2020年1月17日

【続・信仰書あれこれ】幸せを届ける涙と微笑み

ジャンヌ・ボッセさんの二つの著書、『しあわせは微笑みが連れてくるの』(2012年、メディアファクトリー。以下、『微笑みが』と略記)と『しあわせは涙のあとに届くもの』(2013年、メディアファクトリー。以下、『涙のあとに』と略記)をとりあげます。

両書とも、聖書勉強会や雑談中に著者が口にした短い言葉を材料に、わかりやすい解説やエピソードを加えて編集されています。

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『微笑みが』発行時に著者は96歳(日本在住65年)。本の反響が大きかったので、翌年『涙のあとに』が発行されました。明るく前向きな言葉が満載の二冊です。

聖書の「マルタとマリア」の話が両書に登場します。著者の説明が興味深いのでご紹介します。
  • フェルメールの絵にも描かれている「マルタとマリア」は、もともと聖書に出てくる話ですが、この中でも忙しさの危険について記されています。自分たちの家を訪れた客であるイエス・キリストのために、食事の支度など何やかや用事に追われ、忙しく立ち働く姉のマルタ。それに対して、妹のマリアは姉の手伝いもせず、イエスのそばに座り込んで彼の話に耳を傾けています。そんな妹に腹を立てた姉マルタがイエスに訴えると「マルタ、あなたは多くのことに思い悩み心を乱している」と逆に諭されてしまう、というお話です。(『微笑みが』31~32頁)
  • 「マルタの態度は、お客をもてなす者として当たり前で、手伝ってくれない妹に腹を立てる気持ちも理解できることなのに、なぜ彼女のほうが注意されるの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。でも、イエスの真の望みは、ごちそうを用意してもらうことではなく自分の話を聞かせることでした。ですから、準備の忙しさの中で何が大切なのかわからなくなってしまっていた姉のマルタに対して、イエスはそっと諭されたのです。……もてなしてくれているマルタを批判しているのではなく、あくまでも、より大切なことをしている妹のマリアを責めてはいけないと説いているのです。(『微笑みが』32頁)
  • どちらも間違っているわけではないけれど、自分にとって今何が重要なのかをよく見極めなさいという話ですが、これをひとりの人間の中に姉と妹のどちらの部分もあると読み取ることもできます。つまり、人間には、かたくななまでに一生懸命になる部分もあれば、時に応じて大切なことに目を向ける部分もあるということです。(『涙のあとに』74頁)
  • 「放蕩息子」というたとえ話でも、まじめに親元で働き続けてきた兄が、放蕩の果てに故郷に舞い戻り、それでも父親に温かく迎えられる弟に腹を立てるのですが、これもまた同じように、ひとりの人間のさまざまな部分を表していると解釈することもできます。(『涙のあとに』74頁)

両書とも末尾に、著者の珠玉の言葉を五十音順に並べたコーナーがあります(『微笑みが』146頁以下、『涙のあとに』154頁以下)。その一部をご紹介します。
  • 愛はすべての始まりです/苦しみの先には希望がある/探さなくても幸せはある/心配しても変わらない/そばにいる人が大切な人/楽しい気分で周りを見る/必要なものはすべて与えられる/不思議を見つけて若返る/ふと気づくことは何かの知らせ/休む前に一日を振り返る/よく考えてから口にする/分かり合えば幸せ 分かち合えばもっと幸せ

『微笑みが』発売の数か月後、著者に関する大きな記事が新聞に載りました。『微笑みが』の内容をうまく紹介しています。→ 朝日新聞朝刊2012年11月27日付記事

JELA理事
森川 博己

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