2018/03/08

【信仰書あれこれ】日本に初めてキリスト教を伝えた人物のパッション

1549年にフランシスコ・ザビエル が日本に初めてキリスト教を伝えたことは、多くの方がご存知でしょう。

彼はどんな信仰を持っていたのでしょう。私がそれを知ったのは、『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』(河野純徳訳、1985年、平凡社。同訳者・同タイトルで東洋文庫からも四分冊で刊行されています)を数年前に読んだ時です。700頁以上の大著ながら無類におもしろい。

この書簡集は、1535年から1552年にかけてザビエルがアジアの宣教地からローマのイグナチオ・デ・ロヨラなどに宛てた手紙137通(いずれも長い。この中には日本宣教時代<154952>の19通が含まれる)を訳出したものです。

以下に、ザビエルの燃える信仰が伝わってくる数か所をご紹介します。〔 〕内は、意味が通るように訳者が補ったものです。

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  ローマのイエズス会員たち宛て/1542920日/ゴア
主なるキリストの十字架を喜んで負う人々は、このようなさまざまな苦しみの中に心の安らぎを感じるもので、この苦しみから逃れたり、苦労なしに生活すれば、生き甲斐を感じられなくなるものと私は信じています。キリストを知っていながら、〔もしも〕自分の意見や執着心に従うために、キリストを捨てて生活するとなれば、死ぬ〔よりもひどい〕心の苦しみの中で生活しなければならないことでしょう。これに等しい苦しみは他にありません。その反対に、自分が愛着することに逆らって、イエズス・キリストの他には自分の利益を求めず、日々死ぬことによって〔霊的に〕生きることは、どれほど大きな慰めでしょう。(87頁)

  ポルトガルのシモン・ロドリゲス神父宛て/1549125日/コーチン
……私はそんなことで日本へ行くことをやめません。なぜなら、安らぎのないこの世の生活の中で、死に〔直面する〕大きな危険にさらされながら生き、生活のすべてを主なる神の愛と奉仕に捧げ、聖なる信仰を広めることだけ考えて生きていくことほど、大きな霊的慰めは他にありませんから。また、このような苦しみのうちに生きることは、苦しみを味わうことなく生きるよりももっと大きな心の安らぎが得られますから。(371頁)

  ヨーロッパのイエズス会員宛て/1549622日/マラッカ
必要なあらゆるものを持って〔優雅に暮らし〕ながら神を信頼する者と、必要なものを持つことができるのに、キリスト〔の貧しいご生活に〕よりいっそう似るため自ら清貧になって、何も持たずに神を信頼する〔修道者〕とは大きな相違があります。それと同じく、死の危険にさらされることなしに、神を信仰、希望、信頼する者と、神への愛と奉仕のために明らかに死の危険がある場面に臨んで、もしもそれを避けたいと思えば、自分の意志で死の危険から逃れることができるにもかかわらず、自分の意志で危険に身を挺して、神を信仰、希望、信頼する者とでは大きな相違があります。絶えざる死の危険にさらされながら生きる人たちは、ひたすら神への奉仕にいそしみ、他のことは何も顧みず、やがて来るべき終焉の時をも考えず、この世の生活をも忌み嫌って、天国で神と共に永遠に生き、支配するために、〔この世の〕死を望んでいる人たちです。この世の生命そのものは、絶え間ない死の連続であり、永遠の栄光を得るために神によって創造された私たちにとっては、〔この世の生活はまさに〕さすらいの旅であると言えましょう。(450頁)

  ゴアのガスパル・バルゼオ神父宛て/15521025日/サンチャン
私があなたにも、すべての会員にも願っておりますことは、〔神が〕あなたがたを通じて行われることよりも、神があなた方を通じて行いたいと思われても〔あなたがたが従わないために〕やめてしまわれることについて、もっと真剣に考えてほしいのです。(730頁)


いずれも宣教の情熱がほとばしる文面です。クリスチャンなら一度は読むべき本(書簡集)かと思います。訳者は異なりますが、岩波文庫からもザビエル書簡抄訳が二分冊で出ています。

JELA事務局長
森川 博己

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