2015/03/03

【インド・ワークキャンプ2015】参加者のレポート(その6)

2月12日に成田を出発してインドでワークキャンプに参加したメンバー16名は2月22日に無事に帰国しました。皆様のお祈りを感謝いたします。

参加者の森奈生美さんからレポートが届きましたので、以下にご紹介します。
レポートの内容は、JELA事務局が一部編集したものです。

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森奈生美
(大学生)

今回のワークキャンプでは、私たちが滞在したCRHPで行われている素晴らしい働きの数々を、存分に感じ取ることができた。CRHPはインドの抱える問題を受け入れ、貧しさの中にある人々に手を差し伸べることによって、その人の人生を変え、その村を変えていく。
義足を作る森さん

中でも、CRHPが干ばつ地域での農業モデルとして運営している農場で働く女性の話は、私にとってCRHPの働きの大きさを鮮明に伝えるものとして心に響いた。その女性の名はラトナマラ、「神様の首飾り」という意味だ。その名に相応しく、彼女の瞳は美しく輝き、話す姿は大変凛としていた。彼女は、自らの過酷な人生とそこにおける神様の導きを語ることで、モデル農場におけるCRHPの働きと、インドの抱える根深い問題の一つである女性の自立について示してくれた。

ラトナマラの家は貧しく、他の多くのインドの貧困家庭の例に漏れず、娘よりも息子を大切にした。女の子だからと、初期に教育を打ち切られそうになった。それでも良き教師との出会いから、なんとか、上の姉妹より長く学校に通うことができた。しかし、慣習として女性側の家が負担するダウリー(身支度金)制度のため、皮肉にも高等教育を受けたが故に結婚相手探しは困難を伴い、やっと見つかった夫も結婚後HIV感染が判明し、苦難が続いた。

ラトナマラさん
彼女と夫と子供は、HIVを理由に、行く先々で人々から、家族からさえも拒絶された。仕事や住む場所にも困るほどであった。人々から避けられ続けた上に、旦那と子供を亡くすと、生きる意味を失い、彼女は毒を飲んだ。病院に運ばれなんとか一命を取り留めた彼女は、息子の死亡日を記録しに来たヘルスワーカーを通じて、CRHPと出会った。

CRHPの提案によりモデル農場で働くようになってからも、彼女の傷は簡単には癒えなかった。ところが、CRHPの医師らと対話を重ねる中で、「今までの人生の中で、神様を信じなくなっていた」という彼女も、神と出会い、かつて自らを拒絶した人々を赦すことができるまでになった。心のケアと薬が効き、ラトナマラは現在、モデル農場で責任ある仕事をしながら、養女を立派に育て、更にはHIV患者のカウンセリングもしている。

彼女の人生の過酷さを、私は知らない。話に聞いて想像することはできても、彼女の幾度もの絶望に共感することも、HIVを肩代わりすることもできない。私が出来るのは、彼女に敬意を示し、その強さに学び、自らの糧とすることである。CRHPが彼女に手を差し伸べ、彼女がいま他のHIV感染者に手を差し伸べているように、私も誰かに手を差し伸べるのだ、という気持ちが湧いてきた。あとはこれを行動に移すことである。

インドの抱える貧困、その背景にある数々の問題の根深さに、私は大きな衝撃を受けた。課題だらけのインドの現状に、世界の厳しさを感じた。しかしその一方で、義足作りをはじめとし、種々のワークを通じて、CRHPの「手を差し伸べる」活動に交わり、加わる経験を得た。そして、使命を持って生きる人々の持つ力強さ、与える影響の大きさを知った。

インドに限らず、差し伸べられる手を必要としている人は、世界に沢山いる。恵まれた環境にあっても、人は必ず誰かの手が必要になる時がある。両腕いっぱいに持ち物を独り占めするのではなく、いつでもすっと差し出せる手を持った生き方をしたい。インドに行って、そんな気持ちになった。

ひたすらに恵みを享受し続けた学生の身分を終え、社会人として働くようになる節目のこの時期に、インド・ワークキャンプに参加できたことを、大変感謝している。すぐにすべてを投げ打った奉仕の人生を決断できるほどの勇気はないが、これまで培ってきた少しの知識とこれからのサラリーマン生活で得られる経験を、ただただ自分のものにするのではなく、他者に差し伸べる手のエネルギーとしていきたい。CRHPのように一人の人生や一つの村を丸ごと救うことはまだ難しいが、微力ながらも貧しさや弱さの中にある人々の力に成りたい。自らのことで手一杯になってしまった時には、CRHPの働きやラトナマラの話を振り返ることで、今の自分は誰にどんな手を差し伸べる事ができるだろうか、としっかり思い直す時間を持ちたい。