2018/04/25

【リラ・プレカリア(祈りのたて琴)】リラ・プレカリアに関わって思うこと ヴォイス講師 渡辺直美

今年3月に終了したリラ・プレカリア(祈りのたて琴)研修講座の講師・修了生に、思い出などご寄稿いただきました。

本文はご寄稿いただいたオリジナルのまま掲載しています。

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リラ・プレカリアに関わって思うこと
ヴォイス講師 渡辺直美

私のリラ・プレカリアとの最初の出会いは映画館の中でした。山田洋次監督が好きで観に行った「おとうと」でわずかな時間映し出されたハープを奏で歌う女性の姿。そのシーンはとても印象深く、映画が終わってからもあれは何の音楽だったのだろうと心の中で何度も蘇ってくるのでした。それから少ししてその映画の中の女性と出会い、リラ・プレカリアという音楽の中に身を置くことができるようになるなんて、神様はなんと粋
なはからいをされるのだろうと偶然ではない何か不思議な糸で手繰り寄せていただいたようなそんな気持ちになりました。

左から2人目が筆者
リラ・プレカリアの講座で歌を担当するにあたって、キャロル先生のハープと歌を横たわりながら初めて聴かせていただいたときのあの感覚は今でも忘れられません。目を閉じているのに目の前はとても明るく輝いていて、まっすぐに空へと続く線が天国への道しるべのように感じました。体は全身マッサージを受けたかのようにほぐされ、温まり、プカプカと浮いていてきっと母のお腹の中ってこんな感じなんだろうなという思いに包まれたのでした。リラ・プレカリアがどんなに素晴らしく必要とされる音楽であるかをこの体験を通してすぐに知ることができました。

 私の祖父はもう長いこと耳が悪く、会話をするときは筆談を求めるくらいでした。なので祖父と最後に会ったとき聴こえないかもしれないけれど、と思いながらも耳元でたくさん歌いました。その時の祖父の表情は今でもはっきりと覚えています。目にいっぱい涙をためて、時に流しながら一緒に口ずさんでいるかのように唇を動かしてくれていました。人は呼吸を通して寄り添いに触れたとき、耳の良し悪しや様々な症状に関係なく、祈りの音、声はきちんと届いているのだと強く実感した瞬間でした。それは門が開かれ神様の元へ帰る準備がなされている愛の証なのかもしれません。『私たちの国籍は天にあります。』と聖書にあるように。「安心してこちらへいらっしゃい。」と両手を広げ待っていてくださっているのでしょう。リラ・プレカリアは痛みや苦しみ、深い孤独から解放され、神様へと繋がる光の道のように思っています。ただただありのままの姿を抱きしめてくれる祈りの音楽。この音楽がいつまでもどこかで誰かのために奏で続けられることを、沁々と今は願うばかりです。

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リラ・プレカリア(祈りのたて琴)とは、ハープと歌で祈りを届ける活動です。

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