LCCタンクランコミュニティセンタースタッフ、子どもたちとの集合写真 |
多田さん(右)とプレスクールの先生 |
高校生の時に世界史の教科書を読んでいた時には、ポルポトが大虐殺を行ったという一文を読んで、「なんでこんな人の命を命とも思わないひどいことが出来るのだろう」と、ポルポトという人間に対して不思議さを感じていました。今回、実際に虐殺博物館、キリングフィールド、戦争博物館に行き、カンボジアは内乱や他国からの侵入・植民地化の脅威にさらされてきた国であることを学びました。その中で感じられたことは、ポルポトが大虐殺をおこしたのは虐殺自体が目的であったのではなく、国を強くしようとする思想によって虐殺が結果として起こってしまったということでした。
ディボーションでは、女を唆した蛇、禁断の実をもいだ女、禁断の実を食べた男と女、怒った神、「女が悪い」と言い訳する男、「蛇が悪い」と言い訳をする聖書の箇所を読み、「責任は誰にあるのか」を皆でそれぞれ考える日がありました。私にはその日に巡った博物館等でのことが思い起こされました。女を唆した蛇は「内乱や他国の脅威がある当時のカンボジアの環境」、禁断の実をもいだ女は「ポルポトやリーダーたち」、リンゴを食べた男と女は「命令によって動く兵士たち」となぞらえることができるように感じられました。当時のカンボジアでは、内乱や諸外国からの侵入によって強くあらねばならないという環境があり、それによってポルポトの国を強くしようという思想が生み出され、ポルポトやリーダー達に洗脳され命令された少年少女の兵士たちが虐殺や拷問を行う。しかし、皆が皆「自分だけが悪かったわけではない」「罪を犯さざるを得なかった」と答えている。ここでは、責任が分散されていて、誰か一人だけが悪いと言い切ることが難しい。いろいろなことが積み重なって起こってしまった。それらのことを考えていた時に、自分も環境によっては、ポルポトのようになりうることも、兵士のようになりうることも、犠牲になった人々になりうることも、全ての可能性があり、戦争は全くの他人事では無い、とひしひしと感じられました。今の自分の環境がそうではないだけで、いつだって加害者にも被害者にもなる可能性はあることに気づき、とても怖いと感じました。
プレスクールの壁に桜の花を描く多田さん |
カンボジアでのワークキャンプから日本に帰ってきて、自分の国である日本に対しての視野が広がりました。日本の少子高齢化を憂うニュースや子ども支援の政策に対しても、カンボジアでのことを対比したり、他の国と比較したりする視野を得ました。また、「日本はこのままだとどうなってしまうのか」と真剣に心配できるようになりました。カンボジアは長く続いた戦争が終わり、子供が多い国で、観光をしている時や、学校の先生、子供達といる時にも国全体の力強さやエネルギーを感じ、これからどんどん発展していく熱量を感じました。それと比べて、日本は整然としていて、国が成熟していて疲れているような雰囲気があるように感じるようになりました。
子どもたちに折り紙を教える多田さん(中央グレー上着)とさんか |
貼り直したプレスクールの柵を塗る多田さん |
今回のカンボジアのワークキャンプでは、普通の観光旅行では得られない経験をさせて頂き、たくさんの気づきと学びを得ることができました。JELAの皆様と、JELAを支えられている皆様に本当に感謝しております。また、一緒にキャンプをした皆さんのおかげで、とても楽しい10日間でした。出会いに心から感謝です。本当にありがとうございました。