2018/10/15

【信仰書あれこれ】聖なる仕事としての祈り

オズワルド・チェンバーズ著『「祈りの時」を変える黙想』(棚瀬多喜男訳、1997年、いのちのことば社)をとりあげます。

祈りの本は無数にあり私も何冊か持っていますが、私が読んだ中で最も感銘深いのはこの本です。

すべてのページから著者の類いまれな霊性の深さが感じられます。一部を以下にご紹介します。

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祈りが必要だという意識をどれほど強く私たちは持っているのか。
  • 祈らない人が非常にたくさんいます。それは自分が何かを必要としている人間だということを知らないからです。聖霊が私たちの内にいてくださるしるしはこうです。自分が充分に満たされていると思うことができない、本当は空っぽに過ぎない、と知ることです。……私たちを試みる人々や、困難な状況や、理解しがたい問題に私たちはぶつかります。そしてこれらすべてが、必要の意識を呼びさまします。それが、聖霊がそこにおられることのしるしです。(62頁)

私の祈りの動機は何と何か。
  • この前あなたは何について祈ったのか、思い出してみてください。あなた自身の願いごとに思いを集中していたのですか。それとも神ご自身に集中していましたか。御霊の賜物を何か得たいと決めていたのですか。それとも神との深い交わりを求めたのですか。(64頁)

私の思っている答えを神が与えてくださらないとき、私はどのように応答するのか。
  • 祈りの要点は自分の求める答えをいただくということではありません。祈りは神との完全な、全き一致です。もし答えをいただきたいということで祈るなら、私たちは神に対して憤慨したりします。答えは確かに必ず来ます。ただ、いつも私たちの期待しているような形で来るとは限りません。……神の子らは神が祈りに答えてくださることを知りたいと思って祈ったりしません。神はいつも祈りに答えてくださることを確信し、心に安んじているからです。(88~89頁)

私の祈りの結果として、きょう私は神について何を学んだか。
  • 聖霊は私たちを導いて、神の影響を受けやすい場所に連れて行ってくださるだけでなく、個人的に親しいつながりを持てる関係に、私を入れてくださいます。その結果、祈りのたゆまない訓練によって、私が自由意志を用いて決断したことが、全能の神の秩序の中で前もって定めておられたこととなります。……祈りに答えて、神はご自身を啓示されるのです。……神は私たちの祈りに答えるのではありません。私たちの人生におけるイエス・キリストの祈りに答えてくださるのです。祈りによって私たちは神の御心がどういうものであるかを知るようになります。(89~90頁)

美しい祈り
  • おお、主よ。穏やかな、優しさに満ちた、美しい性格が与えられますようにと祈ります。霊的な活力の賜物が与えられること、すべての人に対して、またあなたの御前で、あらゆることに耐える人生が与えられることを求めます。主よ、あなたの優しさと美しさと忍耐をお示しください。私が生きているこの時代のやり方に染まってしまうことのないよう、私を助けてください。おお、主よ。忙しさに取り紛れがちな私を清めてください。ただひとえに、あなたのものとしてください。あなたのために私が清められ、そのようにして、あなたの喜びと御力が私の中に、また私を通して、あなたのご栄光のために、新しく与えられることを祈ります。おお、主よ。あなたの御霊が私に住まいたもうことによって、礼拝する姿勢と美しさと聖潔を私の中につくりだしてください。主よ、私の肉体と霊とに触れてください。そうして、それらが主と一つになることができますように。(182~183頁)

オズワルド・チェンバーズは”My Utmost for His Highest”(訳書名『いと高き方のもとに』いのちのことば社)の著者として有名ですが、他にもいろいろな著作があるようです。それらが翻訳されないのが不思議です。

JELA事務局長
森川 博己

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