プノンペン市内にあるLCCのCity Churchでの青年集会の集まり |
CWCで最も印象に残ったのは、トゥール・スレン虐殺博物館とキリングフィールド、そしてカンボジアの人たちのエネルギッシュさである。
トゥール・スレンは、人々がクメール・ルージュに拷問を受けた約200か所にわたる収容所網の極秘センターだった。学生・僧侶・技術者・教授・旧政府関係者・主婦などあらゆる階層の人々が収容され、その数は約2万人とも言われる。確認された生存者はわずか12名で、ほぼ全員が拷問を受けた後、尋問され、次々と処刑されていった。
元は高校の校舎だったトゥール・スレンは、4棟の校舎が並び展示室として使用されている。その内の1棟には収容された人々の顔写真が壁に、パネルにと、一面にズラーっと張り出されていた。ポル・ポトや政権幹部の写真もあった。まだ幼い少年や少女の写真もあった。幾部屋にもわたって無味乾燥に並べられている写真を見ていると、これらの人々がたどった生涯がどれほど過酷であったか、時の政権によって翻弄され、抑圧され、蹂躙されたものだったかが思いやられ、胸が苦しくなり圧倒されそうな感覚に私は襲われた。
キリングフィールドの跡地を音声ガイドとともに見学する参加者たち |
キリングフィールドの入り口を入ると、正面に慰霊塔が見える。この慰霊塔には犠牲者の遺骨が保存されている。ガラスケースの中に頭蓋骨が40段以上高く積み上げられているのである。生々しく夥しい数に、「これ程大量の人が虐殺されたのか。」と衝撃が走った。本当に言葉を失ってしまう。安らかに眠ってほしいと手を合わせた。同じ人間、しかも同じ国に暮らす同胞になぜこれ程酷い仕打ちができるのか。人間の底知れぬ残虐性や狂気に対して恐怖を感じずにはいられなかった。
子どもたちに折り紙を教える森さん(青シャツ) |
しかし、現在のプノンペンの喧騒からは、この国の上昇する気運が感じられる。道路には自家用車が列をなし、隙間を埋めるようにバイクが走っている。屋台が朝早くから野菜を売ったり、食事を出したりしている。若者が多い。マーケットもレストランも商店も若い人が活き活きと働いている。LCC(Lutheran Church in Cambodia)のCity Churchの青年集会に参加した時も、二人の男性がエンジニアになりたいという夢を力強く語ってくれた。
森さん(中央)と青年たち、City Churchの青年集会にて |
また、LWD(Life with Dignity)の方と共に訪問した小学校で、子どもたちと一緒にやった折り紙は忘れられない交流である。私の手元を見ただけですぐに折れる子もいれば、「折ってください」という意味で紙を差し出す子もいたが、皆熱心に取り組んでくれた。上手な子は隣の子に教えたり、他の小さな子の分も折ってあげたりしていた。楽しんでいるのは子ども以上に、むしろ私だったかもしれない。それはペンキ塗りやペインティングにも同じことが言える。日差しの厳しいなか、女性陣も男性陣も地元のカンボジアの人たちと一緒に汗を流して取り組んだのだ。そして幼稚園の柵を仕上げ、教会の壁にキリストの絵を完成させることができたのである。
森さん(中央、青シャツ)とタンクラン村の子どもたち |
とにかく濃密な10日間だった。通常の海外旅行とは異なり、ディボーションがあることは特徴であり、貴重であった。一日を振り返るこの時間は、当日の行動の意味付け、迎え入れてくれたカンボジアの人たちの笑顔や温かさ、経済格差、ポル・ポト政権による虐殺、発展していく街の様子などなど、色々なことをたくさん考え、語る機会を与えてくれた。CWC2023の参加者は、ワークとディボーションを通して、一つのチームになったように思える。成田空港で初めて顔を合わせた私たちだったが、10日後にはかけがえのない友人になった。それは、多田先生(キャンプのチャプレン)の「私たち自身(=存在)を届けた」という言葉に象徴されている。