2018/04/27

【信仰書あれこれ】わかって、わからないキリスト教

渡辺善太(1885-1978)著『わかって、わからないキリスト教』(1975年、ヨルダン社)をとりあげます。1960~70年代に著者が銀座教会で行った説教をほぼそのまま書き起こしたようで、臨場感豊かです。

以下では、81歳の時の説教「選びの意味転換」のエッセンスをご紹介します。

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本論に入る前に、著者の議論の前提を以下に要約しておきます。
「日本人はキリスト教を信じる時に、自分の力でそれを選んだという意識が強いが、自分で決めたと思っている限り、捨てることも簡単。日本人クリスチャンが洗礼を受けながら長続きしないのには、このことが関係している。要するに、真のキリスト教が分かっていない。自由主義神学も同じで、自分が満足しない教えは捨てるし、合理的だと思える部分だけを受け入れる。つまり、聖書を心から信じて、その前に頭を垂れて聞き従うということをしない」。

以下、本論です。
  • 「自己反省の始まらない信仰」というのは偽物なんだ。(中略)教会へ行って洗礼を受けるようになるまでには、「多くの目に見えない関係していたことが」ずうっとわかってくる。こうなってくると、俺が選んだとは思うが、誰が、ということなく準備がせられていた、ということに気づく。これが信仰による反省です。で、ことに自分自身の過去の生活が反省されてくる。あんなこと、こんなこと、喧嘩したこと、恨んだこと、……そういうことがあったからこそ、徐々に信仰に近づくようになったのだなあと思われるようになる。ここに、そう、「俺が選んだ」という絶対的な自力の宗教の「転換」が現われている。(中略)この翻りができないと、教会もわからない、説教もわからない、牧師も分からない。(52~57頁)
  • 反省の「極」、選びということの「極」が、「神は……天地の造られる前から、キリストにあって私たちを選び……」(エペソ1:3から)。ここまでいく。もう「母の胎内から」、じゃない。私というものがおよそ存在しなかった時から、神の御旨には私があった。天地が創造される以前から、キリストにおいて私を選んでおいてくださった――これがキリスト教で言う本当の「選び」というものです。ここから下がってきて、何のために選びたもうたか、すなわち神の選びの目的ということに考えがいく。そしてそこに使命感が生まれてくる。……この使命の「ために」選ばれたんだ、という「使命感」が出てくる。(58~59頁)
  • 神によって、私は選ばれた。人の誉れを求めるためじゃない。こういう人々のね、本当の満足は内なる満足です。死ぬ間際まで本当に心の奥底から使命に尽くしたという喜びだ。……人にはわからないが俺はあの神様に選ばれた、それで私は存在しているんだ。それで私は毎日の仕事をしているんだ。どうです。本当にこの自覚が内に持てたら――(61頁)
  • この選ばれたという信仰は、もう一度翻らなきゃいけない。選ばれたからその選びを実現するという、この翻りがあって初めて「選び」が起こる。「選ばれて選ぶ」。パウロはキリストに言ってるでしょう。「キリストこれを得させんとて我をとらまえたまえるなり」(ピリピ3:2)。捉えられて取る。選ばれて今度は選ぶ。すなわち他力と自力が完全に一つになる、とでもいうことになるのです。選びにおいて選びとる。今日やったことに満足しない。もう明日は新しく選びとる。……昨日の繰り返しじゃない、去年の繰り返しじゃない。やることは同じように見えても内容がまるで違い、自覚が違うんだ。……選ばれて選びとる、捉えられて取る、知られて知る――これが聖霊の業です。(62頁)
  • 聖霊の業はたくさんありますが、第一に聖霊は、信仰に入るまで、私どもが知らないうちに私どもを導いておいでになる。同時にまた、今の選びがわかってのち、聖霊は我らの内に働きたもう。「神は御心をなさんために汝らの内に働き、汝らをして志を立て、業を行わしめたまえばなり」(ピリピ2:13)。……聖霊が私どもの内に働きたもうて、他動的に、ではない、私どもの意志を奮起さしめたまいて、私どもをして御心を行わしめたもう。……聖霊というと、気狂い(*差別語でしょうが、原文のまま引用)のようになることと思うと、そうじゃない。静かに静かに、神が私どもの内に働きたもう。その御心を行わんために私どもの内に志を立て、これを行わしめたもう。こうなってくると、「選び」ということが第三段階になってきて、選ばれて選ぶ、捉えられて捉える、知られて知るという本当の意味の一致が起こって、渾然と「ひとつ」になる。これが選びという意味の転換です。どうか、最近に洗礼をお受けになった方、四十年、五十年信仰生活におられる方、私どもをも含めて一同、この福音の心底の理解ができて、そして社会的政治的な一切のことへの目が開かれるように。まず根源的には、このことが経験されるようにしたいと思います。(62~64頁)
著者の説教は、『銀座の一角から』(ヨルダン社)『日本の説教者9 渡辺善太(日本基督教団出版局)』や、ヨベルから出ている著作集などから読むことができま

JELA事務局長
森川 博己

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