2018/05/23

【チャリティコンサート2018】挙母教会でアットホームなコンサート


第15回世界の子ども支援チャリティコンサートの第3公演を、5月19日(土)に日本福音ルーテル挙母教会(愛知県豊田市)で開催しました。

幼稚園併設の教会ということもあり多くの子どもたちが来場し、真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)は、アットホームな雰囲気の中で優雅な演奏を披露なさいました。

来場者へのアンケートでは、子供と一緒に楽しむことができたことを喜ぶ声をいただき、家族で音楽を味わう良い時間となったようです。
ワークショップの様子

終演後には、演奏者を囲んでのワークショップが行われ、楽器や演奏曲に関する質問が飛び交い、大いに盛り上がりました。

2018/05/22

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】大盛況の記念イベントで新たな出発を誓う

5月18・19日の二日間JELAホールで、「音楽から沈黙へ」と題するリラ・プレカリア創立12周年記念講演会・コンサートを行いました。ゲストとして招かれたのは、オーストラリアで活躍されている認定音楽死生学士のピーター・ロバーツ氏(ハーピスト)。会場は両日とも満席で、二日間で延べ280人以上の人々がホールを埋め尽くしました。
講演するピーター・ロバーツ氏

このイベントは、リラ・プレカリア研修講座の修了生(第1~6期)が実行委員会を立ち上げ企画した初めての催しであり、幸先のよいスタートです。

ロバーツ氏は音楽死生学の分野でキャロル・サック宣教師(リラ・プレカリア創始者)の先輩です。キャロル宣教師も学んだ米国の学院での研修を終えた後は、オーストラリアで音楽死生学士として先駆的な働きをしてこられました。ロバーツ氏の生き方と活動に焦点を置いたドキュメンタリー映画が作られるなど、オーストラリアで用いられている方です。

JELAホールでの講演会では、自身のオーストラリアの活動や家族のことについてユーモアも交えながら紹介し、途中途中にハープの生演奏も聴かせてくださいました。

19日午後には、リラ・プレカリア創立12周年記念パーティがあり、修了生らは親交を深めつつ、新たな出発を誓い合いました。

リラ・プレカリアはこれからも、修了生を中心に活動を続けてまいります。皆様お祈りとお支えをよろしくお願いいたします。

Reverie Harp (レベリーハープ)を奏でるピーター氏
リラ・プレカリア関係者の12周年記念の記念写真
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リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

【関連リンク】
リラ・プレカリア(祈りのたて琴)関連ニュース(ブログ)
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

2018/05/21

【信仰書あれこれ】絵とことばのコラボレーション

『喜びも、悲しみも』(小島誠志:文、渡辺総一:画、2007年、教文館)をとりあげます。

小島誠志氏は様々な聖句を数行で解説する『聖句断想』シリーズを出しています。とても深いショートメッセージで、その1~4巻から、渡辺総一氏 が絵をつけた44編を一冊にまとめたのが本書です。

『聖句断想』では白黒だった絵が、本書ではカラーで示され、渡辺氏は「絵にこめた象徴的な要素も、併せて見ていただけることを喜んでいます」(本書91頁)と書いておられます。

◇◆◇

本書は霊的な説明と、表紙に見られるような大胆な図柄の絵(表紙の絵のテーマは「共におられる主」)の見事なコラボレーションです。次のようなパタンで構成されます。

★「一筋の心」の項(22~23頁)
聖句=御名を畏れ敬うことができるように/一筋の心をわたしに与えてください。(詩編86:11)

  • <日本語解説>ひとすじの心とは神に向かう心です。試練の日も悩みの日も神に向かうのです。誘惑された時も罪に落ちた日も逃げないで神に向かうのです。……苦難のヨブは嘆きましたが、神に向かって嘆きました。怒りましたが、神に向かって怒りました。
  • <絵>表題を象徴的に描いた絵が左ページ一面に配され、その下に、”Let Me Worship Your Name with Straight Heart” という英文の説明が付されています。

このように「一筋の心」が神だけに向かう真っすぐな心だということが、聖句・和文説明・絵・英文説明で総合的に、簡潔に、そして味わい豊かに示されます。

他の項を少し紹介します(和文のみ)。

★「泣く人と共に」の項(26~27頁)
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。(ローマの信徒への手紙12:15)

  • 喜ぶ人と共に喜ぶのはむつかしいことであります。苦しみの時、一緒に泣いた人が一緒に喜べるのであります。人の悲しみのそばにいること――つらいことだけれど、それが一切の始まりです。

★「富める者」(46~47頁)
富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい。(マタイによる福音書19:24.<口語訳>)

  • 富とはなんでしょう。自分は良いことをしたと思う心であります。……その「富」がわたしたちを、神の国 から決定的にへだてているのです。神の国はただ神のあわれみによって、入れていただくものなのであります。えらい人はひとりもいません。(46頁)

★「最も小さい者」(58~59頁)
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイによる福音書25:40)

  • 「小さい者」とは……病気であったり、障害をもっていたり、挫折した人であったり、――つまり傷を負って生きている人々のことであります。そうした人々に関わることは、なんらかのかたちで重荷を負うことになるでしょう。しかしそこに踏み込まないで主に出会うことは、できないといわれているのであります。

本書の解説はどれも簡潔で、聖句のポイントをわかりやすく示し、心に迫る内容です。プレゼントすると喜ばれるでしょう。これを書きながら私も、何人かの人に贈ろうという気にさせられました。

小島誠志氏には、『朝の道しるべ――聖句断想366日』(2011年、教文館)という、文庫サイズのデボーションの本があります。こちらも充実しています。

JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/18

【チャリティコンサート2018】沼津教会 荒天に負けぬ盛会

第15回世界の子ども支援チャリティコンサートの第2公演を5月13日(日)に日本福音ルーテル沼津教会(静岡県沼津市)で開催しました。

大雨にも関わらず54名の方にご来場いただき、3年連続開催となる沼津教会の、厚いお気持ちが感じられるコンサートとなりました。

真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)の巧みな演奏に観客席からは時折ため息がもれました。プログラム最後の難曲、パガニーニの「ソナタ・プレギエーラ」では、終盤にさしかかるあたりから拍手が始まるなど、皆さんが演奏を心から楽しんでいらっしゃることが伝わってきました。

【チャリティコンサート2018】岡崎教会で開幕

15年目となる「世界の子ども支援チャリティコンサート」シリーズの初回を5月12日(土)に、日本福音ルーテル岡崎教会(愛知県岡崎市)で開催しました。

春の陽気に恵まれ、来場者72名の盛会となりました。真野謡子さん(ヴァイオリン)と松田弦さん(ギター)は、息の合った華麗な演奏を披露し、歴史ある岡崎教会の会堂を豊かな音色で満たしました。
ワークショップの様子

近隣の中学校の吹奏楽部の皆さんもお越しくださいました。終演後には、演奏者がワークショップ形式で質問に応じ、楽器の奏法や練習の心構えなどについてプロの演奏家ならではの視点から答えました。
 

【難民支援】難民と語り合うサロンをJELAホールで開催

JELA難民事業委員の渡部清花(わたなべ・さやか)さんが代表を務めるNPO法人WELgeeが主催するイベント「WELgeeサロン」が、JELAとの共催で4月21日にJELAホールで開催されました。

「難民と語り合う」をテーマとした当イベントには、様々な国籍の難民の方々をはじめ、日本人の学生や社会人等多くの方がお見えになりました。

この日のトピックは「新生活」。参加者は、難民の方々が語る日々の生活での悩みや苦労に耳を傾け、アドバイスや共感の言葉を返していました。

日本人参加者は難民の生の声を聞くことができ、日本で暮らす難民の方々の問題を、身近なこととして捉えることができたようでした。難民の方々も、友人として親身に話を聞いてくれる日本人がいることに感激していました。


難民と日本人が対等の立場で対話できるこのサロンを、これから時々、JELAホールで開催しますので(このニュースブログ欄で事前に周知します)、ご興味のある方はお越しください。

【関連リンク】 


2018/05/15

【信仰書あれこれ】あわれみの表し方

ヘンリ・ナウエンのことを知ったのは20年近く前です。今回は、最初に読んだ彼の本『あわれみ――コンパッション――ゆり動かす愛』(他二人との共著、石井健吾訳、1994年、女子パウロ会)をとりあげます。

某大学教授が言いました。「ある本をまとめよ、と言われて、だらだらと本を引用するだけでは脳がない。要点を抜き出し、それをどう分類するかが頭の見せどころなんだよ」。

「脳がない」方法でこの本を紹介することになると思いますが、よろしくお願いします。

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本書の目的と中身の概要は以下の通りです。

  • 私たちの最高の理想は、最小の痛みで最大の満足を味わうことなのでしょうか。……この本の答えは「ノー」です。……ここに示される見方は、イエスが言われた「あなた方の父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深い者となりなさい」(ルカ6・36)という言葉に基づいています。(8頁)
  • 私たちはまず初めに、イエス・キリストにおいてお現われになったあわれみ深い神について話そうと思います。……。第二に、キリストに従う者として、あわれみ深い生き方をすることの意味を探ろうと思います。……最後に、あわれみによる祈りと活動の方法について考えたいと思います。(10頁)


鋭い問題意識が感じられる部分を何か所かご紹介します。

<奉仕の目的は神との出会い>

  • もし私たちが……仕える者としてのあり方を神ご自身と出会う方法としないなら、徹底して仕える生き方は意味がないでしょう。……私たちがこの僕としてのあり方の中心に、安らぎと慰めのすべての源である神ご自身を見るようになると、あわれみは、恵まれない人々のために善業をすること以上のものになります。(52頁)
  • ここで私たちは、奉仕とは神を探し求めるためのひとつの表現であって、個人や社会の変革をしようという望みなどではない、深い霊的真理に触れるのです。……私たちが他者に提供する援助が、達成できるかもしれない変革を主眼とする限り、その奉仕は長続きしません。結果が現われず、成功は見込めず、自分たちのしていることへの好評や賞賛が消えてゆくとき、続ける力も動機も失ってしまいます。(53頁)
  • 本物の奉仕があるところには、喜びもあります。なぜなら、奉仕の中には神の現存が目に見えるものとなり……イエスに従う者として奉仕する人たちは、自分が与える以上に多くを受けていることに気づきます。それはちょうど、自分の子どもは自分の喜びなので、その世話をするのに報いなど必要としない母親と同じで、隣人に奉仕する人たちも、自分たちが奉仕する人たちの中にその報いを見出すのでしょう。(54~55頁)

<常識の場を離れることの大切さ>

  • 共同体を、おもに何か温かく柔らかく、家庭的で、居心地がよく安全なものと理解するなら、それは神の従順な仕える者としてのあり方が現われてくるような場には決してなりえないでしょう。私たちが、共同体を第一に個人的な傷をいやすものとして作ろうとするなら、それは、他の人の痛みに連帯することを効果的に実現する場にはなれないでしょう。キリスト者の共同体の逆説は、人々が自発的に「自分の場を離れて」共に集まるところにあります。(104~105頁)
  • 自発的に「自分の場を離れる」ことの逆説は、私たちをこの世界――父、母、兄弟、姉妹、家族、友人――から引き離すように見えますが、実際はそれとのより深い一致の中にいることに気づかせるのです。自発的に「自分の場を離れる」ことは、確実にあわれみに満ちた生活へと導くものです。それは私たちを、区別する立場から他社と同じになる立場へ、また特別の場所に身を置くことからどんな場所にでも身を置くことへと私たちを動かすからです。(112頁)

ナウエンは多くの著作が日本語で読めますが、とっかかり的な情報を知りたい方には、大塚野百合著『ヘンリ・ナウエンのスピリチュアル・メッセージ』(2005年、キリスト新聞社)をお勧めします。

JELA事務局長
森川 博己

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2018/05/14

【世界の子ども支援】毎日メディアカフェでソーラーランタンの有効性を説明

5月11日(金)に毎日新聞東京本社のメディアカフェで、パナソニック株式会社のCSRセミナー「みんなで“AKARI”アクション~無電化の地域へあかりを届けよう」が行われました。

中央がグリテベックと奈良部職員
パナソニックは2018年に創業百周年を迎えるにあたり、2013年からその記念事業「ソーラーランタン10万台プロジェクト」に取り組み、今年1月に目標を達成しました。

JELAは10万台の3%強にあたる3,218台をインド・カンボジアの支援先へ寄贈していただきました。そして受贈家族からアンケート形式で多数のデータを収集し、アジアの無電化貧困地域に及ぼすソーラーランタン利用の効果について分析しました。

セミナーでは、上記の分析に携わったJELA上級顧問のローウェル・グリテベック(国際開発学博士)が、以下のような内容をスライドを示しながら説明しました(通訳:奈良部慎平JELA職員)。
  • ソーラーランタンの使用は子どもの学習時間の増加、家計のエネルギーコストの削減、より豊かで充実した家族団らんの時間の産出を実現した。
  • 家庭のエネルギー支出が月3~4ドル節約できることとなり(貧困家庭にとっては大きな額)、余ったお金の44%は子どもの教育費、40%は栄養価の高い食費に向けられた。
  • 灯油ランプを使わなくてよくなったことにより、家族の健康状態が改善した。
  • ランタンは明るくて軽く持ち運びに便利なため、夜間外出が安全に行えるようになった。
セミナーの模様は、5月14日付の毎日新聞の朝刊紙面や同社WEBサイトに掲載されました。

2018/05/07

【信仰書あれこれ】日本人向けに書かれたユニークな聖書物語

中川健一『日本人に贈る聖書ものがたり――族長たちの巻』(2003年、文芸社)をとりあげます。全4巻2400頁の最初の巻です。各巻二分冊、全八分冊の文庫 にもなっています。

本書のユニークさは、「日本史からの事例(家康、竜馬など)を随所に引用しつつ、アブラハムからイサク、ヤコブ、ヨセフの四代にわたるヘブル人の歴史を解説している」(帯文)点にあります。以下にいくつか具体例を紹介します。引用されるのは日本史に限りません。

◇◆◇

私が示す地へ行け」 という天の声をアブラムが聞く場面への導入として、アルベール・シュバイツァー (1875~1965年)の体験が挿入されます。

  • シュバイツァーが幻に捉えられたのは、1905年のことであった。……ある夜、彼は書斎で翌日の講義の準備をしていた。……不要なものを屑かごに放り込んでいたその時、一冊の雑誌が――なんとその雑誌は誤配されたものだったという――、彼の手をすり抜けるようにして床に落ちた。開かれたページに目をやると、そこにはこうあった。「コンゴはあなたの助けを必要としている」。彼は何気なくその記事を読み始めた。そして、次の言葉が彼の心に終生消えることのない火を灯した。「中央コンゴのギボン州 では、働き人が不足している。必要は山ほどあるのに、労する者がいない。私はこの記事を書きながら、祈っている。神が、すでにこの働き人のために選んでおられるその人物の上に手を置いてくださるようにと」。……その時から、彼は自分の人生をコンゴのために捧げた。生活のすべての要素がその目的のために統合され、管理されていった。……彼は1911年に結婚し、1912年に医学博士となり、1913年に看護婦の妻とともにフランス領赤道アフリカに渡った。(30~31頁)


ある箇所はつぎのように始まります。

  • この項は、長い挿入句だと思ってお読みいただきたい。筆者はここに来るまで意図的に「神」という言葉を避けてきた。……「神」という言葉のどこに問題があるか。それを解明するためには、日本語聖書の翻訳の歴史をひもとく必要がある。専門的な議論はなるべく避け、主要な点にだけ光を当ててみたいと思う。(76頁)


これに続く10頁が、次のような事柄の説明に費やされます。(76~85頁)

  • ザビエルが日本で伝道する際に、聖書の創造主という概念をどのように当時の日本人に伝えたか。
  • 初の日本語聖書(ギュツラフ訳聖書 )と新共同訳との比較。特に、ヨハネ福音書冒頭部分の「言」(キリス)と「神」をどう訳しているか。

「初めに言があった。言は神と共にあった」(新共同訳)
「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル」(ギュツラフ訳)

  • 日本語訳聖書に「神」という語が採用されるようになった経緯。それへの中国語訳聖書の影響。中国語訳聖書には三種類の訳語(天主、上帝、神)があり、日本がそれらから訳語を採用する際に、日本で奉仕していた宣教師の教派的伝統が与えた影響。


アブラムは妻サライとエジプトに入るに際して、エジプト王パロがサライを気に入り、夫である自分を殺すのでないかと恐れ、サライが妹だと偽ります。このような環境下で、パロから後宮に呼ばれるまでサライがどんな思いでいたかを、著者は安土桃山時代のキリシタン女性、細川ガラシア豊臣秀吉の逸話によって説明します。

  • 朝鮮の役で多くの大名たちが外征していた。その隙に、秀吉はそれらの大名の妻や娘たちをしきりと誘ったことがある。……要は食指を伸ばしたということである。絶世の美女との誉れの高かった細川ガラシアも、内謁を申し付けられた。……その時彼女は死を覚悟し、正装した下に白装束を着け殿中に上った。帯の間には、密かに短刀を忍ばせ、両手をついて平伏した瞬間にそれが抜けて畳の上に落ちるように仕組んだ。……さすがの秀吉も彼女の決意を察知し、そのまま彼女を帰したという。サライも同じことを考えた。(145~146頁)


日本の歴史物語が好きな人には、本書はうってつけの聖書入門書でしょう。ただし、まだ信仰が与えられていない方は、著者の次の言葉を心にとめてください。

  • 聖書を読めば神の存在が証明されるのではないかと考えて、読み始める人がいる。しかし、その試みはほとんどの場合、挫折で終わる。なぜなのか。聖書が神の存在を証明する本ではないからだ。聖書とは、神が存在することを前提にした本である。最初の書である創世記の書き出しからしてそうである。「初めに、神が天と地を創造した」。そこには、神とは誰なのかという紹介も、どういう方法で天と地を創造したのかという説明もない。宇宙がそこに存在している。それだけで、創造主がいるという証明になっている。それが、聖書の論理である。(40頁)


JELA事務局長
森川 博己

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【関連リンク】

【求人】日本福音ルーテル社団 JELA 職員募集 終了しました

ご応募ありがとうございました。
募集は終了しました。


一般社団法人 日本福音ルーテル社団(JELA


職 員 募 集

 JELAはこのたび、財務・経理業務を中心に従事していただける職員を募集します。110年以上の歴史を有し、キリスト教の宣教・教育・社会福祉に関する公益事業を推進するJELAの働きに関心のある方は、下記要領によりご応募ください。

●募集職種:財務・経理
●募集人員:1名 (募集終了 現在は募集しておりません
●雇用形態:正職員(入社後3か月間は試用期間)
●勤務地 :JELAミッションセンター(東京都渋谷区恵比寿一丁目2026号)
●待遇:
 ①給与・賞与・各種手当=当社団規定による。
 ②勤務時間=9001700 *残業は月20時間以内。
 ③休日・休暇=完全週休二日制(土・日)。各種休暇は当社団規定による。
 ④福利厚生=各種社会保険あり。
求める人材:
①予算作成・決算関連業務を含む財務・経理の実務経験があること。
②世界の恵まれない人々への支援に関心があること。
③キリスト教について受容的であること。
④ある程度の英語力(TOEIC 600点以上など)を有すること。
⑤パソコン操作(メール送受信、ワード・エクセルによる資料作成など)ができること。
●提出書類:
 ①履歴書(直近3か月以内に撮影の本人の顔写真添付)
 ②職務経歴書
 ③最終学歴校卒業証明書
 ④英語力を示す証明書(TOEIC、英検その他の成績・レベルを示すもの)
 ⑤クリスチャンの方は信仰経歴書
   *注1=書類の形式は自由。ワープロ使用可。
*注2=履歴書の住所欄等に常時閲覧するE-mail アドレスを明瞭に記入してください。
*注3=最終面接に進まれた方には、直近3カ月以内の健康診断書をご提出いただきます。
●提出期限:2018515日(当日の消印有効。応募は郵送・宅配のみ受け付けます)
●郵送先 :〒150-0013 渋谷区恵比寿12026 JELA職員募集係
●選考方法:書類選考通過者に対して面接を(場合により作文も)行い決定する。
●選考スケジュール:
 ①書類選考=5月末日までに結果を本人に通知する。
 ②面接=6月中に実施する。*事前にJELAのホームページをよく読んできてください。
 ③内定通知=面接後数週間以内に通知する。
 ④入社時期=201871日 *相談に応じます。

以上
【関連リンク】
日本福音ルーテル社団(JELA)ホームページ

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【信仰書あれこれ】神からの恵み・神による選び

佐藤敏夫『改訂 キリスト教信仰概説』(1992年、ヨルダン社)をとりあげます。180頁に満たない薄い本ですが、ポイントが要領よくまとめられています。

「はじめ大学の学生を念頭において書いたものであるが、求道者の入門書としてはやや難しく、信仰に入ってキリスト教を系統的にとらえてみたいという人たちに、ちょうどよいのではないかと思っている」(最終頁)と著者は書いていますが、その通りの内容です。

本書から教えられたことの一部を以下に紹介します。

◇◆◇

カルヴァンの「二重予定説」をご存知でしょうか? 「神は永遠の昔その憐れみから、ある者を救いへと選び、ある者を滅びへと決定した」(本書120~121頁)という教理です。

すぐに予想できるのは、「救われる人・救われない人が決まっているなら、伝道する意味があるのか」「神が愛なら、全員が救われるべきではないのか」……といった反応です。

実際、学問の世界では、「カルヴァンと同時代のヒューマニズムの神学者たちは、この教理に耐ええなかった。……アルミニュウスもその一人である。彼は、救いは信仰次第であることを強調した。神は永遠の昔、信ずる者を救うことを決定した」(121頁)という考えが現れます。

著者はこの問題を、以下のように説明します。(引用聖書は「口語訳」)

  • 宗教的真理が人間の言葉で容易に表現しえないような深さをたたえ、そのために、あえて表現すれば、非常識な、極端な意見のように見えることがしばしばある……。奴隷意志論や予定説はまさしくそういうような種類のものと言えよう(121~122頁)



  • 我々が永遠の昔から神によって選ばれているようなことは、一種の神学的思弁のように聞こえ、そのような教えに疑問を感ずる人がいるかもしれない。しかし、我々はすでに……「わたしのためにつくられたわがよわい日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた」(詩編139:16b)について言及し、我々の存在が永遠の中に根拠を持つことについて語った。我々の存在が神の永遠の昔から神に知られているということが、決して神学的思弁ではなく、聖書の語るところであるように、我々の救いもまた、神の永遠の意志の中に根拠を持つものである。(122頁)



  • 聖書の思惟が典型的な仕方で遠く神の意志へと及んでいると思われるのは、(エペソ1:3以下の)次の言葉である。「神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」(122~123頁)


著者はこのように、聖書がどう語っているかに目を向けさせます。そして、この問題を思惟する(=考える)者が立つべき位置についても注意を促します。

  • 我々が神の永遠の決意について思惟するのはよいとして、その際気を付けねばならないのは、……神と人間との関係を観客席から眺めるような、言わば世界観的な思惟をするということではないということである。(中略)予定信仰が我々の恵みの体験と結びついているものであることを知る必要がある。我々が自己のよき業や生活によって救われるのではなく、ひとえに、キリストにおける神の恵みによって救われるとすれば、なぜ自分がこのような恵みにあずかるかは、神の選びという言葉によってしか説明のしようのないようなものである。……キリストの恵みにあずかりうるのは、まったく神の選びによるものである。この意味で、恵みの体験と選びの思想とは一つに結びついている。……人類全体に神がどんなふうに関わるかを眺めようとするような思惟ではなくて、自己のあずかっている恵みを考えるとき、選ばれているとしか考えようがないという意味での思惟である。(123~125頁)


著者の説明はゆきとどいていて、以下の点に言及することを忘れません。

  • 聖書においてはっきり言っていることは、選びということである。では、選ばれない者はどうなるのかという質問も出てこようが、それは……世界観の問いであって、それは神に委ねればよいであろう。我々にとって重要なのは、ただ、神は我々を恵みによって選ぶ、ということである。(125頁)


著者によると、現代もっとも独創的な予定説の提唱者はカール・バルトだそうで、その根底にある神学的モチーフを本書の説明に採用しているとのことです。

JELA事務局長
森川 博己


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2018/05/02

【信仰書あれこれ】マザー・テレサの言葉の深み

本欄三十冊目は、マザー・テレサ『心の静けさの中で――カルカッタのマザー・テレサ及び共労者の黙想集――』(キャサリン・スピンク編集、森谷峰雄訳、1990年改装改訂版、シオン出版社)です。

本書にはマザー・テレサの言葉だけでなく、彼女の共労者(co-workers)や彼女の仕事に関連するその他の人々の言葉も含まれています。

以下では、マザー・テレサ自身の言葉のみを紹介します。

◇◆◇

  • 私の秘訣は大変単純です。私は祈ります。そして祈りを通してキリストの愛と一体になります。そして彼に祈ることは彼を愛することになるのです。……世界のスラムにいる私の貧しい者たちは苦しんでおられるキリスとのようです。彼らの中に神の御子は生きておられ、そして死に給います。そして彼らを通して神は本当の御顔を顕されます。祈りは私にとって、一日のうち二十四時間イエズスの御心と一体になり、彼のために、彼を愛して、彼と共に生きることなのです。(1頁)
  • 空でよく電線を目にします。……それらだけでは役に立ちません。電流がそれらの中を通って流れるまで光はありません。電線はあなたであり私なのです。電流は神です。私達には世の光を生むために、電流を私達の中を通らせて、私達を用いさせる力があります。又は私達は使われるのを拒み、暗黒が広がるのを許すことができます。……あなた方の各々が聖くなり、神の愛があなたが行く所は何処でも広がるように祈ります。彼の真理の光がすべての人の生活にあり、神があなたと私を通して世を愛し続けることができるように。(7ページ)
  • 祈ることが難しいときこそ祈るように努めなければなりません。最初に用いる手段は静けさです。というのは、祈りの霊は非常に深い沈黙の霊であるからです。私達はもし内的及び外的沈黙を実践しないなら、神の現存に直接身を置くことはできません。……静かな祈りの中で多く受け取れば受け取るほど、私達は……それだけ多く与えることが出来るのです。(28~29頁)
  • 聖性は少数者のぜいたくではありません。それはあなたと私との単純な義務なのです。……私達の聖性が進展するには神と私達自身が係ってきます――神の恵みと、聖になろうとする私達の意志が係ってきます。私達は聖性に到達しようとする、真の、生きた決心を持たなければなりません。……心から神に満たされたいと思うなら、私達の中にあるあらゆる利己的なものを謙遜によって取り去らなくてはなりません。……神があなたに与えて下さるものは何でも受け取り、彼があなたから取り去って下さるものは何でも彼に渡すなどして、神の恵みがあなたの霊の中で働くように心掛けなさい。真の聖性は神の意志を笑顔で行うところにあります。(36~37頁)
マザー・テレサの本はどれも霊的で深い内容に満ちていますが、手に入れやすいものとしては、『マザー・テレサ 愛と祈りのことば』(ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラド編、渡辺和子訳、2,000年、PHP文庫)をお勧めします。

JELA事務局長
森川 博己


◆◇◆

【関連リンク】

2018/05/01

【チャリティコンサート2018】出演者、巡演スケジュールのご案内

JELAが毎年春に全国で開催している「世界の子ども支援チャリティコンサート」。15回目の今年は、5~7月の週末に、昨年を上回る17会場を巡ります(日程は本記事下の表参照)。 

今年のコンサートは、三年連続のご出演となるヴァイオリニストの真野謡子さん、そして初出演のギタリスト松田弦さんによるデュオをお届けします。

【出演者プロフィール】
©Shigeto Imura
真野 謡子(まの・ようこ)
山口県出身。オランダ・デンハーグ王立音楽院卒業。Netherlands String Quartet Academy, ロッテルダム音楽院にて、さらに研鑽を積む。ヴェルビエ音楽祭、ルツェルン音楽祭アカデミー、オードバラ音楽祭、小澤征爾音楽塾などに参加。2010年春には、パレスチナにて、バレンボイム=サイード財団の教育プロジェクトに携わる。スペイン・バレンシア州立歌劇場オーケストラ、新日本フィルハーモニー交響楽団、Malaysian Philharmonic Orchestraのフリーランス奏者として演奏。現在、欧州、アジア、日本において、ソロ・室内楽・オーケストラで幅広く活動中。これまでに、光永俊彦、佐久間礼子、Theodora Geraets, Ilona Sie Dhian Ho, Gordan Nikolicの各氏に師事。室内楽を安永徹、市野あゆみの両氏に師事、研鑽を続けている。また、Mauricio Fuks, Zakhar Bron, Ana Chumachencoの各氏のマスタークラスを受ける。
©Waki Hamatsu
松田 弦(まつだ・げん)
高知県出身。高知県立岡豊高等学校音楽コースギター専攻、早稲田大学卒業。2011年から2年間フランスのストラスブール音楽院に学んだ後、オーストリア、イタリア、スペインで研鑽を積む。アリカンテ大学(スペイン)主催のマスター修士課程修了。 これまでに、松居孝行、村治昇、新井伴典、今村泰典、アレクシス・ムズラキス各氏等に師事。2009年第52回東京国際ギターコンクール第1位、2013年アントニー国際ギターコンクール(フランス)第1位(あわせて課題曲賞と聴衆賞を獲得)をはじめ、2000年~2013年のあいだに国内外8つのコンクールで第1位受賞。日本各地を始め、オーストリア(ウィーン、コンツェルトハウス)、フランス、ドイツ、タイ、フィリピンなどでもリサイタルを行う。

【プログラム】
  • ルーマニア民俗舞曲(B・バルトーク)
  • アヴェマリア(F・シューベルト)
  • ソナタコンチェルタータ イ長調 M.S.2(N・パガニーニ) ほか
※曲目は都合により変更となる場合があります。

入場無料ですが、コンサートの途中に席上で自由献金をお願いします(※熊本教会のみ¥1,000の協力券制)。集まったお金は昨年同様に、熊本地震による被災学生の学費支援に用います。

ご家族やご友人とお近くの会場へお越しいただき、
ヴァイオリンとギターという2種類の弦楽器によるコラボレーションを楽しみながら、熊本の被災者の方々への連帯をお示しくださればと存じます。 

【2018年コンサート日程】
日付開演時刻会場
5/12(土)午後2時日本福音ルーテル岡崎教会(愛知県岡崎市)
5/13(日)午後2時同 沼津教会(静岡県沼津市)
5/19(土)午後1時30分同 挙母教会(愛知県豊田市)
5/20(日)午後1時30分 保谷教会(東京都西東京市)
5/26(土)午後2時同 甲府教会(山梨県甲府市)
5/27(日)午後2時同 清水教会(静岡県静岡市)
6/16(土)午後2時同 刈谷教会(愛知県刈谷市)
6/17(日)午後1時同 都南教会(東京都世田谷区)
6/24(日)午後1時30分同 名古屋めぐみ教会(愛知県名古屋市)
6/30(土)午後2時同 松本教会(長野県松本市)
7/1(日)午後1時30分同 高蔵寺教会(愛知県春日井市)
7/6(金)午後7時同 栄光教会藤枝礼拝堂(静岡県藤枝市)
7/7(土)午後3時同 むさしの教会(東京都杉並区)
7/8(日)午後2時同 宇部教会(山口県宇部市)
7/15(日)午後2時同 神戸東教会(兵庫県神戸市)
7/21(土)午後2時同 熊本教会(熊本県熊本市)
7/22(日)午後2時同 西条教会(広島県東広島市)


米国ワークキャンプ2018 申し込み終了しました


申し込み締め切りました。
応募ありがとうございました。

米国ワークキャンプ2018募集要項


◆ 派遣期間: 2018年7月25日(水)~8月7日(火)

◆ 内  容: ペンシルベニア州で一週間のワークキャンプ(家屋修繕、
  聖書の学び等を通して参加者の信仰的・人間的成長を促す催し)に参加
  し、近隣の州でホームステイもします。

◆ 参加費用: 20万円 ※「友達割引」:複数で申し込んだ場合、
  1人につき5千円割り引きます。
     注意:以下の参加費は全額個人負担となります。
  パスポート・ビザ取得費用、海外旅行保険費用、派遣確定者向け説明会
  会場(JELAの予定)や出発・帰国時の集合場所(成田空港)から本人の
  居住地までの交通費及び前泊・後泊する場合の宿泊費。


◆ 問合せ・申込用紙請求先:
    150-0013 渋谷区恵比寿 1-20-26  
        日本福音ルーテル社団(JELA)
        「アメリカ・ワークキャンプ」係り
   電話:03-3447-1521/ファクス:03-3447-1523/
        E-mail: jela@jela.or.jp /  HP: www.jela.or.jp

選抜方法:2018年4月末日までにJELAに到着した申込書から派遣者を
  決定し、5月上旬までに連絡します。

        <注意事項>
2018年8月1日現在で14歳~20歳の方が応募できます。
クリスチャン(教派は問いません)でもノンクリスチャンでも参加できます
  が、聖書を学び話し合う時間が毎日あり、すべての行事に積極的に加わ
  ることが求められます。
数名の日本人成人が同行し、霊的・言語的側面から日本人参加者を
  支えます。
派遣確定通知受領から出発までの間にキャンセルなさる場合は、事情を
  お伺いした上で、その時点までに発生した費用の一部または全部をご請
  求することがあります。また、新型インフルエンザの蔓延その他、諸般の
  事情により派遣を中止する場合があります。JELAからキャンセルする場
  合は、払込み済みの参加費はすべてご返却します。
渡航にはパスポートが必要となりますので、お持ちでない方、更新が必
  要な方は、派遣確定通知受領後速やかに取得手続きを行ってください。
⑥ 帰国後十日以内に千字前後の感想文(デジタルデータ)を作成してJELA

  に送信してください。

以上


ワークキャンプの趣旨や内容が分かる動画です。ぜひご覧ください。(約15分)


https://drive.google.com/file/d/0BztUIJKOqZmVQ0lkOTg3SWlfV2c/view?usp=sharing









 

【信仰書あれこれ】村岡花子のエッセイ集

村岡花子『曲がり角のその先に』(2014年、河出書房新社)をとりあげます。いろいろな雑誌に発表されたエッセイをまとめたものです。

著者は『赤毛のアン』を日本に紹介した人物。書名は、同書の終わり近くに出てくる、次のシーンからとられています。

年老いたマリラの視力に大きな問題が出てきました。事情を知ったアンは、家から通うには遠すぎる大学の奨学金を辞退することにします。孤児の自分を育ててくれたマリラを一人ぼっちにはできないからです。一方マリラは、やさしいアンが一緒にいてくれるのは嬉しいものの、将来の夢を捨ててまで自分に尽くそうとする姿に、やるせない気分になります。そんなマリラにアンはこう話しかけます。

「マリラ、この一週間というもの、ずっと考えていたのよ。私はここで生きることに最善を尽くすわ。そうすれば、いつかきっと、最大の収穫が自分に返って来ると思うの。クィーン学院を出た時は、私の未来は、まっすぐに一本道のように目の前にのびていたの。人生の節目節目となるような出来事も、道に沿って一里塚のように見わたせたわ。でも、今、その道は、曲がり角に来たのよ。曲がった向こうに、何があるか分からないけど、きっとすばらしい世界があるって信じているわ。」(松本侑子訳『赤毛のアン』集英社文庫、441頁)

『曲がり角のその先に』から、花子のキリスと信仰をうかがわせる二つのエッセイをご紹介します。


◇◆◇

●「こわされた時間表」(本書41~43ページ)初出1940年

若い教師が、一晩かけて作り上げた教案を手にクラスに臨みます。そして、今日の一時間でここまで教えようと、元気に黒板にチョークを走らせます。その時です。「先生!」と、もみじのような手が上がり、何日も前に教えたことを訊くのです。(まだ、わかってないの、と舌打ちしつつ)計画どおりに教えたい気持ちを抑えて、他の生徒に説明させようとしたところ、その子の受け答えも要を得ません。教師は仕方なく、一時間全部をこの問題に費やします。計画はおじゃん。著者は次のようにエッセイを締め括ります。

「もし、あの無邪気なる一人の少女が手を挙げなかったとして、計画どおりに教案が進行したとしたら、それは何と、土台の薄弱な知識であったろう。その前に、必要な土台石がまだ据えられていなかったのだ。その朝の学科は「砂の上に建てられた家」(森川注:マタイ福音書7:24~29参照)と成り果てるところであった。破られた計画、私たちの時間表をこわす邪魔、その邪魔の中にもまた、意義が潜んでいる。」

●「一つの心境」(本書57~58頁)初出1953年

中世の寓話――神が一人の天使に、悪魔の持つ数々の誘惑をとりあげてしまうように命じます。天使は悪魔のところに下り、人間を惑わすために用いた誘惑をすべてとりあげると宣告します。これに対して悪魔は、すべてを返納するが、「悲観」という極めて小さい、つまらなくて何の害にもならない個人的な誘惑だけは、持たせておいてほしいと嘆願します。天使は、悲観が単なる個人的な心境であり、積極的な害を生み出すものでないと判断して、悪魔の求めに応じます。

これに続けて、著者は「悲観」の本質を次のように説きます。

「悲観につづくものは憂鬱と頑固と怠慢と不勉強と、あらゆる不愉快、有害な生活態度である。……希望を失うところにさまざまな悪が入り込んでくる。無気力になり、非協力的になり、恨みと怒りと嫉妬と、その他すべての不愉快な人情が生じてきて、そして我々の住んでいる社会を住みにくい、文化性のない、低俗なものにするのに拍車をかける。(中略)希望なき時代ということをしばしば耳にし、また口にするものだが、それは軽々しく言ったり聞いたりできない重大な意義を含んでいる。希望なき時代たらしめないためにこそ努力しなければならない、得々として絶望を叫んでいるべきではないと思う。」

河出書房新社からはもう二冊、『腹心の友たちへ』『想像の翼にのって』という村岡花子のエッセイ集が出ています。『曲がり角のその先に』と同様に、『赤毛のアン』ファンにはおなじみのフレーズです。

JELA事務局長
森川 博己

◆◇◆




【信仰書あれこれ】苦しみや悲しみの意義

堀肇著『新版 こころの散歩道』(1998年、新版は2008年、いのちのことば社)をとりあげます。本書の内容は、「本来キリスト教信仰とは何か、教会とは何かを神学的問題としてではなく、日常生活から吟味するものとなっています」(帯文)

悲しみや苦しみの意義を考えるエッセイを三つご紹介します。それぞれが意味を補完し合っています。

◇◆◇
<喜びと悲しみは共に>
  • 問題を取り除きたい、解決したいとの願望があるということは、心のどこかで苦しみや悲しみというものは人生に邪魔なもの、悪いものだと考えてしまっている部分があるのではないか。(26頁)
  • 普通、私たちの人生態度は問題解決先行型なのです。これは仕事の上では結構なことで、そうしなくてはならないのが人間の生活です。ところが、……人生全般に対してこういう態度一辺倒ですと、苦しみや悲しみがやってきたとき、それと同じように、とにかく解決したい、取り去りたい、とばかり考えるようになってしまうのです。それがどんな意味を持ち、価値をもっているかというようなことにあまり頓着しないで、悪いものとして退けてしまいます。(27頁)
  • 信仰も問題解決型になりますと、幸せや喜びだけを歓迎し、苦しみや悲しみを退け、両者を切り離してしまいます。これは本来のキリスト教信仰とは言いがたいものです。(27頁)
  • 喜びと悲しみは仕方なく同居しているのではなく、本当に深みのある霊的な世界では、それらが調和的に存在しているように思えます。というより、実はこの二つはお互いを必要としていると言っていいかもしれません。つまり、本当の喜びは悲しみを通して現れてくるということです。(28頁)
  • 悲しみや苦しみというものを迷惑なもの、あってはならないものとして取り除こうとするならば、実は喜びも失うようなことになるのではないでしょうか。……イエスも「私の喜び」(ヨハネ15:11)と言われた喜びを十字架の苦しみを通して私たちに与えられた、という事実を心に刻んでおきたく思います。(29~30頁)
 <傷はあってもいい>
  • 人間は自ら痛むという経験がなければ、対人行動が奇妙で不可思議なものになってしまう可能性も出てくる……。ソロモンは『箴言』の中で、「心配している人の前で歌を歌うのは、寒い日に着物を脱ぐようなものであり、ソーダの上に酢を注ぐようなものだ」(25:20)と言って、人の心の痛みに対する無感覚を戒めています。(37頁)
  • 信仰というものは一つ方向がずれると、悩みの解決ばかりに焦点が置かれ、祈りにしても、癒され、解放されること、つまり苦痛の除去ばかりを求めるものになる可能性が出てくる……。(37~38頁)
  • 傷の痛みとは苦痛を伴うものですが、それは必要な、また健康な感覚であるということ、そして信仰はそういう感覚を無視したり軽視したりするものではないということです。むしろ信仰をもつということは痛みの現実をよく知り、その苦痛に共感できるようにされていくことではないかと思うのです。(39頁)
<摂理の秘密のうちに>
  • 人生の問題は、どんな種類のものであっても、そこには何らかの哲学的、宗教的(霊的)意味合いが含まれている(中略)。あまり原因や理由ばかり追求しないように……それをしますと、最後にはだれかを犯人にしないと落ち着かなくなるからです。それより、今この出来事が起こっている意味を考えて見ること、クリスチャンならば、神がこの出来事の中で何を語ろうとしておられるかを祈りの中で黙想し、洞察を深めることをお勧めする……。(43~45頁)
  • 出来事に対する意味についての洞察が深まりますと、それまで問題であると思っていたことが、あまり大したことではない、憎らしいと思っていた人が本当はいなくてはならい大切な存在なのだ、と思われてくるような瞬間が、突然に、あるいは徐々に訪れてくるのを体験することがあります。……それこそパスカルが言う「摂理の秘密のうちに隠されている分別」であり、本当の意味の解決である、と言っていいのだと思います。(45~46頁)
それぞれのエッセイ中に、関連聖句や別の信仰書からの引用があり、学習を深めるのに役立つ配慮がなされています。

JELA事務局長
森川 博己

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