2018/01/10

【信仰書あれこれ】祈りへの気づき

きょうは、「とりなしの祈り」(ほかの人のための祈り)の重要性を再認識させられることになった本、『ウィリアム・ローの キリスト者の聖潔』(マービン・D・ヒンテン編、棚瀬多喜雄訳、1988年、いのちのことば社)をご紹介します。


原著『敬虔にして聖なる生活への召し』(英文題の直訳)は、18世紀にウィリアム・ローが著した13万字の大著ですが、これからご紹介する本は、編者ヒンテンが原著の精髄を2万語にまとめたものを和訳したものです。

原著は出版当時、メソジスト運動の創始者ジョン・ウェスレーと詩人サムエル・ジョンソンという高名な二人のキリスト者に多大な影響を与えたと言われています。『ナルニア国物語』で知られ、キリスト教護教家としても著名なC・S・ルイスもこの本から大きな影響を受けたようです。

以下は、今年の正月休みに、この本から私が気づかされた事柄です。

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JELAのような組織にいると、今年は寄付が多かったとか、ニュースレターホームページで情報をたくさん提供しているのに、思ったほど寄付が集まらないとか、ともすれば寄付の額に目がいきがちです。寄付は自分たちの事業活動の原資ですから、その額が気になるのは当然なのですが、問題は、それを気にするあまり、大切なことを忘れていないか、ということです。

日本や世界で困窮している人をJELAが支援するにあたって、あるいは必要とされる支援が可能となるために、どれだけ多くの方々の祈りが自分たちの背後にあるか、常にそれを意識してきただろうか――次の個所を読んでいる時、私はそんな思いにとらわれました。

「……神はみんなが同じように幸福に至ることができるように、幸せの源(神ご自身)への道を備えてくださいました。(中略)とりなしの祈りについて考えると、私たちの愛の表現としての行為そのものは、時とお金とエネルギーの点で制約があります。具体的な物による援助は、ほんのわずかな人たちに及ぼすことができるだけです。けれども祈りを通して、私たちは無限の力を持つことになります。もしできれば実行したいと願っている愛のわざを、(とりなしの祈りを通して)神は私たち自身のわざとしてくださるからです。私たちは地球上の病人全部の世話をすることはできません。貧しい人たちをみんな助けるとか、悩みの中にいる人たちを一人残らず慰めることもできません。けれども、その人たちのために祈ることはできます。そして、そのように祈る者を、良いわざを行うものとして神は認めてくださるのです。……」(同書89~90頁)

誤解しないでいただきたいのは、上のように書いてあるからと言って、祈りさえあれば寄付などいらない、ということではありません。寄付も大事なのですが、それと同時に、いやそれ以上に、JELAの活動のために、JELAの働き人のために、そして支援を受ける一人ひとりの困窮者のために、祈りを捧げてくださる人が必要だということ、その数・量・力をもっと意識すべきだと言いたいのです。

祈りに意識的に関わる、これが私の今年の目標です。この一年、形式的でない真の祈りを、つまり、神との真の交わりを、より確かなものにしたいと考える次第です。

JELA事務局長
森川 博己

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