2018/05/07

【信仰書あれこれ】神からの恵み・神による選び

佐藤敏夫『改訂 キリスト教信仰概説』(1992年、ヨルダン社)をとりあげます。180頁に満たない薄い本ですが、ポイントが要領よくまとめられています。

「はじめ大学の学生を念頭において書いたものであるが、求道者の入門書としてはやや難しく、信仰に入ってキリスト教を系統的にとらえてみたいという人たちに、ちょうどよいのではないかと思っている」(最終頁)と著者は書いていますが、その通りの内容です。

本書から教えられたことの一部を以下に紹介します。

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カルヴァンの「二重予定説」をご存知でしょうか? 「神は永遠の昔その憐れみから、ある者を救いへと選び、ある者を滅びへと決定した」(本書120~121頁)という教理です。

すぐに予想できるのは、「救われる人・救われない人が決まっているなら、伝道する意味があるのか」「神が愛なら、全員が救われるべきではないのか」……といった反応です。

実際、学問の世界では、「カルヴァンと同時代のヒューマニズムの神学者たちは、この教理に耐ええなかった。……アルミニュウスもその一人である。彼は、救いは信仰次第であることを強調した。神は永遠の昔、信ずる者を救うことを決定した」(121頁)という考えが現れます。

著者はこの問題を、以下のように説明します。(引用聖書は「口語訳」)

  • 宗教的真理が人間の言葉で容易に表現しえないような深さをたたえ、そのために、あえて表現すれば、非常識な、極端な意見のように見えることがしばしばある……。奴隷意志論や予定説はまさしくそういうような種類のものと言えよう(121~122頁)



  • 我々が永遠の昔から神によって選ばれているようなことは、一種の神学的思弁のように聞こえ、そのような教えに疑問を感ずる人がいるかもしれない。しかし、我々はすでに……「わたしのためにつくられたわがよわい日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた」(詩編139:16b)について言及し、我々の存在が永遠の中に根拠を持つことについて語った。我々の存在が神の永遠の昔から神に知られているということが、決して神学的思弁ではなく、聖書の語るところであるように、我々の救いもまた、神の永遠の意志の中に根拠を持つものである。(122頁)



  • 聖書の思惟が典型的な仕方で遠く神の意志へと及んでいると思われるのは、(エペソ1:3以下の)次の言葉である。「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」(122~123頁)


著者はこのように、聖書がどう語っているかに目を向けさせます。そして、この問題を思惟する(=考える)者が立つべき位置についても注意を促します。

  • 我々が神の永遠の決意について思惟するのはよいとして、その際気を付けねばならないのは、……神と人間との関係を観客席から眺めるような、言わば世界観的な思惟をするということではないということである。(中略)予定信仰が我々の恵みの体験と結びついているものであることを知る必要がある。我々が自己のよき業や生活によって救われるのではなく、ひとえに、キリストにおける神の恵みによって救われるとすれば、なぜ自分がこのような恵みにあずかるかは、神の選びという言葉によってしか説明のしようのないようなものである。……キリストの恵みにあずかりうるのは、まったく神の選びによるものである。この意味で、恵みの体験と選びの思想とは一つに結びついている。……人類全体に神がどんなふうに関わるかを眺めようとするような思惟ではなくて、自己のあずかっている恵みを考えるとき、選ばれているとしか考えようがないという意味での思惟である。(123~125頁)


著者の説明はゆきとどいていて、以下の点に言及することを忘れません。

  • 聖書においてはっきり言っていることは、選びということである。では、選ばれない者はどうなるのかという質問も出てこようが、それは……世界観の問いであって、それは神に委ねればよいであろう。我々にとって重要なのは、ただ、神は我々を恵みによって選ぶ、ということである。(125頁)


著者によると、現代もっとも独創的な予定説の提唱者はカール・バルトだそうで、その根底にある神学的モチーフを本書の説明に採用しているとのことです。

JELA事務局長
森川 博己


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