2018/05/31

【信仰書あれこれ】神秘主義への手引き

19~20世紀に生きた神秘主義研究の泰斗、イブリン・アンダーヒルの『内なる生』(金子麻里訳、2017年、新教出版社)をとりあげます。

この本は、1926年に英国国教会リバプール教区の司祭たちに向けて、アンダーヒル女史が行った三つの講話を文字化したものです。英国国教会の聖職者(当時は男性のみ)に向けて女性の平信徒が霊的生活について語った初めてのケースであり(本書136頁)、この分野で女史の信望がいかに厚かったかがわかります。

以下に中身を少しご紹介します。

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  • 神秘主義と実践的宗教との関係
人は神秘主義について、あたかも実践的宗教とは異なるもののように語ります。しかし、現実問題としては、神秘主義はすべての実践的宗教に奥深く激しく脈打つ心臓であり、そこに僅かながらでも触れたことのない人は誰も、人の魂を感化し、神へと勝ち取ることはできません。神秘主義とは何か。それは最も広い意味において、宗教の中心的関心であるこうした「永遠的実在」と触れるべく「魂が外へと向かうこと」です。そして神秘的生とは、こうした信仰の対象を「生きた現実」へと変える、「愛と祈り」によって徹底された生活です。その「愛と祈り」は、神へと向けられた神ご自身のためのものであり、私たちの何らかの利害のためではありません。それゆえに、すべての真なる聖職者の内的生のうちに、何からの神秘的な要素が確実になければなりません。(41頁)

  • 聖職者にとって最重要な事柄
明白な事実から始めましょう。職業的に、宗教の真理を教え体現し、神の知識を広め、他の魂に寄り添うことに関わる者として、自らの個人的な霊的生活の問題こそが、皆さんにとって最も突出した重要な重みをもつという事実です。……宗教の伝道者として、まず何よりも必要なことは、自身の内なる生活が健全に保たれ、自らの神とのふれあいが堅実で、真実であるべきだということです。(中略)他の誰よりも宗教に関わる者こそが、ジョージ・フォックスのいう「万物を普遍なる光のうちに見る」わざを学び、それを習慣の水準へと高めていかなければなりません。(11~12頁)

  • 聖職者が一般信徒に与える影響の大きさ
あなたがいかなる人物であり、神との関係がいかなるものであるか、そのことが、あなたが訪ね、説教し、共に祈り、そして聖餐を授ける人びとすべてに影響を与えるべきであり、また与えることになるでしょう。というのも、そのことが、教会に参列する人びとにとって「霊的経験である礼拝」と、「慣れきった言葉が形式的に並べられた礼拝」との間に違いを生み出すからです。……皆さんがいかなる人物であるかは、ご自身の祈りによる密やかな生活によるものです。つまり、「神の実在」にしっかり向いているか。それが問われるのです。(19頁)

  • 神の愛の感染
私が意味する「内なる生の質」とは、過酷な集中や緊張によって特徴づけられるものではありません。むしろ、聖人たちの中でも、最も愛情深い人びとのうちに見出だされるような、謙虚で穏やかな献身のことをいうのです。またそれは、感染力のあるキリスト教徒を生み出す質を意味します。つまり、皆さんから人びとに、神の愛が「うつる」ようにさせる質です。なぜなら、皆さんが神の愛に感染しているならば、つまり、皆さん自身がその愛、歓喜、平安を、そしてその聖別された生の究極の喜びを感じているならば――教会における礼拝のあらゆる儀式的行為が、皆さんの魂からの自由かつ自発的な賛美に満たされるほどまでに感じているならば、人びとはその神の愛をもらわずにはいられないからです。(20頁)

アンダーヒルの著作のうち日本語で読めるものが他に二冊あります。『実践する神秘主義――普通の人たちに贈る小さな本』(金子麻里訳、2015年、新教出版社)『神秘主義――超越的世界へ至る途』(門脇由紀子他訳、1990年、シャプラン出版)です。前者は、本書と同じ訳者による全訳ですが、後者は四人の学者が原書の約半分を訳したものです。

JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/30

【難民支援】仏独における難民支援の視察報告会のお知らせ

JELAとNPO法人WELgeeは、6月9日(土)に「パリ・ベルリン報告会 × 共創型ワークショップ」を共催します。

両団体のスタッフが参加した、フランスとドイツにおける難民保護団体視察報告をはじめ、難民の方による料理や、難民と語り合うワークショップなど、盛りだくさんの内容です。

イベントの概要は以下の通りです。参加なさりたい方は、下記のイベント詳細ページより事前申込が必要です。締切は6月8日(金)午後12時

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パリ・ベルリン報告会 × 共創型ワークショップ ~ Chaos to Co-creation

【日時】6月9日 (土) 10:00~15:00

【場所】恵比寿ガーデンプレイス27階

【内容詳細】
第一部: パリ・ベルリン報告会 (10:00~12:00)
難民・移民関連の15の団体を臨場感たっぷりに紹介します。 難民の受け入れを、民間で面白いイニシアチブを取り、政府が真似したくなるような前例を作ってゆく、そんな力強くて、ユニークな取り組みばかりです。

お昼休憩: 難民当事者の方がつくる特製郷土料理のランチを堪能!! (12:00~13:00)
料理が大好きなAさんの郷土料理を堪能できます。

第二部: 共創型ワークショップ「From Chaos to Co-creation」 (13:00~15:00)
第二部は、難民当事者の方が持ち寄ったテーマを分科会形式で話し合います。以下の10のテーマの小グループでディスカッションを行います。
◎難民 × ブロックチェーン ◎難民 × プログラミング ◎難民 × 起業家精神 ◎難民 × 人権 ◎難民 × メディア・マーケティング ◎難民 × 教育 ◎難民 × 農業・フード ◎難民 × コミュニティ ◎難民 × 医療 ◎難民 × ファッション....
※以上のテーマは変更の可能性があります。

【参加方法】
こちらのページから、チケットを事前に購入してください。締め切りは6/8(日)午後12時です
① 【限定 60名】一般枠 参加費: 4000円
② 【限定 15名】学生枠 参加費: 2000円
※キャンセルに関するお知らせ:ケータリング準備の関係で、6月2日午後12:00以降にチケットを購入された方には、返金いたしかねます。

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【関連リンク】   

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】ラビリンス・ウォークでハープ奏でる


リラ・プレカリアのキャロル・サック宣教師、早野潤子さん(第5期修了生)、藤井真理恵さん(第6期修了生)の三人が、5月23日夜に賀川記念館(兵庫県神戸市)で開かれた「ラビリンス・ウォーク瞑想会」でハープを奏でました。

ラビリンス・ウォークが関西で開かれるのは初めてとのことです。その様子が5月26日付「産経新聞」第27面(兵庫版)に掲載されました。


こちらから紙面のデータがご覧いただけます。


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リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

2018/05/29

【ブラジル・音楽ミニストリー報告】プログラム拡大計画(2)

5月の音楽教室活動報告の後半です。


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学童保育、人間教育としての音楽教育

8月から神学研修生を一人呼ぶ予定で調整中です。日本のルーテル教会から神学生をインターンとして呼ぶ話もありましたが、すぐに実現しそうにないので、ブラジルの神学校から呼んで一緒にやってみることにしました。


神学生が来れば、土曜日にもプログラムを計画しています。メロ先生のためにも、一緒に働く教会メンバーのためにも、よい経験になるでしょう。

来年、私たち夫婦が日本へ帰った後は、若い牧師か神学校を卒業した社会奉仕者を招へいして、その人とメロ先生の二人体制でやっていってもらうつもりです。そのための準備にもいいでしょう。

神学生が来れば、火曜日・木曜日・土曜日に教会で教室、日曜日に礼拝という流れができます。学校が「午前半分か午後半分だけ」というブラジルの公立学校は、子どもたちには危険がいっぱいです。アルコールや麻薬が簡単に手に入ります。

週に2~3回、教会の教室に通うことが学童保育のようになり、日曜に礼拝に来るペースができるなら、非行から遠ざかることができます。人間教育になるし、パソコンなどの職業訓練も彼らの将来を開くでしょうし、教会で信仰を持つようになればどんなにいいか、と祈りながら進めています。

礼拝に出る子供たちも増えて、にぎやかになってきました。今後とも、皆様のお祈りとご支援をよろしくお願いします。


徳弘浩隆

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【ブラジル・音楽ミニストリー報告】プログラム拡大計画(1)

JELAが支援するブラジル・サンパウロ教会の音楽ミニストリー「AMILU」について、5月の報告が届きました。2回に分けてご紹介します。

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週二回の音楽教室


メロ先生が帰国してからの音楽教室は、私たち徳弘夫妻が木曜日に移動して、スタッフやボランティアも含めて火曜日の教室をメロ先生に引き継ぐことにしました。

 火曜日は、おもにピアノ教室をメロ先生とボランティアの日本人女性が各グループ30分交代で進めます。キーボードとヘッドフォンも買い足しました。ピアノと合わせて4台で4人を同時進行で教えます。


木曜日は朝10時前について準備です。私が子どもたちのジュースを作り、お茶とコーヒーを沸かします。妻は子どもたちとリトミック教室です。「ディズニー体操」や「エビカニダンス」がちいさな子どもたちは大好きです。

新しいものとして次に選んだのは、日本が誇る「ラジオ体操!」です。ブラジルの公立学校では音楽や体操の授業がないので、こういうダンスでこどものころからリズム感を養えたらと願ってのことです。

ラジオ体操は意外と人気で、手と足が逆に動いたり、うまく開脚ができなかったり、笑いながら楽しくやっています。

その後は合奏。そして10歳以上の子はパソコン教室で私の出番です。小さな子たちは、お習字をしたり、折り紙をしたり、「文化クラス」をしています。11時半になると、一斉に終わっておやつの時間。

 
午後も歌を歌って、合奏をして、パソコンもします。習字や折り紙も。15時には手を洗っておやつの時間です。ホットドッグやモルタデーラという塩辛いハムを挟んだパン、フライドポテト、炭酸飲料などのジャンクフードは体に悪いので、時々しか出さないようにして、できるだけパンとスープとジュースにリンゴという「食育メニュー」。その他にも卓球やサッカーも楽しんで、もちろんパソコンも教えています。なんだか「学童保育」のようになってきました。
 徳弘浩隆


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2018/05/28

【信仰書あれこれ】キリスト教霊性の現代の名著

2000年4月に、当時のJELA事務局長(米国人宣教師)が英語のキリスト教書を一冊くれました。”Celebration of Discipline –The Path to Spiritual Growth” written by Richard J. Fosterです。初めて目にする著者名でした。初版の発行は1978年です.

この欄で紹介した『牧会者の神学』の著者ユージン・ピーター
ソンの推薦文が裏表紙にあります。「雨の日に子どもが屋根裏部屋を探し回って、宝物をたくさん見つけ、きょうだいに知らせるように、リチャード・フォスター は、現代では忘れ去られてしまった霊的訓練の数々を発見し、興奮しながら私たちに教えてくれます。それらは、彼が説くように、喜びを得るための道具であり、成熟したキリスト信徒としての霊性と豊かないのちへの道程となるものです。(森川訳)

6年後にようやく日本語訳が出ました。『スピリチュアリティ 成長への道』(リチャード・J・フォスター著、中島修平訳、2006年、日本キリスト教団出版局)です。

概要については、黒木安信氏が『本のひろば』2006年12月号に寄せた書評がわかりやすいので、右からご覧ください。→ 黒木氏の書評

以下から本書のエッセンスを感じ取っていただければ幸いです。

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  • 自分の意志や決意の力で人格の内面を変革しよう、ということに絶望したなら、素晴らしい悟りへの扉を開いたことになる。すなわち、われわれの内面の義、正しさは、神からの贈り物であって、神の恵みによって受け取れるものだ、という洞察である。……内面の仕事は、ただ神のみが内側から働くことができるのである。(18頁)
  • この息をのむような教えを把握した瞬間に、われわれはすぐさま逆方向に向かうという誤りを犯す危険性に直面する。われわれができることは何もない、と信じてしまう誘惑である。……ただ待つのみ、というのは誤った結論である。……神の恵みを受け取る一つの手段として、神はわれわれに霊的生活のための訓練をくださっているのである。この訓練によってわれわれは真っ直ぐに神の前に自分を置くことができるようになり、神はわれわれを聖化し変貌させてくださるのである。(19頁)
  • 使徒パウロは言った。「自分の肉のために撒く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために撒く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです」(ガラテヤ6:8、新改訳聖書)と。農場経営者が穀物を成長させようとしても不可能である。穀物の成長のための正しい環境をつくることができるのみである。……霊的訓練も同じことである。霊的訓練とは「御霊に撒く」ことなのである。……霊的訓練がわれわれを、神が働いてわれわれを変貌させることができる場所に置くのである。(19頁)
  • 注意すべきことは、これら祝福された霊的訓練を、魂を殺してしまう律法の一つに変えてしまうことも可能だということである。……霊的訓練を熱心に求めるあまり、それらの訓練を主イエスの時代、律法学者やファリサイ派が陥っていた外面の義に変えてしまうのは、容易なのである。……人格の内的な聖化や変貌は神の業であってわれわれの為し得ることではないと純粋に信じるなら、他者を支配する願望は消えるであろう。(21~22頁)
訳者はフラー神学大学院における著者の後輩です。著者と面識があり、著者の人柄を「神に触れられ、神に触れている人」(268頁)と記しています。

本書はキリスト教霊性の名著としてミリオンセラーを記録していますが、翻訳もドイツ、フランス、スペイン、デンマーク、ポルトガル、アフリカンズ、ロシア、韓国、中国を含む15か国でなされているとのことです。

リチャード・フォスターには有益な書籍が多数あるのですが、和訳されているのは本書だけです。不思議です。

JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/24

【信仰書あれこれ】ことばと写真で主をたたえる

以前に「ことばと絵」で主をたたえる作品を紹介しました。今回は「ことばと写真」で同じことをしているものを選びます。『夜も昼のように』(小島誠志:文、森本二太郎:写真、2006年、教文館)です。

各ページの小島誠志氏の短い文に添えられた森本二太郎氏の写真が、実に魅力的です。その一端は、表紙の写真からご想像いただけるでしょう。

以下に何か所か引用します(言葉のみ)。写真付きの本作品はプレゼントに最適の一冊です。

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  • 新しいこと
「見よ、新しいことをわたしは行う。」(イザヤ書43:19)
神は、毎日同じことを繰り返しておられるのではありません。日毎に新しいみわざを行っておられるのです。神はわたしたちに新しい恵みを見させてくださるために、今日の命をくださっているのです。身を伸ばして、一日一日を受け取ってゆかなければなりません。(2~3頁)
  • 主の恵み
「味わい、見よ、主の恵み深さを。」(詩編34:9)
主の恵みは味わい深いものであります。これは良い、これは悪いと決められるものではありません。つらい悲しいと思われる事柄の中にも、かならず恵みは隠されているのであります。それはやがて思いがけない形で現れ、わたしたちの人生を底から変えるものになります。(22~23頁)
  • 赦しと愛
「赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」(ルカによる福音書7:47)
……神はだれかを多く赦し、だれかを少なく赦しておられるのでしょうか。そんなことはありません。ただ自分がどんなに多く赦されているか身にしみてわかる人があり、自分のことをそれほどの罪人とは思わない人がいる、それだけのことであります。(48~49頁)
あとがきに作者お二人の言葉があるので一部引用します。
<小島誠志> 「初めに、神は天地を想像された」、森本二太郎さんの写真を見るとき、いつもこの言葉を思い起こします。……あらゆる夾雑物を排した、存在そのものの持つオリジナルな美しさが、けっして大げさでなくつつましく輝いています。……
<森本二太郎> ……言葉のつむぎだす世界と画像の描き出すイメージが、様々な形で共にはたらいて、心の振幅をふくらませる作用が生まれたら、それは幸いな出会いだと思います。小島先生の的確に単純化された言葉で力強く語りかけられる深い慰めの真実が、写真に新たな生命を与えて下さることに心から感謝します。
森本二太郎氏の写真を楽しみたい方には次のような作品もあります。


JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/23

【チャリティコンサート2018】保谷教会 晴天のアヴェマリア

第15回世界の子ども支援チャリティコンサートの第4公演を、5月20日(日)に日本福音ルーテル保谷教会(東京都西東京市)で開催しました。このところ毎年、会場になっていただいている教会です。

真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)の美しい演奏と楽しい話に、会場は笑顔であふれました。晴天の日差しにつつまれたコンサートは、ペンテコステ(聖霊降臨祭)を祝うかのようでした。

シューベルトのアヴェマリアが演奏された際には、メロディを一緒に口ずさむ方もいらっしゃり、みんなで和やかな時間を過ごすことができました。

【チャリティコンサート2018】挙母教会でアットホームなコンサート


第15回世界の子ども支援チャリティコンサートの第3公演を、5月19日(土)に日本福音ルーテル挙母教会(愛知県豊田市)で開催しました。

幼稚園併設の教会ということもあり多くの子どもたちが来場し、真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)は、アットホームな雰囲気の中で優雅な演奏を披露なさいました。

来場者へのアンケートでは、子供と一緒に楽しむことができたことを喜ぶ声をいただき、家族で音楽を味わう良い時間となったようです。
ワークショップの様子

終演後には、演奏者を囲んでのワークショップが行われ、楽器や演奏曲に関する質問が飛び交い、大いに盛り上がりました。

2018/05/22

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】大盛況の記念イベントで新たな出発を誓う

5月18・19日の二日間JELAホールで、「音楽から沈黙へ」と題するリラ・プレカリア創立12周年記念講演会・コンサートを行いました。ゲストとして招かれたのは、オーストラリアで活躍されている認定音楽死生学士のピーター・ロバーツ氏(ハーピスト)。会場は両日とも満席で、二日間で延べ280人以上の人々がホールを埋め尽くしました。
講演するピーター・ロバーツ氏

このイベントは、リラ・プレカリア研修講座の修了生(第1~6期)が実行委員会を立ち上げ企画した初めての催しであり、幸先のよいスタートです。

ロバーツ氏は音楽死生学の分野でキャロル・サック宣教師(リラ・プレカリア創始者)の先輩です。キャロル宣教師も学んだ米国の学院での研修を終えた後は、オーストラリアで音楽死生学士として先駆的な働きをしてこられました。ロバーツ氏の生き方と活動に焦点を置いたドキュメンタリー映画が作られるなど、オーストラリアで用いられている方です。

JELAホールでの講演会では、自身のオーストラリアの活動や家族のことについてユーモアも交えながら紹介し、途中途中にハープの生演奏も聴かせてくださいました。

19日午後には、リラ・プレカリア創立12周年記念パーティがあり、修了生らは親交を深めつつ、新たな出発を誓い合いました。

リラ・プレカリアはこれからも、修了生を中心に活動を続けてまいります。皆様お祈りとお支えをよろしくお願いいたします。

Reverie Harp (レベリーハープ)を奏でるピーター氏
リラ・プレカリア関係者の12周年記念の記念写真
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リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

2018/05/21

【信仰書あれこれ】絵とことばのコラボレーション

『喜びも、悲しみも』(小島誠志:文、渡辺総一:画、2007年、教文館)をとりあげます。

小島誠志氏は様々な聖句を数行で解説する『聖句断想』シリーズを出しています。とても深いショートメッセージで、その1~4巻から、渡辺総一氏 が絵をつけた44編を一冊にまとめたのが本書です。

『聖句断想』では白黒だった絵が、本書ではカラーで示され、渡辺氏は「絵にこめた象徴的な要素も、併せて見ていただけることを喜んでいます」(本書91頁)と書いておられます。

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本書は霊的な説明と、表紙に見られるような大胆な図柄の絵(表紙の絵のテーマは「共におられる主」)の見事なコラボレーションです。次のようなパタンで構成されます。

★「一筋の心」の項(22~23頁)
聖句=御名を畏れ敬うことができるように/一筋の心をわたしに与えてください。(詩編86:11)

  • <日本語解説>ひとすじの心とは神に向かう心です。試練の日も悩みの日も神に向かうのです。誘惑された時も罪に落ちた日も逃げないで神に向かうのです。……苦難のヨブは嘆きましたが、神に向かって嘆きました。怒りましたが、神に向かって怒りました。
  • <絵>表題を象徴的に描いた絵が左ページ一面に配され、その下に、”Let Me Worship Your Name with Straight Heart” という英文の説明が付されています。

このように「一筋の心」が神だけに向かう真っすぐな心だということが、聖句・和文説明・絵・英文説明で総合的に、簡潔に、そして味わい豊かに示されます。

他の項を少し紹介します(和文のみ)。

★「泣く人と共に」の項(26~27頁)
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙12:15)

  • 喜ぶ人と共に喜ぶのはむつかしいことであります。苦しみの時、一緒に泣いた人が一緒に喜べるのであります。人の悲しみのそばにいること――つらいことだけれど、それが一切の始まりです。

★「富める者」(46~47頁)
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。(マタイによる福音書19:24.<口語訳>)

  • 富とはなんでしょう。自分は良いことをしたと思う心であります。……その「富」がわたしたちを、神の国 から決定的にへだてているのです。神の国はただ神のあわれみによって、入れていただくものなのであります。えらい人はひとりもいません。(46頁)

★「最も小さい者」(58~59頁)
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイによる福音書25:40)

  • 「小さい者」とは……病気であったり、障害をもっていたり、挫折した人であったり、――つまり傷を負って生きている人々のことであります。そうした人々に関わることは、なんらかのかたちで重荷を負うことになるでしょう。しかしそこに踏み込まないで主に出会うことは、できないといわれているのであります。

本書の解説はどれも簡潔で、聖句のポイントをわかりやすく示し、心に迫る内容です。プレゼントすると喜ばれるでしょう。これを書きながら私も、何人かの人に贈ろうという気にさせられました。

小島誠志氏には、『朝の道しるべ――聖句断想366日』(2011年、教文館)という、文庫サイズのデボーションの本があります。こちらも充実しています。

JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/18

【チャリティコンサート2018】沼津教会 荒天に負けぬ盛会

第15回世界の子ども支援チャリティコンサートの第2公演を5月13日(日)に日本福音ルーテル沼津教会(静岡県沼津市)で開催しました。

大雨にも関わらず54名の方にご来場いただき、3年連続開催となる沼津教会の、厚いお気持ちが感じられるコンサートとなりました。

真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)の巧みな演奏に観客席からは時折ため息がもれました。プログラム最後の難曲、パガニーニの「ソナタ・プレギエーラ」では、終盤にさしかかるあたりから拍手が始まるなど、皆さんが演奏を心から楽しんでいらっしゃることが伝わってきました。

【チャリティコンサート2018】岡崎教会で開幕

15年目となる「世界の子ども支援チャリティコンサート」シリーズの初回を5月12日(土)に、日本福音ルーテル岡崎教会(愛知県岡崎市)で開催しました。

春の陽気に恵まれ、来場者72名の盛会となりました。真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)は、息の合った華麗な演奏を披露し、歴史ある岡崎教会の会堂を豊かな音色で満たしました。
ワークショップの様子

近隣の中学校の吹奏楽部の皆さんもお越しくださいました。終演後には、演奏者がワークショップ形式で質問に応じ、楽器の奏法や練習の心構えなどについてプロの演奏家ならではの視点から答えました。
 

【難民支援】難民と語り合うサロンをJELAホールで開催

JELA難民事業委員の渡部清花(わたなべ・さやか)さんが代表を務めるNPO法人WELgeeが主催するイベント「WELgeeサロン」が、JELAとの共催で4月21日にJELAホールで開催されました。

「難民と語り合う」をテーマとした当イベントには、様々な国籍の難民の方々をはじめ、日本人の学生や社会人等多くの方がお見えになりました。

この日のトピックは「新生活」。参加者は、難民の方々が語る日々の生活での悩みや苦労に耳を傾け、アドバイスや共感の言葉を返していました。

日本人参加者は難民の生の声を聞くことができ、日本で暮らす難民の方々の問題を、身近なこととして捉えることができたようでした。難民の方々も、友人として親身に話を聞いてくれる日本人がいることに感激していました。


難民と日本人が対等の立場で対話できるこのサロンを、これから時々、JELAホールで開催しますので(このニュースブログ欄で事前に周知します)、ご興味のある方はお越しください。

【関連リンク】 


2018/05/15

【信仰書あれこれ】あわれみの表し方

ヘンリ・ナウエンのことを知ったのは20年近く前です。今回は、最初に読んだ彼の本『あわれみ――コンパッション――ゆり動かす愛』(他二人との共著、石井健吾訳、1994年、女子パウロ会)をとりあげます。

某大学教授が言いました。「ある本をまとめよ、と言われて、だらだらと本を引用するだけでは脳がない。要点を抜き出し、それをどう分類するかが頭の見せどころなんだよ」。

「脳がない」方法でこの本を紹介することになると思いますが、よろしくお願いします。

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本書の目的と中身の概要は以下の通りです。

  • 私たちの最高の理想は、最小の痛みで最大の満足を味わうことなのでしょうか。……この本の答えは「ノー」です。……ここに示される見方は、イエスが言われた「あなた方の父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい」(ルカ6・36)という言葉に基づいています。(8頁)
  • 私たちはまず初めに、イエス・キリストにおいてお現われになったあわれみ深い神について話そうと思います。……。第二に、キリストに従う者として、あわれみ深い生き方をすることの意味を探ろうと思います。……最後に、あわれみによる祈りと活動の方法について考えたいと思います。(10頁)


鋭い問題意識が感じられる部分を何か所かご紹介します。

<奉仕の目的は神との出会い>

  • もし私たちが……仕える者としてのあり方を神ご自身と出会う方法としないなら、徹底して仕える生き方は意味がないでしょう。……私たちがこの僕としてのあり方の中心に、安らぎと慰めのすべての源である神ご自身を見るようになると、あわれみは、恵まれない人々のために善業をすること以上のものになります。(52頁)
  • ここで私たちは、奉仕とは神を探し求めるためのひとつの表現であって、個人や社会の変革をしようという望みなどではない、深い霊的真理に触れるのです。……私たちが他者に提供する援助が、達成できるかもしれない変革を主眼とする限り、その奉仕は長続きしません。結果が現われず、成功は見込めず、自分たちのしていることへの好評や賞賛が消えてゆくとき、続ける力も動機も失ってしまいます。(53頁)
  • 本物の奉仕があるところには、喜びもあります。なぜなら、奉仕の中には神の現存が目に見えるものとなり……イエスに従う者として奉仕する人たちは、自分が与える以上に多くを受けていることに気づきます。それはちょうど、自分の子どもは自分の喜びなので、その世話をするのに報いなど必要としない母親と同じで、隣人に奉仕する人たちも、自分たちが奉仕する人たちの中にその報いを見出すのでしょう。(54~55頁)

<常識の場を離れることの大切さ>

  • 共同体を、おもに何か温かく柔らかく、家庭的で、居心地がよく安全なものと理解するなら、それは神の従順な仕える者としてのあり方が現われてくるような場には決してなりえないでしょう。私たちが、共同体を第一に個人的な傷をいやすものとして作ろうとするなら、それは、他の人の痛みに連帯することを効果的に実現する場にはなれないでしょう。キリスト者の共同体の逆説は、人々が自発的に「自分の場を離れて」共に集まるところにあります。(104~105頁)
  • 自発的に「自分の場を離れる」ことの逆説は、私たちをこの世界――父、母、兄弟、姉妹、家族、友人――から引き離すように見えますが、実際はそれとのより深い一致の中にいることに気づかせるのです。自発的に「自分の場を離れる」ことは、確実にあわれみに満ちた生活へと導くものです。それは私たちを、区別する立場から他社と同じになる立場へ、また特別の場所に身を置くことからどんな場所にでも身を置くことへと私たちを動かすからです。(112頁)

ナウエンは多くの著作が日本語で読めますが、とっかかり的な情報を知りたい方には、大塚野百合著『ヘンリ・ナウエンのスピリチュアル・メッセージ』(2005年、キリスト新聞社)をお勧めします。

JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/14

【世界の子ども支援】毎日メディアカフェでソーラーランタンの有効性を説明

5月11日(金)に毎日新聞東京本社のメディアカフェで、パナソニック株式会社のCSRセミナー「みんなで“AKARI”アクション~無電化の地域へあかりを届けよう」が行われました。

中央がグリテベックと奈良部職員
パナソニックは2018年に創業百周年を迎えるにあたり、2013年からその記念事業「ソーラーランタン10万台プロジェクト」に取り組み、今年1月に目標を達成しました。

JELAは10万台の3%強にあたる3,218台をインド・カンボジアの支援先へ寄贈していただきました。そして受贈家族からアンケート形式で多数のデータを収集し、アジアの無電化貧困地域に及ぼすソーラーランタン利用の効果について分析しました。

セミナーでは、上記の分析に携わったJELA上級顧問のローウェル・グリテベック(国際開発学博士)が、以下のような内容をスライドを示しながら説明しました(通訳:奈良部慎平JELA職員)。
  • ソーラーランタンの使用は子どもの学習時間の増加、家計のエネルギーコストの削減、より豊かで充実した家族団らんの時間の産出を実現した。
  • 家庭のエネルギー支出が月3~4ドル節約できることとなり(貧困家庭にとっては大きな額)、余ったお金の44%は子どもの教育費、40%は栄養価の高い食費に向けられた。
  • 灯油ランプを使わなくてよくなったことにより、家族の健康状態が改善した。
  • ランタンは明るくて軽く持ち運びに便利なため、夜間外出が安全に行えるようになった。
セミナーの模様は、5月14日付の毎日新聞の朝刊紙面や同社WEBサイトに掲載されました。

2018/05/07

【信仰書あれこれ】日本人向けに書かれたユニークな聖書物語

中川健一『日本人に贈る聖書ものがたり――族長たちの巻』(2003年、文芸社)をとりあげます。全4巻2400頁の最初の巻です。各巻二分冊、全八分冊の文庫 にもなっています。

本書のユニークさは、「日本史からの事例(家康、竜馬など)を随所に引用しつつ、アブラハムからイサク、ヤコブ、ヨセフの四代にわたるヘブル人の歴史を解説している」(帯文)点にあります。以下にいくつか具体例を紹介します。引用されるのは日本史に限りません。

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私が示す地へ行け」 という天の声をアブラムが聞く場面への導入として、アルベール・シュバイツァー (1875~1965年)の体験が挿入されます。

  • シュバイツァーが幻に捉えられたのは、1905年のことであった。……ある夜、彼は書斎で翌日の講義の準備をしていた。……不要なものを屑かごに放り込んでいたその時、一冊の雑誌が――なんとその雑誌は誤配されたものだったという――、彼の手をすり抜けるようにして床に落ちた。開かれたページに目をやると、そこにはこうあった。「コンゴはあなたの助けを必要としている」。彼は何気なくその記事を読み始めた。そして、次の言葉が彼の心に終生消えることのない火を灯した。「中央コンゴのギボン州 では、働き人が不足している。必要は山ほどあるのに、労する者がいない。私はこの記事を書きながら、祈っている。神が、すでにこの働き人のために選んでおられるその人物の上に手を置いてくださるようにと」。……その時から、彼は自分の人生をコンゴのために捧げた。生活のすべての要素がその目的のために統合され、管理されていった。……彼は1911年に結婚し、1912年に医学博士となり、1913年に看護婦の妻とともにフランス領赤道アフリカに渡った。(30~31頁)


ある箇所はつぎのように始まります。

  • この項は、長い挿入句だと思ってお読みいただきたい。筆者はここに来るまで意図的に「神」という言葉を避けてきた。……「神」という言葉のどこに問題があるか。それを解明するためには、日本語聖書の翻訳の歴史をひもとく必要がある。専門的な議論はなるべく避け、主要な点にだけ光を当ててみたいと思う。(76頁)


これに続く10頁が、次のような事柄の説明に費やされます。(76~85頁)

  • ザビエルが日本で伝道する際に、聖書の創造主という概念をどのように当時の日本人に伝えたか。
  • 初の日本語聖書(ギュツラフ訳聖書 )と新共同訳との比較。特に、ヨハネ福音書冒頭部分の「言」(キリス)と「神」をどう訳しているか。

「初めに言があった。言は神と共にあった」(新共同訳)
「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル」(ギュツラフ訳)

  • 日本語訳聖書に「神」という語が採用されるようになった経緯。それへの中国語訳聖書の影響。中国語訳聖書には三種類の訳語(天主、上帝、神)があり、日本がそれらから訳語を採用する際に、日本で奉仕していた宣教師の教派的伝統が与えた影響。


アブラムは妻サライとエジプトに入るに際して、エジプト王パロがサライを気に入り、夫である自分を殺すのでないかと恐れ、サライが妹だと偽ります。このような環境下で、パロから後宮に呼ばれるまでサライがどんな思いでいたかを、著者は安土桃山時代のキリシタン女性、細川ガラシア豊臣秀吉の逸話によって説明します。

  • 朝鮮の役で多くの大名たちが外征していた。その隙に、秀吉はそれらの大名の妻や娘たちをしきりと誘ったことがある。……要は食指を伸ばしたということである。絶世の美女との誉れの高かった細川ガラシアも、内謁を申し付けられた。……その時彼女は死を覚悟し、正装した下に白装束を着け殿中に上った。帯の間には、密かに短刀を忍ばせ、両手をついて平伏した瞬間にそれが抜けて畳の上に落ちるように仕組んだ。……さすがの秀吉も彼女の決意を察知し、そのまま彼女を帰したという。サライも同じことを考えた。(145~146頁)


日本の歴史物語が好きな人には、本書はうってつけの聖書入門書でしょう。ただし、まだ信仰が与えられていない方は、著者の次の言葉を心にとめてください。

  • 聖書を読めば神の存在が証明されるのではないかと考えて、読み始める人がいる。しかし、その試みはほとんどの場合、挫折で終わる。なぜなのか。聖書が神の存在を証明する本ではないからだ。聖書とは、神が存在することを前提にした本である。最初の書である創世記の書き出しからしてそうである。「初めに、神が天と地を創造した」。そこには、神とは誰なのかという紹介も、どういう方法で天と地を創造したのかという説明もない。宇宙がそこに存在している。それだけで、創造主がいるという証明になっている。それが、聖書の論理である。(40頁)


JELA事務局長
森川 博己

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