

誰もが遺せる最大の遺物
  • 事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、モノを教えることもできない。ソウすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。……私はそれよりモット大きい、今度は前の三つと違いまして誰にも残すことができる最大の遺物があると思う。(中略)人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば、勇ましい高尚な生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。(62~63頁)
  • 高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、……すなわちこの世の中はこれは決して悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中ではなくして、歓喜の世の中であるという考えを我々の生涯に実行して、その生涯を世の中への贈り物としてこの世を去るということであります。(63~64頁)

残り20ページが本講演のハイライトなので、ご自分でお読みになることをお勧めします。本作品は岩波文庫『後世への最大遺物・デンマルク国の話』として手軽に入手できます。

JELA事務局長
森川 博己

【ジェラニュース】第47号をただいま編集中です

11月発行予定のジェラニュースの編集・レイアウト作業に入りました。以下のような記事が掲載されます。

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<こんな記事が掲載されます>
  • 米国ワークキャンプ2018 参加者レポート
  • 15回世界の子ども支援チャリティコンサート実施結果・来場者感想集
  • 定年退職記念特別インタビュー(前事務局長×ひろみん)
  • ジェラハウス改築へのご寄付に感謝
  • 新事務局長あいさつ
ほかにも、、盛りだくさんの内容です。


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 ジェラニュース(フルカラー)は年3回(春・夏・冬)発行しています。JELAの活動をわかりやすく掘り下げて取り上げ、 ホームページやブログでは伝えきれない情報も満載です。

 創刊号からのバックナンバーは以下リンクからご覧いただけます。
バックナンバー「ジェラニュース」一覧

 印刷された「ジェラニュース」をご希望の方は、下記までご連絡ください。
 【メール】 宛先:jela@jela.or.jp

・件名に「ジェラニュース希望」と明記してください。
・住所(郵便番号、アパート等の場合は建物名と部屋番号もお願いします)
・氏名(フルネーム、よみ方もお書きください)
・生年月日(月・日だけでも結構です)
・電話(携帯電話も可です)
・希望部数
・クリスチャンの方は所属教会をお教えいただければ幸いです。

※電話・FAXでも受け付けています。
電話:03-3447-1521
FAX:03-3447-1523

なお、お送りいただきました個人情報につきましては、JELAの案内等にのみ使用させていただきます。

【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)

2018年10月22日

【信仰書あれこれ】生けるキリストとの出会いの大切さ


金田福一著『召され行く友に *家庭霊想集6』(1992年、一粒社)をとりあげます。

本書は、著者が末期がんの病床で書きためた短い霊想を集めたものと、死の2年前に行った講演を収録したもので、著者の家庭霊想シリーズの最後の作品です。

以下では、「ルターに学ぶキリストの福音」と題された講演(1990年11月18日 キリスト教浦和集会にて)の一部をご紹介します。

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著者は複雑な家庭環境で育ち貧乏生活を体験しました。福音を伝えたい思いに強くとらわれはするものの、小学校卒の学歴ゆえ神学校に入れませんでした。体も弱く仕事を転々とし、ようやく伝道者として用いられるのは46歳になってからです。2012年2月にガンで天に召されますが、死を間近にした苦しみだけの病床でも、口をついて出るのは「主よ! 感謝します! アーメン!」だったと言います。

ルターと聖書だけが慰めの少年時代
  • 自分の幸いだけしか求めない人間は、自分に打ち克つことはできない、自分の弱さを引きずりながらでも、他に仕えようとして生きるならば、自分の罪も赦され、自分の罪も克服されてゆくのだ、そういうことを私は身をもって教えられました。そういう悩み多い少年の日に、ルターだけが慰めでした。文学も好きでした。音楽も好きでした。けれども私の心の底に一番深く慰めを与えてくれたものは、聖書とルターでした。……ルターは信仰義認ということだけがとりあげられていますけれども、その大前提となっていることは、キリストが復活した、キリストが生きておられる、生けるキリスト、ということです。(144~145頁)

私のところに来てくださったイエス
  • なぜ私を守ってくださらないのですかと、神様を恨んだことがどれだけあるかわかりません。しかしイエス様に近寄っては物騒、つかまっては大変だと思いました。そういう私のところに、イエス様は来てくださいました。来てくださったということは、罪があるまま、何の値打ちのないまま、何度となく裏切る、ユダは立ち返らなかったが、私は泣いて立ち返りました。そういう人間をひと言もお叱りにならないで、イエス様は受け容れてくださいました。(146頁)
  • イエス様に出会って、イエス様が来てくださって、愛の中に、贖いと罪の赦しの中に入れられて、罪は終わりましたか。いいえ、人間の罪は死ぬまで残ると私は思っています。特に愛の欠落は罪の根源です。しなければならないことをなし得ない罪、またいつの間にか傲慢になります。自己義認、自己満足、そういう罪は死ぬまで残ると思います。イエス様の愛と支配の中で罪認識は深化するのではないか、深められるのではないか、それが罪の潔めではないか、それがルターの考えであったと思います。(147頁)
  • 生けるキリストとの出会い、それはもうルターの信仰と思想の根底にある重大な問題です。キリストが生きておられる、そのキリストと会わなくてどうしますか。今日の日本のキリスト者にとって根本的な問題は、やはり生けるキリストとの出会い、そのことが教会において、集会において起こっているのか、もしその出会いが無いならば、その信仰は何なのでしょう。……その信仰は自力に過ぎないのです。生けるキリストに会わなければ、自己を義としてやまない、自我と主観の円周から脱出することができないからです。生けるキリストに出会わなければ、自己自身から解放されない、自由になれない、私はそのことを私の体験からあえて申し上げます。(157~158頁)

イエスに出会った後の状態
  • イエス様に出会いますと、イエス様は自我の円周の中に暮らしていた私たちを、その殻を破って引っ張り出してくださいます。それが新しき我、霊的な我、義とされた我であると思います。そしてそのように迎えられ抱かれた新しく生まれ出たキリスト者は、まだ残れる自分の罪、肉的な、まだ悪習慣の残っている自分、あるいは周囲の悪影響で逆戻りしようとしてやまない、そういう罪への可能性の残っている自分という者を、客観的に見ることが始まります。それが罪と義の同義体験です。それを言い換えますならば、自己の客観化であると言うことができます。さらに言い換えますと、神様が自分をご覧になる目で厳しく、まだ残っている自分の肉性、肉的な自分というものを批判し弾劾することができ、教えることができるのです。(149頁)
  • 神様の目をもって、まだ残っている自分を鋭く見ることができる、鋭く悔い改めさせることができるその厳しさ、己に対する厳しさ、それが謙遜なのです。(152頁)

「霊想集」の中に収められた数行ごとの霊想は、いずれも心にビンビン響く内容です。著者が書かれたものはいずれも、信仰的に大切な事柄を歯に衣着せぬ形で提示してくれる点で貴重です。

JELA事務局長
森川 博己

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【チャリティコンサート】La Fontaineが熊本支援のためにコンサートを開催

10月3日のブログでもご紹介した、JELAの熊本支援のためにチャリティコンサートを開催してくださっているピアノ連弾デュオ「La Fontaine」が10月21日に、日本福音ルーテル大岡山教会(東京都大田区)で今年2公演目となるコンサートを開きました。

会堂は満席となり、パイプ椅子をいくつも出さなければならないほどの盛会となりました。La Fontaineのお二人は息の合った演奏で、中田喜直の「日本の四季」など一時間ほどのプログラムを披露し、聴衆を魅了しました。
 
 
 JELAの関係者も来場し、お二人の働きに感謝の言葉を述べました。
La Fontaine角本さん・方波見さん(両端)とJELA森川事務局長

巡演の最後となるコンサートは、10月28日(日)午後2時より、日本キリスト教団ユーカリが丘教会(千葉県佐倉市)で予定されています。お近くの方はぜひ足をお運びください。

【関連リンク】   

2018年10月17日

【信仰書あれこれ】すべてを新たにしてくれる生き方


ヘンリ・ナウエン著『すべて新たに――スピリチュアルな生き方への招待』(日下部 拓訳、2009年、あめんどう)をとりあげます。

訳者あとがきが本書の意義を簡潔に示しています。
「どんな分野であれ、真のプロフェッショナルは、難しい専門用語を多用して聞き手を煙に巻いたりせず、シンプルな表現と分かりやすい例えで、その分野の内容を誰にもわかるように説明できるものです。その意味でナウエンは、霊性=スピリチュアリティに関する真のプロだと申せましょう。(米国で1981年に)初版が発行されてから、(この訳書が出る2009年で)すでに28年の歳月が経っていますが、ナウエンのメッセージは、発行された時の新鮮さを今なお持ち続けています。」(100頁)

2018年の今も古びない本書の内容は、以下のようなものです。

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執筆の動機
  • 霊的な生き方を解説した素晴らしい本は数多くありますが、短時間で読むことができ、かつ霊的な生き方とは何かを説明するだけでなく、「実際に自分がそんな生き方を始めてみたい」と思わせる冊子があっても悪くないと感じていました。そんな気持ちから、この本を書くことにしたのです。ここにまとめた思索の数々は、私自身だけではなく、すでに多くの人たちによって述べられていますが、この本で一つにまとめることで、「生活は目いっぱいにもかかわらず、心は満ち足りていない」と感じている方たちのお役に立てればと願い、また祈ります。(9頁)

対象読者
  • 本書はまず、スピリチュアルな生き方をもっと深めたいという強い衝動を認めながらも、実際にどうすればよいか、どの方向に進むべきかを見失って困っている人たちのために書きました。それはすでにキリストを知ってはいても、その知識を頭から心へと、しっかり定着させたいと強く望んでいる人たちのことです。(12頁)

内容と構成
  • 本書での考察を三部に分けました。第一部では、思い煩いというものが、いかに日々の生活に破壊的作用を及ぼすかを述べます。第二部では、私たちを金縛りにする思い煩いに対し、新しい生き方、すなわち、神の霊によってすべてが新しくされる生き方をイエスが提示し、このことにどう応じられたかを示したいと思います。最後の第三部では、私たちを縛りつける思い煩いの縄目を少しずつゆるめさせ、神の霊によって新たに作り変えていただくための具体的な修練を、いくつか述べることにします。(14~15頁)

思い煩いの本質とイエスの招き
  • 今日において思い煩うとは、忙しく過ごし、多くの心配を抱えながらもつまらなさを覚え、恨みを抱き、抑うつ感に圧しつぶされ、しかもひどく孤独であるということです。
    (中略)イエスは、私たちが本来いるべき場所へと連れ戻そうとしてくださいます。けれども、そのスピリチュアルな生活へと招く声は、自分の居場所のなさ、思い煩う姿を正直に告白し、そのことで日常生活がバラバラであることを認めることができて初めて、聴き取ることができます。その時こそ、真にいるべき場所への私たちの願望が深まります。(34~36頁)

神の国と神の義を求める
  • 思い煩うばかりの私たちへのイエスの応答は、……「生活の重心を変えなさい、注意を向ける中心を移動しなさい、そして優先順位を変えなさい」ということです。……この、心の持ち方を変えることこそが、すべてのことを変えるのです。たとえ、すべて見た目には変わらないようであってもです。これこそが、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」<マタイ6・33>という言葉の意味することです。……私たちの心を神の国に置くとは、私たちの内にあり、間におられる神の霊に導かれる生活を、私たちの日々の考え、口に出す言葉、すべての行いの中心に据えることです。(41~43頁)

イエス的「真理」
  • イエスは聖霊を送ってくださり、そのことを通して、神と共にあるまったき真理へと導いてくださいます。ここで真理というのは、思想、概念、あるいは教理のことではなく、真実な関係という意味です。真理へと導き入れられるとは、イエスが御父との間に持っておられる関係へと、私たちも導き入れられること、つまり聖なる婚姻の関係に入ることです。(54頁)

本欄でこれまでにとりあげたナウエンの作品は『あわれみ――コンパッション――ゆり動かす愛』と『イエスの御名で――聖書的リーダーシップを求めて』です。他にも多数の作品が日本語で読めます。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年10月16日

【信仰書あれこれ】聖書の味わい方


高橋重幸著『聖書を味わう』(2010年、オリエンス宗教研究所)をとりあげます。

この本は三部に分かれていますが、第一部の聖書をグループで学ぶための手引き部分が有益なのでご紹介します。

なお、著者はカトリックの厳律シトー会(トラピスト)司祭です。1950年代半ばから10年近くローマに留学し、グレゴリアン大学と教皇庁立聖書研究所で神学と聖書学の修士号を取得。新共同訳聖書の翻訳・編集にも携わっておられます。

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祈りの大切さ・神のことばを愛する態度
  • 学問的な研究を積み重ねただけで、神のことばの深みを百パーセント解明することができると考えましたら、それこそ大間違いです。なぜなら、神の語りかけは、人間の知識を遥かに超える「秘儀」であって、信仰だけがそれを正しくとらえることができるからです。……何よりも先に強調しておきたいことは、聖書を味わうためには、まず「神のことばを愛する」という心構えが絶対に必要である、ということです。(11~12頁)

聖書の真の読み方
  • 私たちの聖書朗読が、イエスへと導き、イエスと一致させ、いわばイエスの中に私たちを移しかえ、そこに根づかせる時にのみ、真の「読み方」になるのです。イエスのように、兄弟に仕える者の姿をとらせ、従順を学ばせ、万事において父の御旨を行わせ、父の喜びを私たちに通じるものとする読み方こそ、本物なのです。(26頁)

信徒間の霊的な語らいの不足
  • 神のことばは、交わりによって他の人に伝えられます<一ヨハネ1:3~4>。この交わりは、単なるおしゃべりや表面的な会話、まして自己主張といった類いのものではなく、神から受けた賜物を分かち合い、イエスをそこに臨在させることです。私たちの間では、このような霊的な語らいがあまりに少ないのではないでしょうか。(37頁)

聖書の共同研究のための準備・そこから得られるもの
  • 聖書思想事典』を使って行う共同研究のやり方についてお話しいたしましょう。共同研究のテーマは、最初にごく身近なものから出発すること、たとえば、「食物」<聖書思想事典554~556頁>のような生活と密接したテーマを選ぶことが肝要です。このページを開きますと、まずテーマの一般的な導入があり、続いて、「Ⅰ物質的な食べ物、Ⅱ霊的な食べ物、Ⅲ神の子らの食べ物」という三つの小項目に分かれています。それで参加者は、自分の分担として一小項目を選びます。(40~41頁)
  • 各々は、自分の選んだ担当部分を入念に研究します。……大型のノートを求め、それを開いて、左側のページに、項目に出てくる聖書の参照箇所の本文を全部書き取ります。……そしてそうしながら、心に浮かんだ思想や頭にひらめいたヒントや思いつき、印象、感想などといったものをノートの右ページに書き留めておきます。……こうしてゆっくりと項目を研究していきますと、次第に「食べ物」についての聖書の思想が分かってきます。つまり、食べ物は神の祝福であること、人間はそれを感謝をもって使用する代わりに、飽食とか泥酔とかまたは施しの拒否や貧しい人たちを搾取すること等によって悪用できること、しかし他方では、「食べ物」を分かち合い、人々との交わりを深め、一致を実現するものとして活用できること、そして天の父は私たちの願いに応えてすべての必要なものを自ら整えてくださるので子どものような信頼を御父に対して持つべきこと、などという、希望を養い、警戒を促す聖書思想を理解し、深く分け入ることができるのです。(41~43頁)

聖書の共同研究と分かち合いの意義
  • 私たちが聖書の中に読みとらなければならないことは、神の恵みの深さであり、罪のゆるしを得るためには回心が必要であり、またイエス・キリストが私たちの近くにおられて、神の子としての喜びと平和、教会に対する愛、他の人に奉仕する熱意を注いでくださること、一言で言えば、神と人に自分の全てを注ぎだして、恵みに満ちたキリスト教的生活を送るということです。十字架につけられ、そして三日目に復活されたイエスに結ばれ、このイエスを通して聖書を読むとき、私たちの罪ですら光り輝くものとなり、一切は讃美の源となります。聖書の共同研究と分かち合いは、単なるおけいこ事や学習ではなく、復活された主イエスを中心に、聖書のこの喜ばしいメッセージを生きることだ、と言えるでしょう。(47~48頁)

共同研究の例で引用されるレオン・デュフール師編集『聖書思想事典』(1973年、三省堂)は私も持っていて、いつか共同研究に役立てたいと思っています。

JELA事務局長
森川 博己

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【関連リンク】 

JELAホールで「ルターナイツ」開催

日本福音ルーテル教会東教区主催のイベント「ルターナイツ」が10月12日にJELAホールで開催されました。音楽を愛したマルティン・ルターに思いを馳せ、教会の壁を超えて集い、音楽を楽しみ、互いに語り合おう、というイベントです。約60名の方々が来場し、美味しい食事・飲み物を囲んで夜の楽しいひと時を過ごしました。
プレゼンをするキャロル宣教師(左)

第一部にはリラ・プレカリアのキャロル・サック宣教師が登場し、リラ・プレカリアの背景に関するプレゼンテーションや、実際に使われる音楽の演奏をなさいました。会場はキャロル宣教師の説明や演奏に聞き入っており、関心の高さがうかがえました。


第二部では、主にルーテル教会に属する人々によるコンサートが行われ、大いに盛り上がりました。




【関連リンク】 

2018年10月15日

【信仰書あれこれ】聖なる仕事としての祈り

オズワルド・チェンバーズ著『「祈りの時」を変える黙想』(棚瀬多喜男訳、1997年、いのちのことば社)をとりあげます。

祈りの本は無数にあり私も何冊か持っていますが、私が読んだ中で最も感銘深いのはこの本です。

すべてのページから著者の類いまれな霊性の深さが感じられます。一部を以下にご紹介します。

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祈りが必要だという意識をどれほど強く私たちは持っているのか。
  • 祈らない人が非常にたくさんいます。それは自分が何かを必要としている人間だということを知らないからです。聖霊が私たちの内にいてくださるしるしはこうです。自分が充分に満たされていると思うことができない、本当は空っぽに過ぎない、と知ることです。……私たちを試みる人々や、困難な状況や、理解しがたい問題に私たちはぶつかります。そしてこれらすべてが、必要の意識を呼びさまします。それが、聖霊がそこにおられることのしるしです。(62頁)

私の祈りの動機は何と何か。
  • この前あなたは何について祈ったのか、思い出してみてください。あなた自身の願いごとに思いを集中していたのですか。それとも神ご自身に集中していましたか。御霊の賜物を何か得たいと決めていたのですか。それとも神との深い交わりを求めたのですか。(64頁)

私の思っている答えを神が与えてくださらないとき、私はどのように応答するのか。
  • 祈りの要点は自分の求める答えをいただくということではありません。祈りは神との完全な、全き一致です。もし答えをいただきたいということで祈るなら、私たちは神に対して憤慨したりします。答えは確かに必ず来ます。ただ、いつも私たちの期待しているような形で来るとは限りません。……神の子らは神が祈りに答えてくださることを知りたいと思って祈ったりしません。神はいつも祈りに答えてくださることを確信し、心に安んじているからです。(88~89頁)

私の祈りの結果として、きょう私は神について何を学んだか。
  • 聖霊は私たちを導いて、神の影響を受けやすい場所に連れて行ってくださるだけでなく、個人的に親しいつながりを持てる関係に、私を入れてくださいます。その結果、祈りのたゆまない訓練によって、私が自由意志を用いて決断したことが、全能の神の秩序の中で前もって定めておられたこととなります。……祈りに答えて、神はご自身を啓示されるのです。……神は私たちの祈りに答えるのではありません。私たちの人生におけるイエス・キリストの祈りに答えてくださるのです。祈りによって私たちは神の御心がどういうものであるかを知るようになります。(89~90頁)

美しい祈り
  • おお、主よ。穏やかな、優しさに満ちた、美しい性格が与えられますようにと祈ります。霊的な活力の賜物が与えられること、すべての人に対して、またあなたの御前で、あらゆることに耐える人生が与えられることを求めます。主よ、あなたの優しさと美しさと忍耐をお示しください。私が生きているこの時代のやり方に染まってしまうことのないよう、私を助けてください。おお、主よ。忙しさに取り紛れがちな私を清めてください。ただひとえに、あなたのものとしてください。あなたのために私が清められ、そのようにして、あなたの喜びと御力が私の中に、また私を通して、あなたのご栄光のために、新しく与えられることを祈ります。おお、主よ。あなたの御霊が私に住まいたもうことによって、礼拝する姿勢と美しさと聖潔を私の中につくりだしてください。主よ、私の肉体と霊とに触れてください。そうして、それらが主と一つになることができますように。(182~183頁)

オズワルド・チェンバーズは”My Utmost for His Highest”(訳書名『いと高き方のもとに』いのちのことば社)の著者として有名ですが、他にもいろいろな著作があるようです。それらが翻訳されないのが不思議です。

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆

【関連リンク】

【新しい短期宣教師の自己紹介】動物と天体に詳しいエリンさん

10月1日に三人の短期宣教師が来日して、東京で日本語の学習その他のオリエンテーションを受けています。三人とも来年1月に熊本に移動し、4月から2年間、ルーテル学院中学高等学校または九州学院で英語を教えながら、現地の教会で奉仕をします。

以下は、エリン・ライアンさんの自己紹介です(英語の原文をJELA事務局が訳しました)。


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はじめまして、エリンと申します。メリーランド州の出身で、そこで高校生に科学を教えてきました。教えることが特別に好きなわけではありませんが、科学は大好きです。私たちが幼い頃から、両親は私たちの勉強に関心がありました。というのは、彼らが教育者だったからです。私たちは楽器を演奏したりスポーツをすることを教わり、読書も楽しみました。

そういったことすべての中で科学の魅力は絶大で、とりわけ天文学に魅せられました。ほうき星であれ、流星であれ、太陽を巡る惑星の動きであれ、時間や季節に関係なく両親は私たち子どもを外に連れ出し、一緒にそれを眺めるように仕向けました。朝早く起こされた二人の兄は迷惑だったと思いますが、私はそれが大好きでした。
お兄さん(左端)のご家族とお誕生日を祝うエリンさん(右から2人目)

6歳か7歳の頃に野生動物や自然の素晴らしさにも目覚め、デューク大学で畜産学を勉強しようと心に決めていました。残念ながら、高校生になって、デュークで畜産学を専攻できないことを知ったばかりか、メリーランドでデュークのライバル校に行かなければならないということがわかりました。メリーランドのどの学校にも行くつもりはなかったのですが、メリーランド大学のキャンパスの美しさと学内のルーテル信徒会の活発な活動にまったく魅了されてしまい、そこで学ぶことになりました。

大学では、日本文化に興味があったというだけで日本語のクラスをとりましたが、当初はそれをどう活かすかは全く考えていませんでした。自分がするべきことを自分の中の何かが拒んでいて、メリーランド大学から畜産学の学位をとった後、Salisbury大学でもう二つの学位を取ろうとしました。

そこで地球科学の授業を受けた際に、担当教授に何気なくメリーランド大学で天文学を学んだことを伝えました。すると、教授は天文学の授業で入門的なレッスンのプレゼンをするように依頼してきました。なんと、それがとてもおもしろくて、教師になることを真剣に考えました。これが2012年から今まで私がしてきたことです。そしてたどり着いたのが、熊本で英語を教えることというわけです。

大学で習った日本語はほとんど忘れました。これから日本で浴びるように日本語にさらされる毎日が楽しみです。日本の伝統文化はとても興味深く、祐天寺に来てから小さな神社をいくつも訪れました。日本人のことをもっと知り、その文化、特に食べ物について学ぶことができればと思っています。また、多くの人と知り合い、その人たちからいろいろなことを学びたく思っています。とりわけ、一緒に教える先生たちと親しくなりたいですし、他の人に仕えるためにどうしたら自分の賜物を最もよく用いることができるか理解したいです。
日本の大学キャンパスでの文化祭を満喫するエリンさん

私は教師としての経験がまだ浅いので、熊本で一緒に教える先生から教室作業の技術を習い、それを自分に合った形にアレンジして、将来アメリカで教える時に役立てたいと思っています。

ランニングやハイキングも好きです。日本の公園や自宅の近所を走るのを楽しみにしています。富士山に登ることは私の長年の夢でした。日本滞在中にそれが叶えられると思うと嬉しくてなりません。札幌の雪まつりや九州の島々も訪問したいですし、中国やオーストラリアにも足を運んで、日本近辺の国で活躍しているELCAの宣教師たちにも会いたいです。
ランニング・ハイキング好きのエリンさんは早速近所を探検

私の信仰の旅路がこの日本に私を導いてくれたことに感謝します。この地で何が体験できるか楽しみです。日本で奉仕できる機会が与えられたことを嬉しく思います。


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2018年10月12日

【新しい短期宣教師の自己紹介】旅行と英語を教えることが大好きなエリカさん

10月1日に三人の短期宣教師が来日して、東京で日本語の学習その他のオリエンテーションを受けています。三人とも来年1月に熊本に移動し、4月から2年間、ルーテル学院中学高等学校または九州学院で英語を教えながら、現地の教会で奉仕をします。
以下は、エリカ・ブライヤさんの自己紹介です(英語の原文をJELA事務局が訳しました)。


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エリカと申します。私はカンザス州出身ですが、この6年間はミネソタ州に住み、学校で教えていました。姉が一人いて、テキサスで教師をしています。私はPashtという名の猫を飼っていて、とても可愛がっています。私が日本にいる間は両親が面倒を見てくれます。

何度か海外に行ったことがありますが、日本は初めてです。アジアそのものが初めてです。ですから、これからの2年半がとても楽しみで、興奮しています。

2017年4月にアウグスブルグ大学を卒業しました。専門は第二言語としての英語とドイツ語の教育です。大学では音楽も学びました。趣味でヴァイオリンとウクレレを弾きます。

高校3年生の時にドイツに住みました。3歳の男の子がいる若い夫婦の家で暮らしていました。男の子は今10歳で、7歳の弟がいます。ドイツにいるときは、学校でドイツ文化やドイツ語を学びました。また、近くのルーテル教会の合唱団で歌っていました。
ドイツに交換留学した際のエリカさん(左)とお友だち(ケルン大聖堂前)

大学2年生の時に2学期間、オーストリアに留学しました。ウィーンのいくつかの大学のクラスも取り、オーケストラの一員として演奏し、何人かに英語の家庭教師をして、小学校で英語教師のインターンも経験しました。こうして外国人に英語を教えることが好きになり、自分の仕事にしようと思うようになりました。


大学を卒業して得た仕事は、ミネソタ州で外国人に英語を教えることでした。いろいろな国出身の学生がいました。生まれてからずっとアメリカに住んでいる人や、アメリカに来たばかりの人もいました。仕事はおもしろかったのですが、旅行できないのが残念でした。
卒業式の日、エリカさん(左)とご家族(ミネソタ州アウグスブルグ大学にて)

旅をしてその国の文化を知ることは私の大きな楽しみです。ドイツとオーストリアに住み、いろいろな所を巡ることがおもしろかったです。私が教育を志したのは子どもの相手をするのが好きだからです。外国人への英語教育に従事しているのは、自分自身が外国語を学ぶことを愛しており、教えた学生があるときに「わかった!」という顔をする瞬間を見たいからです。
 


日本で英語を教える短期宣教師の仕事が与えられて嬉しいです。これからの日本での仕事と生活のすべてを、自分の信仰と結びつけて考えることになります。日本での人々との出会いや経験を通して自分の信仰が成長するようにと願っています。

エリカさんと愛猫Pasht
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2018年10月11日

【難民支援】ジェラハウス建築がいよいよスタート! 起工式を実施

JELAは、日本初の民間による無料の難民シェルター「JELA(ジェラ)ハウス」(築46年の木造)の建て替えを実施します。居住者の退去の遅れ、設計の見直しなど種々の事情が重なり、作業が大幅に遅れましたが、ようやくこの11月上旬に建築作業が始まることになりました。完成は2019年2月ないしは3月の予定です。
説教する松岡牧師

建築開始に先立ち、10月11日に起工式を行い、施工業者、JELA関係者らが集い祈りを捧げました。式では、JELAの松岡俊一郎理事(日本福音ルーテル大岡山教会牧師)がマタイによる福音書7章24・25節から、堅固な土台(御言葉)に立つ建物になるようにと語るとともに、工事に携わる人々の安全を祈りました。

この建て替えについては、本日までに23件・約38万円が捧げられました。感謝いたします。引き続き献金を募っていますので、ご協力のほどよろしくお願いいたします




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【難民支援】日本語ボランティア希望者と難民の方との食事会を実施

JELAは、難民シェルター「JELA(ジェラ)ハウス」に居住する難民の方々へ日本語を教えてくださるボランティアを随時募集しています。

103日に新規の日本語ボランティア希望者と、日本語のレッスンを希望する難民の方々との顔合わせランチ会を開きました。

6名の難民の方からは、日々の生活で使う日本語を学びたい、日本語能力試験 N3級に向けて勉強をしたいという要望がありました。


日本語を教えたり、大相撲観戦やディズニーランドに連れていったりして、難民の方々が日本で有意義に楽しく過ごせることにご協力いただける方は、JELA事務局までご連絡ください。
日本語ボランティア希望者、JELAスタッフと難民の方々(難民の顔は非公開)
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2018年10月10日

【信仰書あれこれ】ちいろば先生物語

三浦綾子著『ちいろば先生物語』(1990年、朝日文庫)をとりあげます。1986年1月から1年3か月『週刊朝日』に連載され、単行本として出版されたものを文庫にしたものです。

「ちいろば」とは、イエス・キリストがお乗りになったロバにからめ、この伝記小説の主人公である故・榎本保郎牧師が「ちいさなロバ」としての自分につけた呼び名です。

週刊誌連載のためか、各章に山場めいた話があり、以前に出て来た事柄が間隔を置いて再登場した時は、以前の分を読んでいない人のために、それを短く説明する工夫が施されており、読みやすいです。

以下では、本書の中で興味深い部分をいくつか引用します。

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中学5年を卒業した保郎は、教師になる夢を目指し、1943年4月に旅順の師範学校に入ります。そこで音楽教育のためのピアノのレッスンを受けるのですが、指の置き方・椅子の座り方が悪いと、保郎は教師に罵声と暴力を浴びせられ、ついていけなくなります。その時に唯一怒鳴られなかったピアノの上手な旧友が次のように言います。
  • 「僕の父は、しがない音楽教師だけどね、音楽で一番大事なのは、音楽が好きだということだ、といつも言うよ。文字通り音を楽しむことだってさ。下手でもいいんだって。楽しんでピアノを弾いていれば、そのうちに自然と椅子にかける姿勢も、指の角度も整うんだって。だから、僕がピアノを弾いている時に、親父は一度も怒鳴ったことないよ。ここの先生は、ありゃ音楽を知らないんだよ。恐怖から音楽好きは生まれやしないものな」(106頁)
考えさせられる部分です。信仰もある面で同じでしょう。聖書の中の話や聖句、あるいは教理を覚えることに汲々として、復活されたイエスとの生きた出会い・交わりがなければどうなるでしょう。真剣な意味で「イエスを楽しむ」ことなしに信仰生活は成り立たない気がします。

榎本牧師は1977年7月27日に52歳の若さで天に召されます。信仰者としての歩みは、8月4日の本葬で語られた、親友・林惠氏(同志社大学神学部時代の同窓生。教師)による説教によく表れていますので、その部分を引用します。
  • ……先生は入信するやたちまち伝道者として召され、神学校在学中すでに世光(せいこう)教会を設立し、洛南の開拓伝道に携わりました。先生の著書名のごとく、その生涯は、主イエスのご用に召された「ちいろば」のそれでありました。そうして、自らのプログラムを持たず、主の引き給う手綱のままに、その馳せ場を忠実に走ったのであります……しかし人間的には先生を崇拝し、祭り上げることをしてはならないと思います。信仰が個人崇拝となり、榎本教となることは、先生の最も警戒されたところであります。先生亡きあとは、先生の教えのごとく、祈りをもって直接聖言(みことば)に聞き、神ご自身に育てていただくことを求め続けたいと思います。(740~41頁)

 榎本牧師は自分と妻和子との血と汗の結晶とも言える世光教会を十数年で去ります。信者に慕われすぎて、「榎本先生がいないと教会に来ない」「大丈夫、ここは榎本先生の教会だから」というような話を彼らがしているのを陰で聞いたからです。それを耳にした榎本牧師の思いは次のようなものでした。
  • ここは榎本牧師の教会やない! イエス・キリストの教会なのだ。自分がいようといまいと、この教会はキリストを信ずる者が礼拝に集まる場所なのだ。自分はもしかして、キリストの前に立ちはだかって、信徒をキリストに真に仕える者へと育てていないのではないのか。(555頁)
そして次のように祈り、数年後に教会を去っていきます。
  • 神よ、世光教会に仕える者として、12年の長い年月、私をこの教会においてくださったことを、心から感謝いたします。神よ、私はこの教会を熱く愛しております。しかしながら、私がこの教会にあることが、信者たちの成長の妨げとなるならば、私を去らせてください。神が行けと言われますならば、どこへでも行けるように私を強めてください。どうか、この教会を私物化する過ちを犯さぬよう、お導きください。(558頁)

以上の他にも、戦争に応召されて出会ったカトリック神学生との邂逅、世光教会の青年の集まり「ヨルダン会」のメンバーだった高校生の端田宣彦(後のフォーク・クルセダーズの一員、はしだのりひこ)のことなど、読みどころ満載です。 

JELA事務局長
森川 博己

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2018年10月9日

【新しい短期宣教師の自己紹介】日本の歴史とアニメが大好きなジョーダンさん

10月1日に三人の短期宣教師が来日して、東京で日本語の学習その他のオリエンテーションを受けています。三人とも来年1月に熊本に移動し、4月から2年間、ルーテル学院中学高等学校または九州学院で英語を教えながら、現地の教会で奉仕をします。


以下は、ジョーダン・コリンズブラウンさんの自己紹介です(英語の原文をJELA事務局が訳しました)。

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皆さん、はじめまして。ジョーダンと申します。私には日本語のニックネームがあります。新左衛門(*映画『十三人の刺客』の登場人物)です。

私は今25歳でシカゴの出身です。3年前にカリフォルニア州の大学を卒業しました。専門は国際関係です。趣味は音楽を聴くこと、漫画を読むこと、日本のアニメやテレビ番組を見ること、そしてダンスです。


日本に初めて来たのは10年前です。今度が3回目の来日です。来るたびに日本のすばらしさに感嘆します。最初の来日は高校生の時。その時以来、私の人生は変わりました。初めてアメリカを出て、ぜったい来たかった日本にやって来たのです。この10年でとても大きな収穫を得ました。


2回目の訪問は4年前でした。留学生としての来日です。私の大学にとても魅力的な留学プログラムがあって、それを利用して、八王子の大学で4か月勉強することができました。日本に住んだのはこの時が初めてです。男子だけの寮で暮らしたり、いろいろ珍しい経験もできました。
日本留学中の授業で同級生と浴衣を着こなすジョーダンさん(左から4番目)

そして3回目の来日です。どうしてこんなに日本が好きなんだろうとよく考えるのですが、日本の歴史と娯楽が気に入っているからだと思います。私は歴史が好きなんですが、日本の歴史はとても内容豊かでワクワクします。とりわけ戦国時代がおもしろい。伊達正宗と宮本武蔵が大好きです。

しかし、日本を好きになったもっと強い理由はというと、それは日本のエンターテインメントです。私を最初に夢中にさせてくれたのはポケモン、ドラゴンボール、聖闘士星矢、Gガンダムでした。日本のアニメは話も複雑だし登場人物が奇抜で際立っています。特に好きなアニメ漫画はNARUTO-ナルト-です。全部の章、すべてのエピソードを知っています。アニメは私の耳を日本の音楽に開いてくれました。好きなアーティストは、L’Arc~en~Ciel,、m-flo、 KOHH、 GACKT、 AKGそして 嵐、と言ったところです。
米国のアニメ・コンベンションにて


三度も日本に来られていいねと言われるんですが、私はどうしてまた日本に戻ってきたのでしょう。日本で勉強し、働き、暮らしたことがあります。今度は何をするのでしょう? 私は神様の眼から見た日本が見られることに興奮しています。日本語礼拝に初めて参加した時、とても興奮し、温かいものを感じました。日本語がもっと上手になり、ペラペラになりたいです。三度も訪問できたこの日本と、神さまの助けによってより深い関係を築きたいのです。手軽な目標は、テラスハウスのメンバーになることです! いまテレビの『テラスハウス』に夢中なので(笑)。
アメリカ福音ルーテル教会(ELCA)の全米青少年集会にて


日本で短期宣教師の仕事ができることを大変嬉しく、光栄に思っています。これからの2年半にどんな方に会えるか本当に楽しみです。

よろしくお願いします!

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【信仰書あれこれ】真にエキュメニカルなロマ書理解

ラニエロ・カンタラメッサ著『キリストにおける生活――ローマの信徒への手紙の霊的メッセージ』(2004年、サンパウロ)をとりあげます。


今回は序文によって、この本がいかに内容豊かなものであるかを語ってもらいます。

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神学的論争ではなく信仰形成とその強化が目的
  • 本書は、……使徒(パウロ)がこの手紙をしたためたときに、彼に霊感を与えた目的にまっすぐに達しようとする一つの試みです。彼の目的は、確かにローマのキリスト者に――そして後代のキリスト者に――……霊的な賜物を伝え、そうすることで彼らが共通の信仰によって強められ、互いに励まされることでした<ロマ1:11以下参照>。幾世紀もの歳月の流れの中で、ロマ書は、たびたび神学的論争や対立の優先領域となりました。ところが実際は、この手紙は学者という狭い範囲の人々のためではなく、大部分が単純で無学な人々から成り立つ、「ローマにおける聖とされ、神に愛されている」すべての人のために書かれたもので、その目的は信仰を築き上げることでした。(7頁)

古い人から新しい人への動的な導き
  • ロマ書は新しい福音宣教を考えるための理想的な道具であり、宣教、黙想、霊操コースなどのための最高の青写真です。……この手紙は、一連の啓示された真理を重要なものとして次から次へと静的に提示するだけでなく、一つの歩みを概説します。つまり、罪と死の古い実存からキリストにおける新しい被造物になることへ、「自分自身のために」生きることから「主のために」生きることへ[の歩みを]<ロマ14:7以下参照>。この歩みの中に、[罪と死から永遠の命へ]過ぎ越していく動きと躍動があります。(7~8頁)

エキュメニカルなロマ書理解をもとにした生きた信仰体験と実践
  • 私は、カトリック、オーソドックス、プロテスタントという三つの主要なキリスト教伝統の各々に現存する洞察と富をできるだけ利用しようと努めました。その際、キリストを信じるすべての人によって共通に分かち合われていない点や、少なくとも大多数のキリスト者によって分かち合われていない点を可能な限り避けようとしました。……1999年10月にカトリック教会と世界ルーテル連盟との間で達成された、信仰による無償の義化についての原則的な合意は、ロマ書のこの全キリスト教会的(エキュメニカル)な読み方を、より一層緊急で必要なものとしています。合意文書の中で、この原則的な合意は、今や神学的討論から実行へ移るように、そしてそうすることによって、共通の教義がすべての信じる人の生きた体験となるようにという願いを表明しています。(11頁)

本欄2018年8月14日で紹介したように、本書の著者は数年前まではバチカン教皇庁の説教師を長年務めていました。

訳者(庄司篤神父)によると、本書の和訳を依頼された際に著者から「私の一番好きな著書を日本語に訳してみますか」と言われたそうです。

JELA事務局長
森川 博己

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【世界の子ども支援チャリティコンサート2019年】演奏者決定!

JELAは2004年より毎春、全国各地のルーテル教会などを会場にチャリティコンサートを開催しています。

今年2018年は、17会場にてヴァイオリン&ギターのデュオコンサートを開催し、合計1009名が来場、総額127万円以上が捧げられました。今回頂いた献金は、熊本地震の被災学生の学費支援に用いましたが、今年7月に発生した西日本豪雨の被災地のためにも一部を寄付いたしました。

第16回となる来年のコンサートでは、ヴァイオリン&チェロによるデュオをお届けする予定です。ヴァイオリニストは四年連続となる真野謡子さん、そしてチェリストは初登場の松本恒瑛さん※です。この二つの楽器の組み合わせによる演奏は今回が初めてです。


恵比寿のJELAホールで演奏を披露するお二人

先日お二人がJELAをご訪問くださり、挨拶がわりに何曲か聴かせてくださいました。バッハ作曲の「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」から2曲、同じくバッハの「インベンション」(原曲はピアノ独奏用)をヴァイオリンとチェロ用に編曲した1番と8番。また、来年の本番でのアンコール・ピースの中から、シベリウス作曲の「雨粒」も演奏してくださいました。両楽器ともピチカートだけで弾く珍しいもので、実際に雨粒が落ちてくるかのような演奏でした。

二つの弦楽器で高音と低音を優雅に奏でる来年のコンサートをお楽しみいただけると幸いです


 
第16回世界の子ども支援チャリティコンサートは、2019年5~7月の土日祝に10公演程度を予定しております。詳細が決まりましたら改めて本ブログ上にてお知らせします。

※松本恒瑛(まつもとつねあき)
東京音楽大学卒業、同大学大学院修士課程修了。97年ドイ ツ・ベルギーの音楽祭にソロで出演。高校卒業時、東京都高等学校文化連盟より表彰。大学時、学内選抜者による室内楽 定期演奏会07・09に出演。レインボウ21・サントリーホール・デビュー コンサート08・10に出演。 林峰男、ルイス・クラレット、マティアス・ランフト等の公開レッスンを受講。06年TVドラマ「のだめカンタービレ」に出演。他、映画、PVなどに参加。
日本クラシック音楽コンクール3位。(最高位)横浜国際音楽コンクール室内楽部門演奏家賞。 大阪国際音楽コンクール室内楽部門入選。
新日本フィルハーモニー交響楽団元契約団員。他、オーケストラや室内楽、アーティストのサポートや 録音、TV・映画の収録等に参加をしている。
チェロを佐藤満、倉田澄子、松波恵子、 堀了介、植木昭雄の各氏に師事。 室内楽を浦川宜也、齋藤真知亜の各氏 に師事。


2018年10月4日

【信仰書あれこれ】キリストの建設

沢田和夫著『キリストの建設』(1967年、中央出版社)をとりあげます。

2018年3月16日のこの欄で、その時点でキリスト教信仰書を一冊だけ手もとに残せるなら、宮本武之助著『聖書のことば』(1977年、潮文社)を選ぶ、と書きました。今、同じことを自らに問うなら、この沢田氏の本にします。

以下に内容の一部をご紹介します。

◇◆◇
聖書を読む心がまえ
  • お勧めしたいことは、一通の手紙を受け取ったつもりで聖書を読んでくださいということ。(中略)キリストから自分宛てに手紙が来たのだ、そしてこれにどう答えたらいいのかと考える、そういう態度で読むことをお勧めしたいし、私もそうしたいと思っています。……聖書研究という言葉は気を付けて使いたいと思います。まさか大事な人からもらった手紙をとりあげて手紙研究などと、そんなことはしませんから。(3~5頁)
  • わからない問題を出し合う読み方はなさらないように。……わかったように思うところを出し合ってください。ここがよかった。自分にはここがひらめいた。ここをこういうふうに受け取ったと、出し合って読むと、全員がなるほどなるほどと、自分のわからないところを他の人がわかっていてくれたという喜びを持つことができるし、一緒にますますわかっていくことができます。(15頁)
  • 聖書という書物にこう書いてある、それを暗記しました、キリスト教ではこういうことになっております。そんなことを互いに言っているようでは力にならない。実在するキリストからの呼びかけとして聖書を受け取り、それを自分なりに腹の中に詰め込んで、それが自分の血となり肉となった時に、神の言葉が自分の血液の中をグルグルと走り回るようになって新しい人種になれるのです。こういう受け取り方をしないと、聖書が六法全書のようになってしまい、法律を適用するような仕方で人に押し付けられ教えられたりすることになりますが、聖書はそのようなものではなくて「生命の言葉」、つまり「生まれ変わって生きるための言葉」、この覚悟を新たにしたいと思います。(21頁)

サマリアの女と湧き出る泉の話(ヨハネ4章5~42節)
  • キリストさまが、今日もおっしゃりたいことは何でしょうか。やはりこの生命の水の話です。キリストさまから水をいただいて、そして自分の中でこんこんと湧き出る泉ができるようにならなくては、と思います。もしもキリスト信者と称しながら、自分の中にこんこんと湧き出る泉を持っていないとすれば、どこかまだ調子が狂っているわけです。このヨハネ4章の恵みが分かっていないわけです。ただ教理を頭で習うだけではいけません。自分の中にこの泉を持っていなければならない。たまには泉が枯れることもあるでしょう。けれどもそれは一時のことで、また心の中にこんこんと湧き出る泉ができるはずなのです。それが「福音」です。そこから証しの使徒としての働きが可能となります。(28頁)
  • 「羨ましい。このサマリア人の女の目の前にキリストさまが現れて、(お前が言うメシアというのは)お前と今話している“わたしだ”と言ってくださるとは、羨ましい」。それは聖書の読み方を勘違いしているから、そんなに羨ましいと思うのです。二千年前の古文書と思っているから、羨ましいと思うのです。復活のキリストさまの信仰を持っていれば、何が羨ましいのでしょう。今日私どもに聖書を読ませているキリストがおられるのに私どもが「ああ、そのキリスとやら……」と言いますと、「お前と話しているのは書物ではない、……お前に呼びかけているのは私だ」とおっしゃる。素晴らしいことに「私だよ」とおっしゃるのです。(29~30頁)
  • この(サマリアの)婦人はキリストさまの教えを胸いっぱいに、体いっぱいに受けて、町へ飛んで行きました。「この人こそ救い主ではあるまいか」。どうして今日のキリスト者は、もっと自ら見出した救い主のことを多くの人に伝えられないでいるのでしょうか。十分に救い主を見つけていないからに違いありません。……教会の組織も教義も、それぞれにみんな重要で、軽んじようとは思いませんが、救っていただくのはキリストだけであって、本当を言えば他の何もあてにはならないのです。あてになるのはキリストのみ、教会の頼るべきはキリストのみ、その信仰に到達して、「お前を救うのは私だよ。私だけだよ」と言っていただきたい。そうして初めて、どこへ飛んで行っても救い主を伝えることができることでしょう。(31~32頁)

すべてこの調子です。使徒伝承教会一致のような話題についても、カトリックの立場をことさらに強調するのではなく事柄の本質、つまりキリストを中核に置かねばならないという視点から、情熱的に議論を展開します。

いつ読んでも、頭と心をキリストで満たしてくれる本です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018年10月3日

ピアノ・デュオ、La Fontaine (ラ・フォンテーヌ) がJELAを訪問♪

今年8月27日のJELAブログでもご紹介した、La Fontaine (ラ・フォンテーヌ) のお二人が、JELAオフィスを訪問してくださいました♪
左奥=角本さん、右奥=森川・JELA事務局長
左手前=方波見さん、右手前=渡辺・次期JELA事務局長
「熊本震災支援への思いを風化させたくない」とまっすぐな眼差しで語る方波見さん。
お二人は、今年も、熊本地震チャリティコンサートとして、JELAによる被災学生への奨学金支給のために演奏してくださいます。

一緒に演奏する角本さんによると、今回のプログラムの聴きどころは「日本の四季(中田喜直)」。
日本の春夏秋冬をめぐる6曲を、一度のコンサートで演奏するのは初めてとのこと。
「日本の四季の変化を(音楽で)お楽しみください」との言葉に、期待が高まります。

その他にも、リベルタンゴ(ピアソラ)やバッハの名曲からJ-POPまで、幅広いジャンルからのピアノ連弾で会場を沸かせてくれることでしょう♪

コンサートの日程は以下のとおりです。 日曜日の午後に、ピアノ・デュオのひとときをぜひ。


《コンサート案内》

【会場・日時】

【入場料】 無料(席上献金有)

【出 演】 La Fontaine(ラ・フォンテーヌ)

方波見 愛(かたばみ あい)、角本 茜(すみもと あかね)によるピアノ連弾デュオ。共に洗足学園音楽大学ピアノコースを卒業。方波見は日本基督教団四街道教会、角本は日本福音ルーテル大岡山教会に所属。それぞれ教会生活を送りつつ、讃美の奉仕も行っている。

【曲 目】 「日本の四季」(中田 喜直)より/リベルタンゴ(A・ピアソラ)、ほか

【コンサートの目的】 日本福音ルーテル社団(JELA)の実施する熊本地震による被災学生のための奨学金プログラムの支援

【協 力】 日本福音ルーテル社団(JELA


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チャリティコンサート関連記事(ブログ) 
日本福音ルーテル社団(JELA)ウェブサイト