2018/04/25

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】リラ・プレかリアの12年間に想うこと 講師 中山康子

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

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リラ・プレかリアの12年間に想うこと
講師 中山 康子

開講当時は、18ヶ月(初回のみ)で何をどのようなプロセスで講義や授業を運ぶのか、私たち教師陣には先の見当がつきませんでした。日本の風習や慣習のこともあって、キャロルさんも手探り状態だったと思います。一期生が決まって、いよいよ開講に先だつ3月、教師3人で合宿をしました。八ヶ岳・富士見のベネディクト修道院では、必須になる音楽の課題11曲(2期以後は12曲)の選択をしながら、詩編をたくさん歌うミサに参加し、男性修道士が焼く出来たてのパンを味わったのは懐かしい思い出です。当時は母のデイケアを恵比寿の付近にお願いして、 5時にJELAに送り届けていただいていました。ハープの神藤雅子先生は、著名なハーピストとして凜としていらして、ハープのレッスンは、基礎に厳しいレッスンでした。うって変わって、休憩の時の笑いの絶えないリラックスした雅子先生は、リラ・プレカリアの発足時に神様が派遣してくださった特別な人材でした。雅子先生は2期まで教えてくださいました。

時にはお断りするほどの応募をいただいたものの、毎回、次期は開講できるかと不安定な時期を過ごしたものです。このプログラムは6期で修了することになりましたが、これで本当に終了なのだという実感が未だ湧きません。

3期以後はスタッフ全員クリスチャンでしたので、受講生の中にノンクリスチャンがいてくださることは、とてもありがたいことでした。と申しますのは、プログラムを修了して用いられるのはほとんどがノンクリスチャンへのご奉仕です。講義の内容は、 詩編を中心にしていますから、当然キリスト教を基本にした内容にはなるのですが、キリスト教の押しつけにならないように留意することを念頭に置きました。講師として公開講座にお出でくださった方々には、キリスト教界以外に仏教・神道にも通じる、独善的にならない一般的な内容を盛り込んで教えていただきました。
講師にも修了生にも、クリスチャンが多数ですが、家の宗教は仏教だったり、神道だったりとお互いの信じるところを尊重しながら授業を進めることが出来ました。

第2期からは2年間のプログラムになりましたが、それぞれの2年間という時間には、いろいろなことがありました。親しい家族を亡くしたばかりの受講生、親しい方を看護したり、看取ったり、家族の急死の連絡を受けたり、本人の手術が必要になったり、お子さんの結婚がまとまったり、お孫さんの誕生があって子育ての応援にかり出されたり、2年間という期間に人生の大きな節目を経験する受講生が、 教師たちにとっての「先生」でした。リラ・プレかリアを学んで、社会への奉仕を目指したもののむしろ牧師となる道を選んで中途で止めるなど、ごく数名の受講生以外90%以上が、思わぬ経験をしながらも修了を遂げました。その中でも東日本大震災に見舞われ当初は遠距離バスも新幹線も不通になり、津波が汚泥を運び込んだ自宅の庭先に知らない人が流されて亡くなっているという受講生には東京から教師たちが援助物資を運び顔と顔を合わせて無事を確かめたり、また自宅のテレビが地震で窓外に落下するほどの揺れを恐れてオーストラリアに「奇跡」の脱出をした方もいらっしゃいました。北海道から山形、秋田、 福島、奈良、兵庫から、遠距離を毎週通ったかた、このプログラムのために退職金をあてて学んだ方々。一人ひとりのことをこころに留めています。修了生とは、久しぶりに会うことがあると日本的ではありませんがハグするほど親しくなり心が繋がっている思いがして忘れられません。今や、修了生は北は北海道、南は沖縄に広がり、オーストラリアにも進出し、関東では千葉や神奈川、埼玉、東京で奉仕の場を得て用いられています。

想えば、開講のための相談会で、リラの名称が生まれる時にはリラ・プレかリアと決まるまで紆余曲折がありました。詩編の学びに必要な順境・逆境・新境地の用語を提案されたのは、左近豊先生でした。パソコンで、DVDを作成して授業に臨んだり、パワーポイントを駆使して公開講座を準備したり、事情で欠席の受講生には授業のDVDを作成して配布しそれを見た感想の提出で出席に替えたりと文明の利器にも恵まれました。

シシリー・ソンダース医師がイギリスでホスピス病棟を始めたのが1967年とのことですが、リラ・プレカリアのプログラムを考え始めた2005年頃は、日本ではボランティアとして、ホスピスにかかわることあるいは看取りにかかわることはなんとなくタブー視されていることに踏み込むような感触がありました。映画「お葬式」が1984年に公開されたものの、リラ・プレかリアの訓練を続けている間に「おくりびと」(2008年公開)、2010年の「おとうと」公開など社会的に多くの関心を集めるに至り、時代の波がリラ・プレカリアの必然性を後押しした感があります。2期の途中から参加したオレゴン州のリチャード・グローヴ氏の「尊厳ある生と死」(Sacred Art of Living and Dying)コースに通いながら、死のことをこれだけオープンにするには日本では少なくても30年は早いのではないかと感じたことを覆される思いでした。

2年間のプログラムの途中でも受講生からの紹介で外部から特別講師をお願いすることにしたり、受講生のアンケートによって授業内容を考察したり、これら柔軟な授業内容を可能にしたのは、JELAの当時のディレクターのロウェル・グリテベック氏、事務長だった古川文枝氏に後押しされたキャロル・サック宣教師の深い信仰に根ざした人間信頼に依るところが大きいと感謝し、その後継承された中島愛氏、奈良部慎平氏、森川事務長他JELAのスタッフと、そして何よりもそのすべてを導き、守ってくださった神様に感謝あるのみです。sdg

神の国と神の義をまず求めなさい、
  すべてのものは与えられる、ハレルヤ。

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リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

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