子ども時代にダイジェスト版を読んでわかった気になり、その作品の真の姿に触れずじまいのことが往々にしてあります。私にとってそのような一冊が、ストウ夫人の『アンクル・トムの小屋』でした。
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・ 二月のある日曜のことであった。教会堂に座って祈っていた時、ストウ夫人の閉じた目の前を、一列の哀れな黒人が通る幻影が映った。それは売られていく奴隷の一群であった。その悲惨さは、彼女の胸をかきむしった。家に帰って子どもたちと語った時、彼女は決然として、「私は書く。必ず書く」と誓った。と、こういうエピソードが語り継がれている。……人々はこの物語に涙をしぼった。世論は怫然として起こり、ついに奴隷売買の是非を戦争によって決めるまでに至ったのだ。(本書下巻459頁)
・ 文学が戦争を起こすとはよくよくのことである。かつてキリスト教関係の国際会議が日本で開かれた時、音楽委員として来日した黒人歌手が私の家を訪問したが、机の上にあった、私の訳した『アンクル・トム』を見るや否や「おお! アンクル・トム!」と言って、その本を書き抱いたのを、いまだにまざまざと憶えている。(下巻460頁)
アメリカ南北戦争(1861~65年)の原因のひとつが本書であったことを、上記の文で初めて知りました。多数の人々に読まれ、心ある読者の正義感を鼓舞したのでしょう。
・ 「聖書が言っているように、おらたちをよこしまに扱う人らのために祈るのだ」と、トムが言った。
「あいつらのために祈れだって?」クロウおばさん(*トムの妻)が言った。「それは、あんまりじゃないか。あたしにゃ、できないよ」
「これもなりゆきだよ、クロウ。なりゆきってのは、どうしようもないんだ。だが、神様のお恵みは、なりゆきなんかより、もっともっと強いんだよ。あのようなことをする人間の哀れな魂は、どんなに気の毒なものか考えなくちゃなんねえだ。クロウ、おまえは、自分がそんな人間でないことを感謝しなきゃいけねえだよ。おらは、そのような人間が、どんな責任を負わなきゃならねえかと考えたら、何万べんとなく(自分が奴隷として)売りに出されているほうがましだと思うだよ」(上巻100頁)
次の部分は、ダニエル書3章14~18節を想起させます。トムの話し相手レグリーは暴虐な農園主。トムを買い取り、ついには彼をなぐり殺してしまう悪漢です。
・ 「いいかい、神様なんて、おめえさんを救っちゃくれねえってわかったろう。救ってくれるつもりなら、俺にお前を買わせなどしなかっただろうぜ! おめえの言う宗教なんてのはな、みんな、嘘つきでいいかげんなもんだぜ、トム。俺にゃちゃんとわかってるんだ。俺についたほうが利口だぜ……」
「いいえ、だんな」と、トムは言った。「おらは今まで通り神様におすがりしますだ。神様が、助けてくださろうと、くださらなかろうと、最後まで神様を信じ、おすがりしますだ」
「どえらいあほうだな、おめえ!」と、レグリーは軽蔑したように彼に唾を吐きかけ、足で蹴とばした。「まあ、いいわい。今に見ておれ、俺がぎゅうぎゅうとっちめてやるからな!」(下巻329頁)
JELA事務局長
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