2020年2月7日

【続・信仰書あれこれ】牧師と信徒のための説教入門

加藤常昭著『説教――牧師と信徒のために』(1964年、日本基督教団出版局・現代と教会新書) をとりあげます。

著者は20年以上前に牧師を引退して以降も精力的に著訳書を発表する一方、説教塾を主宰することで、後進の指導・育成に携わってきました。説教塾の活動は今や全国的な広がりを見せています。本書は、そんな著者の説教に関する最初の著作ではないかと思われます。

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正しい説教の聞き方
  • まず礼拝によく出席することです。常に説教を聞くことを喜ぶということです。……講壇に立って口を切ろうとするときに、身じろぎもせずに期待にあふれて、自分の言葉を待つ聴衆の視線を痛いほどに感じるとき、牧師は何もかも苦労を忘れてしまうような励ましを受けるのです。(32頁)
  • 熱心な聴衆は無言で説教にこたえます。あるいは問いかけます。……説教とは対話だと思います。説教者の独り言ではありません。説教者が孤立してしまっているような礼拝は礼拝ではありません。……ひたすら問う心、自分の救いを全うするために、教会の使命を生きるために、いつも真剣に問題を追及している心、そうした心に囲まれて、いいかげんな説教などはできるものではありません。(32~33頁)
  • 牧師も聞く者なのです。もちろん聖書にです。聖書の中に神の言葉を聞くのです。説教するというのは、説教者が会衆と共に、ただ彼が少しばかり知識がある者として、またその任務を教会から委ねられた者として、先導役を務めながら、聖書を一緒に読み、そこに神の真理の言葉を聞き取っていくことだということです。……説教者に対する期待だけではなくて、その説教者と共に聖書を読もうとする期待と熱心のあるところに、説教の正しく健康に行われる道があるのです。……説教者の自分自身の思想や体験が語られるのではなくて、聖書の真理を共に聞くのが説教だということです。(33~34頁)

説教の課題(以下は、P. T.フォーサイス の所見の抜き書きと著者は断っています)
  • 教会に集まる会衆がたとえ減少しなくても、彼らが説教の言葉に服従せず、説教の短いことのみを願うようになれば、それは教会の堕落である。(43頁)
  • メッセージの源泉は聖書である。聖書は説教者のための説教者である。説教者としての聖書の内容は、単なる神の真理ではない。神の恵みである。救いの力としての神の恵みである。だがその恵みは、イエス・キリストという歴史的な人格であり、歴史的なわざである。……説教の任務とは、この生けるキリストとの現実的・人格的な接触をもたらすことにある。(43~44頁)
  • キリストの力ある現実的な存在の場所が説教である。……正しく説教がなされることによって教会に霊的な現実性が与えられる。教会が霊的な力を持つということは、教会員がより信心深くなるというようなことではない。教会が真実にキリストの現実によって満たされることである。(44頁)

説教に不可欠な日常の牧会
  • 対話的ということは、牧会的ということでもあります。……日常の牧会的な行為、聴衆との間に牧会的な対話が繰り返されることのないところに説教が対話的になる道は開けません。本当を言うと日頃牧会のわざにいそしむ説教者は、それほど意識的に、技術的に工夫することがなくても、聴衆に正しく語りかけるすべを身につけることができます。自分の聴衆にどんな問題があり、その中へ、どんな言葉で、どんなふうに語りかけたらよいかという道を見出していくことができます。(82頁)

本書の後半は、欧州の著名な牧師・神学者六名の説教集です。全員が同じ箇所(ルカによる福音書5章1~11節)から語っており興味をそそられます。

JELA理事
森川 博己

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