2023/04/06

【カンボジア・ワークキャンプ2023】参加者レポート⑩(青木洋平さん)

JELAは2月13日から23日に3年ぶりとなるカンボジアでのワークキャンプを行いました。

引率3名を含む13名の参加者たちは、JELAが現地パートナー団体LWD(Life With Dignity)と協力して支援している2箇所のプレスクール(幼稚園)でのボランティア活動を行いました。また、カンボジア・ルーテル教会(Lutheran Church in Cambodia = LCC)にも協力してくださり、現地の青年会や礼拝に参加し、ボランティア活動を含めて、施設の子どもたちなどと交流を深めました。
食前の参加者の皆さん

カンボジアの歴史と文化を知るために、キリングフィールド、拷問博物館、戦争博物館、王宮などの見学や世界遺産アンコールワット遺跡の観光も体験することができました。

また、キャンプ中に毎晩行ったディボーションでは、チャプレンを引率してくださいました日本福音ルーテル日吉教会の多田哲牧師が、参加者の皆さんと共に、その日に体験したことを聖書と照らし合わせながら、振り返りと分かち合いの時間を過ごすことができました。 これらの体験をもとに、今回の参加者10名から感想のレポートをいただいておりますので、順次ご紹介いたします。

 以下は、青木洋平さんのレポートです。
※青木さんは、レポートと言うよりは、加工されたエッセイ本(35ページ)を書いてくださいました。ここでは、その一部を編集したものをご紹介いたします。ご本人の原文は、プログ最後にあるリンクをアクセスいただければご覧にになれます。

◇◆◇

青木さん

 ディボーション

楽しみにしていたアンコールワット遺跡観光の前に、今回のワークで毎日行われた、ディボーションと呼ばれる対話の時間があったため、その話をしよう。1日の振り返りと今後の課題、抜粋された最初の箇所を読み、率直な意見と毎日異なる設問に自分の意見と、周りの意見を共有するというものだった。

 

クリスチャンでは無い僕からしたら1日活動してなんで夜に話し合わなあかんねん、とディボーションに初日から嫌気が差していた。聖書の箇所の1章や1節、細かい文の表現やその意味、なぜそれを聖書に書いたのか、11日間読んでも正直わからなかった。クリスチャンでは無い僕だから、他の人の意見や、クリスチャンである人の意見を行けるのはとても貴重だった。その中で、キリストに派遣されている、ということを聞いた。自らの行いを派遣と表現して、神のお告げを信じて疑わず、いつでも見守っているということらしい。確かに無宗教の僕だけど、何かを応援する時、神様に祈っている気がする、腹痛の時もなぜか神に祈り、そして許してください、と懺悔している気がする、明らかに自分の意志で食べたり、飲んだり、応援したりしているのになぜ何かに、神に祈るんだろうか。

 

このディボーションという時間で多くの人の意見を聞けた、愛とは何なのか、「それは、許すことでは?」という意見に、自分は正解だと思った。クリスチャンだからこその理解とクリスチャンでは無い僕だからこその理解が対峙した時、違いが出てきて面白かった。ただ日中ボランティアとワークを行い、昼食を食べ、夕食を食べ、寝るだけではもしかしたら味気ないただの旅行になっていたと思う。毎日の出来事を振り返ることなんて二十歳を超えた今、自ら行わないため貴重な時間だった。

参加者とプレスクールの柵補強作業をする青木さん(中央、鋸)

最終日に行われたディボーションでは今回のワークの感想や1日目との比較を行った。最終日のディボーションは結果として楽しく終われていた。数日前の初日に書いた短文を数日後の最終日に、自分は否定していた。数日の間に僕はほんの少しだけど変わっていた。完璧な人間にはなれないけど、数日の間に考え方が変わって違う事を考えていた。1日を振り返らなければそれにすら気づかなかったのかもしれない、最後のディボーションで僕は、目標をゴールとして捉えている、と発言した。ゴールがなければどこに行けば良いのかわからない、けれど目標にしてしまうと達成しなければならない、と僕は縛られた感じがして昔から嫌だった。あくまで通過点でのゴールを設けてその方向に進むだけ、という感覚だった。自意識の話なので、ゴールと目標は一緒、と言われてもどうすることもできない。縛られるのは嫌だという言葉を盾に生きてきた結果、めちゃくちゃ馬鹿で太っていた。今回集められたメンバーはほぼみんなそれなりに英語が話せて、コミュニケーションを取ることに難しさを感じてはいなかった。

 

みんな目標を掲げて、達成して、今ここにいるのだと思うと僕が持つ自意識は正しいものなのかわからなくなった。人の意見と人が生きてきた結果を目の当たりにすると、自分が恥ずかしくなる。

誰のために

今回のワークに参加する目的の9割は、アンコールワットに来ることだった。幼少期から不思議と目にしていたのは祖母の家になぜがアンコールワットの写真が額縁に入れて飾ってあった。幼少期の頃から当たり前に飾ってあったので、当時はただの写真だと疑問にすら思わなかったが、カンボジアを意識した時、不思議でたまらなかった。聞いてみると、新婚旅行で行く予定だったが、祖父が体調を崩して、行くことは叶わなかったものの、それも思い出として写真を飾っていたらしい。そんな裏話があるなんて思わなかった。幼少期から見ていたアンコールワットに僕が先に行くなんて思いもしなかった。

 

念願のアンコールワットはただただ大きく広く、深い。という印象だった。大昔に作られたこの建造物はただ大きいだけではなく、外壁の模様がとても細かく、昔の技術とは思えない ほど繊細で、その当時の何かを鮮明に表していた。

念願のアンコールワットに到着した青木さん


魚に動物、人間、神、沢山の人によくわからない模様に、建物の中に、また建物が幾つも建てられていた。それだけ当時はこの建物力を注ぎ、何かを表して、誰かに伝えたいと思っていたんだろう、その時代が駆使できる最大の技術は、結果として後世で世界遺産となり、多くの観光客が訪れ国を支えている。あの大きくて広いアンコールワットに少しでも訪れる事ができてよかった。言葉も意志も読み取れなかったけど、当時の誰かが、誰かのために残した小さくて 細かい表現は、僕に伝わっている。巡り合わせって面白い。

青木さん(右)現地の僧侶との記念撮影


あとがき

帰国してあっさりと解散して家に着き、レポートに書きたい事を軽くまとめようと思いなんとなく書いていた。僕は今、大学4年生でコロナと共に大学生活を過ごしてきた。オンラインが基本となり、外に出なくて良い、その生活はマイペースで自堕落な自分に合っている4年間だったと思っていた。

 

けれど、この文を書いていて分かった事がある。自覚がないだけでこの大学4年間に、寂しさを感じていたんでしょうね。帰国する前日あたりから、肩に寒気をずっと感じていた。汗をかくくらい暑いはずなのに。望んではいなかったけど自分の性格に合っているコロナ生活だったと思っていたけれど、11日間全力で過ごしたら、結果として感じたのは後悔と楽しさと嬉しさだった。

 

現地教会の青年集会での交流を楽しむ青木さん(左)と参加者たち
自分の知らない世界ではいろんな事が起こっているのに、知ろうともしなかった4年間の後悔と、参加して得られたこの4年間以上の楽しさと嬉しさ。人と話すってこんなに楽しいんだ、人と話すってこんなに難しいんだ、自分の意見を出すって難しいんだ、たくさん努力してるみんなを見てすごく感じた。 

恥ずかしいけど、これを書いている今、涙が止まらなかった。ずっと感じていた寒気は寂しさなんだなと涙で気づいた。みんながいる前で男が泣いたら恥ずかしいな、なんて思って空港で泣かないように、寒気を感じても気づかないふりをして我慢していた。泣いていた理由は分からないけど空港で泣く、ある1人を見て羨ましかった。感情に素直になるって簡単にできることじゃない。羨ましかった。 人の目を気にする僕はまだまだ、大人になりきれていないと強く思った。 

 

けれど、書きながら1人で泣くのはもっと寂しく孤独だった。ならみんなの前で泣けばよかった。涙が止まらない、と聞いたことあるけど完全にそれだった、一度泣いてしまうと感情を抑えていたダムが崩壊し余計に寂しくなる、涙の跡がメガネについて前が見えない、こんなに泣いたのは初めてかも知れない。

旅が終わり、あの時間が記憶と思い出になる寂しさなのか、これから迎える将来の不安なのか、自分はなんで泣いてるのかわからないくらい泣いていた。多分、みんな優しいからその場で泣いても笑ってくれたと思う。なら感情を曝け出せばよかったな。たまたま出会った人の赤の他人だったのに、こんなにも優しい人達がいるなんて思いもしなかった。嬉しかった。


逆に僕は誰かに優しくできたろうか、記憶に残ったろうか、わからないけどまた会えるとい いな。次みんなと会う機会が有れば全力で感情を表現しようかな。 

 

それと僕より若かったメンバーが何人かいたと思う、そもそも英語もできるし、何の心配もいらない君たちだけど、伝えたい事がある。僕の文章なんて読むかわからないし、仮に読んだとしても記憶に残るかわからないけど、「やりたいと思う事は絶対に行動に移しやるべき」だと、 22歳で沢山後悔して、諦めた僕は強く思う。

 

やろうと思えば助けて協力してくれる人がいる。そして新たに出会う人もいる、それは今回のワークキャンプでよく分かったと思います。失敗したと思う事も必ずあると思う。けど行動に移さず、諦める失敗より遥かに偉大だと思う。失敗は失敗を恐れない人にしかできない。僕にはその勇気がなかった。僕なんかが言える立場じゃないくらい馬鹿だけど、あなたの人生をより楽しいものにするために、今のうちから全力でやりたい事をやれば絶対に楽しい人生になると僕は思います。

 

そして、応援しています。長くなってしまったけど先が見えなくて、思い描いていた大学4年間ではなかったけど、そんな4年間の最後にカンボジアに行く事ができて、人と話す事ができて、みんなに出会えて本当によかった。今回出会った全ての人に感謝します。ありがとうございました。 


青木洋平さん作日本の過保護犬とカンボジア王国の野良犬 」より