2018/08/27

【信仰書あれこれ】マザー・テレサとの日常的な接触

片柳弘史『カルカッタ日記――マザー・テレサに出会って』(2003年、ドン・ボスコ社)をとりあげます。ちなみに2018年1月31日の本欄「吉永小百合さんに差し上げた本」でも、片柳氏の別の著書『祈るように生きる』(2015年、ドン・ボスコ社)をとりあげています

大学を出たばかりの平信徒・片柳氏は、1994年から95年にかけての通算約一年ほどをカルカッタのマザー・テレサのもとでボランティアとして過ごしました。現地で堅信式を受けるにあたりマザーに代母になってもらった経緯や、マザーから司祭 になるようにとの勧めを受けたときの戸惑いについても記されています。

本書は、マザー・テレサの日常的な振る舞いや珠玉の言葉に身近で接した20代の若者の貴重な記録です。

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1994年11月20日の日記から
  • 行列が始まった。……マザーの後ろにくっついて1時間くらい街中を歩いた。マザーの周りにはたくさんの人が近寄ってきた。話しかける人、足に触ろうとする人や、マザーを拝んでいる人までいた。街の人々はみなマザーをとても尊敬し、愛しているようだった。後ろから歩いて気がついたのは、マザーがスタスタと歩くということだ。マザーはもともとそれほど背が高くないのだが、今は背中が曲がってしまってかなり小さく見える。だが、他の人に負けないように、大股ですばやく歩くのだ。……マザーの足をよく見ると、ひどい外反母趾で、親指がほとんど90度近く曲がってしまっている。きっとサイズの合わないサンダルを履いて長年歩き回っていたからだろう。(19~20頁)


同年11月27日の日記から
  • 今日は、待降節の第一主日だった。朝のミサのあと、マザーからボランティアに短い講和があった。今日から聖堂に……馬をつないでおくための岩屋の模型が置かれている。そして、その前に空の飼い葉桶が置いてある。「今日から、クリスマスまで一つでも多くの犠牲を行いなさい。そして、何か一つの犠牲をするたびにこの厩(うまや)の前に来て祈り、そしてわらを一本飼い葉桶に入れなさい。そうすれば、クリスマスまでにこの飼い葉桶はわらでいっぱいになって、幼子イエスを迎えるのにちょうどよくなっているでしょうし、あなたたちの心も幼子イエスを迎えるのにちょうどよく、愛でいっぱいになっていることでしょう」とマザーは話した。イエスのために犠牲を行うことで自分の心の中にある執着を一つひとつ取り除き、イエスを迎えるためのスペースを作ることができる。同時にそのスペースはイエスへの愛で満たされる、ということだ。(22頁)

同年11月28日の日記から
  • 病気をしている時や特別の用事がある時以外は、毎日「死を待つ人の家」でボランティアをしている。ここではすべての仕事が手作業だ。患者さんたちの世話はもとより、掃除や食器洗い、洗濯にいたるまですべて手作業で行われる。洗濯機などを寄付しようと言ってくれるお金持ちもいたらしいのだが、「貧しい人々は洗濯機など持っていません」と言ってマザーが断ってしまったということだ。あくまで、貧しい人々の一人として、貧しい人々に助けの手を差し伸べるというのがマザーの方針なのだ。「もし私たちが贅沢な生活をするようになったら、貧しい人々と同じ言葉で話すことができなくなるでしょう」と、マザーは言う。……患者さんたちが使う毛布の洗濯も手作業ですることになる。痰や糞便で汚れた百枚近くの毛布を毎日手作業で洗い、絞り、屋根に干すというのはなかなか大仕事だ。(24頁)

同年12月7日と8日の日記から
  • マザーが中庭に下りて来た。誓願を立てたシスターたちが「マザー」と叫びながら、われ先にと祝福を求めてマザーの周りに集まって来た……マザーが彼女たちのために話を始めた。……「あなたたちはどこに行っても喜んでいなさい。喜びにあふれたシスターは、周りの人々にとって太陽のようなものなのですよ」とか、「あなたたちが出会うすべての人々が、立ち去る時にはあなたたちと出会う前よりももっと喜びにあふれて立ち去ることができるようにしなさい」というような話をした。(中略)彼女たちは、神の愛を人々に伝えるため、数日中に世界中に派遣されていくのだ。(44~47頁)

著者は現在40代後半で、わかりやすい著作を多数発表し、カトリック司祭として活躍されています。その著者が人生に悩み、将来の生き方を求めてマザー・テレサのもとで過ごした記録が本書です。心の揺れを赤裸々に記されています。


JELA事務局長
森川 博己

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