本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。
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患者さんからのエールを思い浮かべて
6期修了生 遠藤邦子
ずーっと祈ってきたリラプレカリアの学びの道が備えられた喜びもつかの間、自分が考えたよりずっと多くの課題にアタフタ。往復の山形新幹線の中が1番集中できる勉強場所でした。沢山の感動の中から2つ記します。
『ある施設のインターンでのこと』私はハープと歌のご奉仕を終えBedsideに膝まずき、Mさんに挨拶をして頭を下げた時、Mさんは私の頭をなでて下さったのです。立ち上がろうとすると両手で頭を撫でてくださるのです。みんなが待っているので立ち上がろうとすると、今度は両手を私の方に差し出して来るのです。私はMさんの手を握り、しばし心の中で祈りました。私の目から涙があふれてきました。Mさんは私のことをご家族の娘さんか誰かと思われたのだろうか。もしかしたら帰らないで、もっと側にいてほしいと思ったのだろうか。ありがとうと言いたかったのだろうか・・・私は帰りの電車の中で色々考えました。でも私はあのMさんからこのボランティアに対する力強いエールとして受け取りました。それからはハープ、歌の練習の時にMさんを思い浮かべて練習するようになりました。2か月後、Mさんは神様の元に召されました。インターンの時のBed上の多くの先生に感謝します。
『生活の中の詩編探し』 もうすぐ雪が降りそうなある日、孫たちが我が家の明日葉の実をキアゲハの幼虫がわんさかしがみついて、食べているのを見つけた。パパが「小さな幼虫は雪が降ったら死んでしまう」と言っていた「主よ。早く私に答えて下さい。私の霊は滅びてしまいます。どうか、御顔を私に隠さないでください。私が穴に下る者と等しくならないため。」詩編143:7
3週間後、孫たち来宅。すぐ明日葉の所へ。枝にしがみついていた幼虫を箱に入れて家に持って帰ると。ところが玄関に忘れていった。10日後幼虫は蛹になっていた。息子のメールや電話の指示のもと、羽化の備えをしてみてビックリ!。小さな逆三角形の紙の袋に入った蛹が割りばしの十字架に括り付けられているのです。まるで受難のイエスさまが2体。
「私の神、主よ。叫び求める私をあなたは癒してくださいました。主よ。あなたは私の魂を読みから引きあげ、墓穴に下ることを免れさせ、私に命を得させたくださいました。あなたは私の嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。」詩編30:3~4,12
すぐその後、その時学んでいた五感のスピリチュアリティでアゲハ蝶の幼虫と蛹の映像が、何回も出てきたときには更にビックリ。その時学んだことは蛹はその殻の中ですべてが形なくドロドロのスープ状になっていること、そしてその中でアゲハ蝶として再生されること。復活です!
リラプレカリアの学びは最初から最後まで単独の学びは1つもなく、全て関連しており、折にかなった学びがあたえられ、私には感動、そして小さな奇跡の連続でした。裏には沢山の人の色々な思いがあっても、表はしっかり絡みあった、1つも不要な所のない素晴らしいタペストリーのようです。素晴しい講座を受講できたことを誇りに思っています。
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※リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。
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