2018/08/24

【信仰書あれこれ】ホスピス緩和ケアの権威と「がん哲学外来」創始者の対話

柏木哲夫樋野興夫『使命を生きるということ』(2012年、青梅社)をとりあげます。

柏木氏は故日野原重明氏 と並ぶ、日本のホスピスケアの草分けです。そして樋野氏は、がん哲学外来の創始者・実践者として八面六臂の活躍をされています。

本書は、その二人が自分の人生を振り返って語るエッセイ四編ずつと対話三篇からなります。

今回は柏木氏のエッセイと発言部分のみをご紹介し、樋野氏の分は別の機会にとりあげることにします。

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柏木哲夫氏は少壮の医師として、米国のワシントン大学に数年間留学し、帰国を前にして、母校の大阪大学と、淀川キリスト病院から誘いの声がかかります。その時、柏木氏は以下のような思いで職業を選択します。

  • 大阪大学と淀川キリスト教病院と書いて、ずらっと項目を立てます。臨床研究をしたいと思っていたので、「共同研究者」「給料」「将来性」「通勤距離」「世間体」まで入れました。すると全部、阪大に丸がついていきます。……淀川キリスト教病院ではひとりで精神科をやるわけですし、知られている病院ではありません。ところが項目のいちばん最後に「みこころ」と入れました。……書かされたような感じで、なぜか「みこころ」とした。……神の意志というか、自分は神から何を望まれているかということをさして、「みこころ」と言います。その「みこころ」という言葉をじっと見ていると、何かだんだんと大きくなっていったのです。これで、淀川キリスト教病院に就職させていただくことを決断しました。(42~43頁)


柏木氏は、淀川キリスト教病院の精神科開設に携わり軌道に乗せた後、同病院のホスピス立ち上げに奮闘されます。現在は同病院の理事長です。

若い頃に信仰をもったのかと樋野氏から質問され、柏木氏は次のように答えます。

  • 教会に行き始めたのは大学2年のときです。浪人して大学に入ったのですが、思っていたような医学の勉強がまだ始まらない。そこでダンスをしたり、麻雀を少ししてみたり、友達と喫茶店で何時間もおしゃべりしたり、そんな大学生活を1年送りました。……そんな時に、熱心なクリスチャンの友達に誘われて教会に行くようになりました。……信仰をもつようになるには5年かかりました。ひとつ決定的だったのは、ある牧師の話でした。「罪というのは英語でSINと書く。Iが真ん中にある。人間というのは自己中心的だけれども、私が中心にあるということが罪なんです」と。私はかなり自己中心的な男でしたから、今もそうなんですけど(笑)、その話がピタッと来たんですねえ。そして、「その自己中心性という罪は、神の力によってのみ解放される」という話がとても心に残った。(95頁)


ジェラニュースをお読みの方はご存知かと思いますが、柏木哲夫氏は「川柳ひろば」の選者です。面識のない先生に数年前に依頼の手紙を差し上げたら、数日後に電話で「やりますよ」という返事をいただけたのが昨日のようです。

そこで、最後に柏木氏がユーモアの大切さについて触れたエッセイ部分を引用します。

  • ある患者さんが直腸がんの手術を受けることになりました。ところが執刀医がまだ若く、やや頼りない感じがする人で、患者さんはとても不安になったのです。しかし、「先生、大丈夫ですか」と聞くわけにもいきません。そこで、この人は……川柳を作る趣味があるので、1句作り、その句を「これ、先生に」と、看護師に渡したのです。その句というのが、「お守りを医者にもつけたい手術前」。看護師はそれを見て、くすっと笑って、ちょっと頼りなく見える執刀医に渡しました。渡された医師も、くすっと笑って、「これ、いい」と。その医師がすぐに患者さんのところに行きまして、「お気持ちよくわかります」と言った。さらに続けてすごいのは、「直腸がんの手術は、日本一とは言いませんけど、関西では一、二を争う腕を持ってるんですよ」と大嘘をついた。患者さんにはそれは大嘘だとわかるのですが、そういう対応をしてくれた医師に、そこで信頼感を持った。そうして手術は幸いうまくいきました。(113~114頁)


他にもたくさん興味深い逸話が盛り込まれた本です。次回は、樋野興夫氏の文章と発言をとりあげたく思います。

JELA事務局長
森川 博己

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