2018/08/14

【信仰書あれこれ】教皇庁の説教師による来日講和

ラニエロ・カンタラメッサ著『聖霊とエウスカリスチア』(澤田和夫訳、2005年、サンパウロ)をとりあげます。著者はヨハネ・パウロ二世などが教皇の時代に、30年以上にわたりバチカンで教皇や枢機卿のための説教師を務めた司祭です。バチカンの説教師になる前には、ミラノ大学で教会史を教えたり宗務部長を務めたりしています。

伝統的なカトリック司祭として出発した後、カリスマ刷新を体験し、教皇庁の説教師となたった時点では、その運動を擁護する立場にありました。

本書は、著者が2005年5月上旬に来日して黙想会で語った内容とミサでの説教を編集した百ページ弱の冊子です。以下では、カリスマ刷新への自らの関わりについて触れた「聖霊の洗礼」という講和から引用します。

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カリスマ刷新の本質

  • カリスマ刷新に参加することは、教会の心臓部に入ることを意味します。何か奇妙なセクトに属するようになるのではありません。(38頁)
  • カリスマ刷新は、多くの司教や司祭が考えていることとは正反対に、表面的で感情的なものではないということが分かりました。それは、福音の真髄へと人を導くものです。つまり、イエスの十字架に導くものです。(44頁)


カリスマ刷新に関わる経緯と進展

  • その霊的な歩みに私が同伴していたご婦人が、ミラノである黙想会に参加なさって、戻って来て、「あそこで、とても変わった人たちに会いました。まったく変わった仕方でお祈りをするのです。手を上げて祈ったり、自分たちの間で奇跡が起こるなどと言ったりしています」と言うのです。賢明な霊的指導者として、私は彼女に言いました。「そこへ二度と行かないように」と。(39頁)
  • ある時、私はローマで行われていた(カリスマ的)祈りの集いに参加して、……人々は自分たちの中に司祭(=私)がいるのを見て、ゆるしの秘跡を受けに来ました。告白を聴いた時、私にとって大きなショックでした。こんな深い悔い改めを今まで見たことがなかったのです。それで初めて分かりました。「聖霊によって罪があると確信させられるとは、このようなことだ」と、……その人の魂から罪が落っこちて来るかのようで、目には涙があふれていました。「これは神のみわざだ」と認めざるを得なくなりました。(39~40頁)
  • 伝統的なカトリック司祭として、第二バチカン公会議以前の教育をしっかり受けていた者として、何か新しいものに対する恐れがありました。……それで、(カリスマ的)祈りの集いの時に、私の心の中にこんな考えがありました。「私はフランシスコ会員だ。私の霊的な父はアシジの聖フランシスコだ。美しい霊性がある。その他に何が必要か。この一般信徒たちが私に何を与えることができるのか……」という思いがずっと心にありました。その時、そのグループの一人が聖書を開いて、私のことを何も知らない人でしたが、読み出しました。洗礼者ヨハネがファリサイ派の人々に言った言葉でした。「『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを作り出すことがおできになる」<マタイ3:9>。主が私の異議に答えてくださったのだと分かりました。それで立ち上がって……話しました。「主よ、これからはもう決してアシジの聖フランシスコの息子などと言いません。なぜなら、私はまだ本当に聖フランシスコの息子になりきっていないからです。本当の霊的な息子になるために必要ならば、『聖霊の満たし』を受けましょう」。私は受諾しました。(42~3頁)


カリスマ刷新を経験した後の変化

  • ワシントンにあるカプチン会修道院へ戻る飛行機の中で、実際に私の中で何かが起こったことを自覚し始めました。聖務日祷を唱えるために本を開くと、祈りが全く新しい詩編のように思われました。それは、ちょうど前日に私のために書かれた詩編のように思われました。聖霊が来てくださることの最初の実りの一つは、聖書が私にとって生きた書物になるということでした。(46頁)
  • (バチカンでの奉仕の)第二年目の四旬節に、聖霊による洗礼について話すようにと、主が望んでおられることが分かりました。それで教会の心臓部において、私は「聖霊による洗礼」について話しました。……「『もう私たちは聖霊を受けた』と言い張らないように」と勧めました。「私たちはすでに司祭であり、司教であり、一般信徒の方が自分の上に手を置いて祈る必要はない」と言わないようにと。そんなことを言ったら、イエス様は答えられるでしょう。「私も、母マリアから生まれた時から、聖霊に満たされていたけれど、……信徒のヨハネから洗礼を受けました」。その説教の後で……ある枢機卿が私を引きとめて、明らかに感動しながら言いました。「きょう、この部屋で聖霊が語っているのを聞きました」。(50頁)


本書には、この講和の実践編とも言える別の講話「聖霊の洗礼に必要な回心」も収録されていて、「聖霊の洗礼」を受け、それを味わう順序として、①自分の罪を認める、②罪を悔い改める、③もう罪を犯さないという決心、④第四段階は罪を滅ぼす、⑤最後の段階は喜びと幸せです、という区分で具体的にわかりやすく説かれます。大変興味深い内容です。

JELA事務局長
森川 博己

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