2020/03/25

【カンボジア・ワークキャンプ2020】参加者レポート②(吉田汐里さん)

JELAは2月12~22日にカンボジアでワークキャンプを行いました。

引率2名を含む7名の参加者たちは、JELAが支援している現地団体との協力で2箇所の小学校でのボランティア活動を行いました。また、学校の子どもたちと遊び、カンボジア・ルーテル教会の青年会や礼拝に参加し、交流を深めました。

カンボジアの歴史と文化を知るために、キリングフィールド、拷問博物館、地雷博物館などの見学や世界遺産アンコールワット遺跡の観光も体験することができました。
以下は、吉田汐里さんのレポートです。

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「カンボジアは、こころが豊かな国。また、近年、発展してきている国。」これは、今回のワークキャンプに参加する前に抱いていたカンボジアのイメージである。私は、高校 1年生の時に、高校が主催していたカンボジア研修旅行で、一度カンボジアを訪れたことがあるため、そのように感じていた。目の前にある食料や物に満足している様子、子ども達の楽しそうな笑顔、現地の人々の優しい振る舞いなどからである 
一部発展を見せるカンボジア。プノンペン中心部
また都市部は道路がしっかりと舗装されていて、多くのお店が並んでいる一方で、農村の地域に行くと、干ばつが目立ったり、ジェンダーの問題、児童婚の問題があったりなど地域による格差があることを目の当たりにした。このようなことから、未だに平等な開発が進んでいないという現状を知った。


それらを踏まえ、私が行く前に感じていた、カンボジアは発展してきているというイメージは、一部の地域に過ぎないのだと分かった。高校 1年生の時に行った一部の発展している地域を見て、カンボジアの全てを知った気になっていたのだ。 

しかし、今回のワークキャンプに参加し、今まで私が抱いていたイメージが覆った。きっかけは、カンボジア国内で、平等な開発が進んでいないという現状を知ったことである。例えば、仏教が一般的な宗教とされるカンボジアでは、イスラム教の地域は差別されている。 そのため、その地域は道路がガタガタで、宗教による格差がみられる。
支援先の農村地域が干ばつに見舞われていた
しかし、そう感じた一方で、自分にはこのくらいのことしかすることが出来ないのだと痛感した。農業の知識がなく、英語も苦手な上にクメール語は全く分からない私に、出来ることは何か。そのようなことを考えた結果、直接的にどのような支援が出来るかという答えは未だに出ていないが、間接的に、であればカンボジアの人のために出来ることはあると考えた。それは、「伝える」ということである。カンボジアの現状について、知らない人達に伝えていくのである。 

一度カンボジアに行ったことがある私ですら、カンボジアの現状に気付くことが出来なかったということは、おそらく、日本にいる多くの人は自分で調べたり、教えてもらったりしない限り知ることはないだろうと考えた。カンボジアの人のニーズに答えることが可能な 人も、そのニーズを知らなければ、当然行動を起こすことはない。そこで、「伝える」ということを通して、多くの人にカンボジアの現状を知ってもらい、それがカンボジアの支援に繋がって欲しいと考えた。 
タンクラング村の小学校校舎の塗装に励む吉田さん(手前)とボランティア仲間。
その一方で、そう思える気持ちを大切にしたい、忘れないようにしたいと考えた。それは、もし自分がその時代、その場所にいれば、自分もしかねないことであると感じたからである。つまり、環境 によって誰でも人は被害者にも加害者にもなり得るのだと考えた。そういったことから、多くの人が、異常であることを異常であると思い続けることが出来るように、私は今回感じた 内戦の時のことを沢山の人に知ってもらおうと考えた。そこで、現在のカンボジアについて 伝えることに加え、内戦の時のカンボジアについても伝えていきたいと考えた。 


それと同時に、「このように平等な開発が進んでいないカンボジアに対し、自分は何をすることが出来るのだろう。」ということを考えた。カンボジアの人が求めることとして現地の人がおっしゃっていたのは、農業の技術や英語を教えてくれる人である。そのことを知った時、自分の無力さを痛感した。今回行なったボランティアの内容は、ペンキ塗りであったが、もちろんそれは、現地の人の助けになったと思うので良かったと思う。
また、「伝える」ということについて、もう一点。先程述べた、現在のカンボジアについてだけではなく、内戦の時のカンボジアについても伝えていきたいと考えた。そう感じたのは、今回のワークキャンプで、キリングフィールドやトゥールスレン収容所(拷問博物館)に行ったことがきっかけである。当時、拷問を受ける苦しみから、自殺する方がマシだと思ってしまったり、 クメールルージュは、新たな収容者が運ばれてきた時に歓喜の声を上げたり、拷問時の様子を描いた絵が本当に生々しかったことなど、今の日本にいて考えられないような異常だとも思えるこの現状に、悲しさや怒り、疑問など多くの感情が込み上がった。
また、未だに答えの出ていない、カンボジアへどのような直接的な支援が出来るかについては、この「伝える」ということを通しながら考え続けていきたい。