ディートリヒ・ボンヘッファー著『共に生きる生活』(森野善右衛門訳、2014年、新教出版社)をとりあげます。
以前に、同名の書が新教出版社から「教会と宣教双書2」として出たものを持っていましたが、字間や行間に空白が少なく読みづらいため、少し読んだだけで処分しました。
今回のハンディ版は、2004年発行の改訳新版の訳文を見直し、字の組み方や文字サイズを大きくして大変読みやすくなっています。
ボンヘッファーの本をあまり読んでいませんが、これは間違いなく傑作。いつまでも手元におきたい一冊です。
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170ページあまりの本文は、「交わり」「共にいる日」「ひとりでいる日」「仕えること」「罪の告白と主の晩餐」に分類されますが、以下では、「交わり」部分からのみ引用します。
キリスト者の交わりの基礎
- 人がキリスト者として自分自身の中に持っているもの、その内面性や敬虔性が私たちの交わりを基礎づけることができるのではなく、キリストから来るものが、私たちの兄弟としての関係にとって決定的なのである。私たちの交わりは、ただキリストが私たち双方にしてくださったことに基づいてのみ成り立ち、……将来もそして永遠にそのようなものなのである。(24頁)
霊的な交わり・人間的な交わり
- 霊的な交わりでは、ただ神の言葉だけが支配しており、人間的な交わりでは、御言葉と並んで特別な力と経験と、暗示的―魔術的な素質を持った人間が支配している。……霊的な交わりでは、すべての力と栄誉と支配とは聖霊に委ねられ、人間的な交わりでは、人格的な類の力とその影響力を及ぼす領域とが求められ醸成される。……霊的な交わりでは御言葉が支配し、人間的な交わりでは心理学的な技術と方法が支配する。……霊的な交わりでは、兄弟に対する謙遜でひたすらな奉仕があり、人間的な交わりでは、見知らぬ人をあれこれ調べ上げようとする打算的な態度が支配する。(34~35頁)
人間的な愛と霊的な愛
- 「人間的な」隣人愛が存在する。……人間的な愛は自分自身のために他者を愛し、霊的な愛はキリストのために他者を愛する。……人間的な愛は他者を求め、他者から交わりとお返しの愛を求めるが、他者に仕えることはしない。……人間的な愛は、<敵>を愛せない、すなわち本腰を入れて頑強に反抗してくる者を愛せない……。(37~38頁)
- 人間的な愛は霊的な愛を決して理解できない。なぜなら、霊的な愛は上から来る愛であり、その愛は、あらゆる地上的な愛に対して全く異なるもの、新しいもの、理解できないものなのだから。(40頁)
- 人間的な愛は、他者とは何者であり、また何者となるべきかについての自分自身のイメージを造り上げる。人間的な愛は、他者の生を自分自身の手中にする。霊的な愛は、他者についての真のイメージをただイエス・キリストから知る。それは、イエス・キリストが刻みつけた、また刻みつけようとなされるイメージである。……霊的な愛は、キリストを通して私たちの間に置かれている他者との境界を尊重し、私たちを結びつける唯一の方であるキリストにおいて、他者との完全な交わりを見出すだろう。……他者に至る最も近い道は常にキリストへの祈りによる道であること、また他者への愛は全くキリストにおける真理に結びついていることを、霊的な愛は知っている。(41~42頁)
訳者解説によると、「本書の原稿は、……1938年9月から10月にかけて、約4週間で一気に書き上げられ、翌39年に……出版された。(中略)[御言葉の下におけるキリスト者の共同生活]の問題と課題が取り上げられていて、この問題を[共同の教会的責任]として考えていきたいと願っている、広範なキリスト教会の牧師・信徒たちの学びと実践のための手引きとして用いられることを意図して書きあげられた」(本書206頁)ということです。
内容の充実ぶりに瞠目させられる一冊です。
JELA事務局長
森川 博己
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