2019/12/05

【続・信仰書あれこれ】55歳からのキリスト教入門


小島誠志著『55歳からのキリスト教入門――イエスと歩く道』(2018年、日本キリスト教団出版局)をとりあげます。

著者あとがきに次のように記されています。「近年、日本の教会では中高年になって受洗される方が増えています。そういう方々を意識して執筆しました。もう一つ願ったことは、長く信仰生活を続けて来られた方々の参考になれば、ということです。筆者の旧著『わかりやすい教理』 の延長線上にこの小著を位置づけることができれば、というのがひそかな願いです。」

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以下では、「永遠の命について」と題された章の一部をご紹介します。
  • ある高齢の信徒の方が、あるとき牧師である私に、ふと漏らしました。「死ねるから、大丈夫!」。……今あるこの命を生きることも楽ではないのです。次々に襲ってくる試練があります。体の不調も。自分の中にあるゆがみや屈折、他者を傷つけたり傷つけられたり。しかし、「死ねるから、大丈夫!」。やがて終わらせていただけるのです。永遠の命とは、この命がいつまでも続くことではありません。(37頁)
  • イエス・キリストは言われました。「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」<ヨハネ17:3>。この「知る」という言葉は、知識として何かを知るという意味ではありません。人と人とが出会って、交わりをもって「知る」という意味の言葉です。永遠の命というのは、イエス・キリストによって救われ神の子とされた者が、救い主のとりなしによって神に結ばれ神に出会い交わる、そういう生の中に入れられることです。(37~38頁)
  • 永遠の命というのは、終わりのない命というよりは(それも否定はされませんが)、神と御子イエス・キリストとの交わりに中に入れられることなのです。神と向き合うこの交わりの中で人間は、初めてかけがえのない人格として見出されている自分を知るのです。……この交わりは死後に始まるというようなものではなく、信仰によって今ここで始まっているものなのです。「はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている」<ヨハネ5:24>。(38~39頁)
  • 永遠の命とは、私たちの所有する何かではありません。私たちが所有する終わらない命、というものではありません。永遠の命とは、永遠なる神と関わる命のことなのです。永遠なる神と交わる命のことなのです。(39頁)


本シリーズでは、小島誠志氏が著した以下の三冊も紹介しています。併せてお読みいただけると幸いです。

JELA理事
森川 博己

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