2018/08/16

【信仰書あれこれ】みことばを生きる

岩島忠彦『説教集 みことばを生きる』(2003年、教友社)をとりあげます。

本書は、著者を含む四人のイエズス会司祭が、聖イグナチオ教会のホームページに主日の福音の説教を三年半ほど連載した中から、著者分を一冊にまとめたものです。

著者によると、「みことばを生きる」というタイトルにしたのは、これらの説教が、福音の言葉を一つひとつ拾い上げて自分の生活の中で味わうという姿勢を貫いたものであるためです。

著者はこうも説明します。「(私が)ずっと求めていたこと。それはお仕着せでない自分の信仰を生きていくということでした。受けた信仰が自分の生活とズレを生じることがないようにと言ってもいいかもしれません。そんな自分の心の軌道のようなものがこの説教集にはよく表れています」。(201頁)

本書は三部構成で、第一部では自分の内面や生き方に向かう内容、第二部ではイエス・キリストご自身に目を向ける要素、第三部では信仰を生きる様々な断面、が扱われています

以下では、第二部に含まれた「新しい革袋を」(マルコ2:18~22)という説教をご紹介します。

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ヨハネの弟子たちやファリサイ派の人々が断食をしているのに、イエスの弟子はなぜそれをしないのかという「断食論争」の箇所です。キリストの福音の二つの特徴、「喜びと新しさ」が説かれます。

  • 福音が「喜ばしい訪れ」であるといったことはいつも聞かされていますが、私たち信者は心底そう感じ受けとめているでしょうか。そのような思いが心から突き上げてくるでしょうか。……ルターがパウロに倣ってキリスト者の自由と解放を高らかに謳ったのに、プロテスタント精神の中に違った要素が巣くいだしたことはないでしょうか。(87頁)
  • この突き上げてくるような心の平和、救いの喜び、それがあってこそ、あらゆる艱難辛苦や信心の業に意味が出てきます。それは、キリストを通しての父なる神様との確かで強い交わりにこそあるのだと思います。……自分のうちに福音の喜びが息づいているかどうか確かめてみましょう。(87頁)
  • キリストの福音は、それに触れる者だれにとっても新しいものです。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」(Ⅰコリント2:9)。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」(Ⅱコリント13:13)は、人が通常の生の営みで体験するどのようなものとも異なるものです。それは真実と恵みと安心に満ちています。信仰するとき、「このようなことがあったのか!」と人は驚くほどの事柄です。神様との交わりは新鮮で、日々新たです。ですからそれに接する者は、それまでの生きる姿勢を修正する必要があります。「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)。全く新しいから、例外なくすべての人にこう語りかけられているのです。(87~8頁)
  • 今日の福音で言えば、古い革袋・古い服、それが従来の私たちであり、そのままでは福音の恵みが受けとめられないと言っているのです。……私たちも常識や自分なりの信念、やり方に固執することなく、「幼子のように」福音の新しさに身を委ねましょう。「喜び」と「新しさ」。これは、キリストの福音が示すかなり本質的な特徴です。自分の中にそんな性質が感じられる福音を確認できますか?(88頁)

本書に収められた説教では、神様のいのち、キリストの現存、その恵みといったことが繰り返し強調されています。じっくり味わうに足る説教集です。最初に引用される長い聖書箇所を除いた説教部分だけだと3ページ前後なのですが、いずれも内容的に深く、心の奥に語りかけてきます。

表紙はフラ・アンンジェリコの作品で、著者がぜひともこの本の表紙に使いたかったものだそうで、わかるような気がします。

JELA事務局長
森川 博己

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